幕間1 好きなの?
「では、最終試験合格を祝しまして、」
「乾杯♪」
「乾杯!!」
「か、乾杯。」
愛弟子の合図とともに、俺たちの宴は始まった。
拝啓、愛娘よ。今日、お父さんは凄く嬉しいことがありました。どうやら、半強制的に就職先が決まり、処刑を免れることが出来そうです。
と冗談はさておき。もう我慢の限界だ。
俺は早速、エールを喉に流し込んでいく。
発酵させた麦の香りもさることながら、鼻を突き抜けるこの独特なフルーティさが堪らん。一言で、俺は今日この日のために生きてきた……は流石に言いすぎたかな。でも楽しいことには変わりない。
愛弟子はいつもの事ながら、酒豪並のペースで味わい尽くしてる。
ステラも最初はぎこちない様子だったけど、どうやら酒の味は想像以上にお気に召してくれたらしい。
でもまぁ、まさか王女様と一緒の卓につくとは思わないだろうしな。肩に力が入るのは無理ないんだろうけど、是非とも今夜は楽しんでいってほしい。
「はぁ……。堪りませんね。」
「沁みるぅぅ。」
分かる。分かるぞ愛弟子よ。そーだよ、今日ぐらい堅苦しいのはやめにしよう。酒の魔力にドンと溺れて、皆で肩を撫で下ろそうじゃないか。
俺はふと目についた食卓のつまみを一口。
うん。かなり美味い。味付けも酒に応じて提供してくれる親切さ。まさしく神対応だな。
流石は王族、貴族御用達の店って所だろうよ。この場を選んでくれた愛弟子には感謝しなければ。
「ステラ、口に合いましたか?」
「……っはい…とても。」
「そう緊張しないで。今日は無礼講とでも思えばいいんですよ。」
「いえ……あの。凄く楽しいのですが、このような賑やかな食卓は久しぶりなもので。」
なるほど、なるほど。つまり上手く楽しむ方法が分からないと。
まあ確かに。冒険者みたいな汚い飲み方なんて、貴族出身のお嬢様には似つかわしくない訳だし。
「まぁそれなら……。」
と、前置きを挟みながら、俺はステラのガラスにボトルを注いだ。
「とにかく今日飲もう。吐きそうになったらちゃんと言えよ?」
ーーーーーーーーー
「なーんて言ってたくせに一番最初に吐いて、そのまま泥酔とは。全く、世話が焼けますよ。」
不敬です。この光景はあまりに不敬でふしだらです。
そんなまさか……アゼルとレイシア様は並々ならぬ関係なのですか。
幾ら完全個室制でワンルームな空間でも、一応は外なのですよ? それなのに……どうしてそんなにも大胆なのですか。
婚約もしていない相手とひ、膝枕だなんて……そんな。
これは一体何でしょうか。私は今、胸が締め付けられるような痛みを覚えました。
ですが今は、前々から聞きたかった疑問を晴らす事を先にしましょう。
「レイシア様。前々からお伺いしたかったのですが、先生とは?」
「あら? 気になるの?」
それは勿論ですとも。不確かで曖昧ですが、試験前にも彼をそう呼んでおられたような……。
「はい。お聞きしても宜しいでしょうか?」
「ええ。特別ですよ。」
不敬やもしれませんが、どうやらレイシア王女は酔っていらっしゃるようだ。何処か行動の節々に酔いを感じますね。
それにしても……。なんて美しい。女の私ですら、その火照りを見せた白肌に色気を感じずにはいられません。
いやそんな事よりも……。
「ありがとうございます。では端的に、どういったご関係で?」
「そのままの意味よ。アゼルは私の先生。愛弟子よ。」
「愛弟子、ですか……。」
弟子……という事はつまり、この男が師であると。
いや……考えなさいステラ。流石にありえないでしょう。相手はあのアストラン王の娘、レイシア王女なのですよ。
この男はカンニングを働き、あまつさえ私のむ、胸を触った破廉恥極まりない男だというのに。
いや……言い過ぎか。彼は御伽噺のような姫攫いもやってのけてしまうほどの存在。それ程までに、彼の功績は計り知れないのだから。
だってアゼルは……。
「まさか勇者様の教え子とは……驚きです。」
「あら。先生を知っているの?」
ええ。それはそれはもう。彼は私の恩人ですから。
本当に感謝が尽きないですよ。今日こうして、私が試験を突破できたのも、過去を乗り越えられたのも彼のおかげです。
「はい。幼い頃に一度だけ。彼に救われた事がありますので。」
「ふーーん。」
あの時のアゼルは、本当に格好良かった。
……いけませんね。もしや私は惚気ていたのでしょうか。そっけないお返事を貰ってしまいました。
ですがレイシア様は、何とも愛らしい仕草をするお方です。ふと目についたのか、膝下で眠るアゼルの前髪を右へ左へ弄りながら遊んでいらっしゃる。
まるでお似合いの恋人
何でしょうか、この胸のざわつきは……。私はその違和感を押し流すように、残り少ないグラスを手に取り、少量口にする。
その時、レイシア様は少し小悪魔的な顔を浮かべました。
「好きなの、アゼルの事?」
突然の爆弾発言に、私は意味も分からず酒を噴き出してしまいました。
「え……。今なんと……。」
「もう一度せき込みたいの?」
「い、いえ! そういうわけではなくてですね……。急でしたので、つい。」
沈黙が続く。というより、私はその答えを探すのに必死でした。
私は……彼が好きなのでしょうか。確かに彼を尊敬してはいる……いや疑問です。
見てみなさい、そこで泥酔して横たわる男を。時間にルーズで酒癖が荒く、不敬にもレイシア様の膝を借りるような奴ですよ。そんな殿方を好きになるなんて……。
「彼、意外と可愛いでしょ?」
「え? 可愛い?」
またそんな急に。そう言われましても……これは可愛いのでしょうか?
「じゃあ見ていて。」
そう仰ったレイシア様は膝元のアゼルの頬を突く。時に鼻をつまんだり、耳を触ったり。彼は目覚めが悪そうに身体を唸らせる。
「ほら。無性に撫でたくなると言いますか。」
これではまるで猫のようじゃないですか。
殿方は恰好が良いものが流行りと思っていましたが、この有様では可愛い側面というのも悪くないですね。
「そう言われてみれば。まるで猫のようですね。」
撫でたくなる気持ちもよく分かります。
彼の実力は称号に相応しいものです。しかし、中身を知ってしまえば、本当に勇者なのかと疑ってしまいそうですよ。
彼は名ばかりで、蓋を開ければどこにでもいるような、少し生活がだらしない普通の男性だったんですから。
どうやら私たちは勇者という存在を、特別に見過ぎているのかもしれません。
「それで~答えは出た?」
そう言えば、まだ答えを出していませんでした。
……何と答えればいいのでしょうか。実の所、よくこの感情に整理がついていないのです。
そんな頭を悩ませる私に痺れを切らしたのか、嘆息を漏らしたレイシア様は残り少ない洋酒を口にする。
その表情は何処かうっとりとしており、物足りなさそうに彼の顔を触っている。
そして、気持ちが溢れだしたのか、レイシア様はこう呟いた。
「好きだなぁほんと。」
ああ、そうか……。私はどうやら、レイシア様の印象を誤解していたようです。
正直、その好意に驚きはありませんでした。だって、好きでもない人を膝に乗せたりはしませんから。
同じだったんですよね、レイシア様も。私は知ってしまった。レイシア様もまた、王女でありながら、年頃に恋をする普通の乙女であるのだと。
不敬と理解しながらも、そんな可愛らしいお姿を見ていると私も知りたくなってしまいました。
「レイシア様。もしよろしければ彼との出会いを聞かせてくれませんか?」
でも流石に距離を縮めすぎましたかね。レイシア様は一瞬にして酔いが醒めたかのような表情になられた。
「ふふっ。かなり長いですよ?」
「はい。むしろ大歓迎です♪」
まだまだ私達の女子会は続くようです。馴れ初めが嫌いな女の子などいませんから。それはそれは盛り上がったものです。
彼の事を話すのは楽しい。何故かこれでもかと胸が弾む。そして何より、嬉しいのですよ。
結局、聞きそびれてしまいましたね。アゼルは……勇者はどうして、人界を裏切る選択をしたのか。そのせいで、近代の勇者は史上最悪と揶揄される結果となりましたが、皆は知らないのですよ。
勇者の存在が、どれ程の平和をもたらしてくれたのかを。
確かに彼は裏切った。ですが、それ以上の功績と平和をもたらしてくれたのは間違いありません。
大魔族を何柱もへし折り、生きる厄災と言われた魔獣王を封印、東和国の怪物である海蛇龍すらも討伐して見せた、まごうことなき英雄。
たとえ過ちを犯そうとも、彼が齎した平和を忘れてはいけないはずなのに……。
「だから私は……。アゼル先生の名誉を守りたい。」
「彼の功績は英雄のそれですからね。」
「そう。非難されていいはずがないもの。例え魔王を討たなかったとしても。」
討たなかったか……。もしやするとレイシア様はーーー
「ご存じなのですか。アゼルが何故、魔王に寝返ったのか。」
気づけば、私はそのタブーを口にしていました。
きっとレイシア様なら、王女たる者ならば、知っているのですよね。
あの人魔大戦と呼ばれた決戦の日。魔王討伐に向けられた各国、人類の先鋭が集う連合の大軍勢を前に、死傷者の一人も出さず、全てを返り討ちにしたというあの大事件の本末を。
「教えてください。あの日、一体何が起きたのですか。」
私の追及に対し、レイシア様は既に飲み切ったはずの、氷だけのグラスを手に、口へ含む真似をする。
「残念ですが極秘事項です。」
極秘事項……か。王国、帝国、神聖国、竜王国。この大陸連合が束になって討伐に当たり、その結末を隠している。
きっと、私では想像もつかないような事が隠されているのでしょう。
「ですがこれだけは言える。あの日、先生は泣いていた。」
あの日とは……。それ以上の追及はでませんでした。
「私からすれば、どんな過ちを犯そうとも、何だっていいのですよ。アゼル先生は良い人で、誰よりも苦しんで傷ついた。だから誰よりも幸せになってほしい。」
清く尊い。なんと純愛な事でしょうか。レイシア様は本当に、彼のことが好きなのでしょう。
「だからステラ。手伝ってくれませんか?」
ええ。もう決めましたよ。私も彼の背中を押します。それが私にできる彼への恩返しです。
「私はただ、アゼル先生を幸せにしたい。」
そのために、私が出来る事は……。
「私は何をすれば?」
そう尋ねると、レイシア様は悪戯心満載の様子で、こう答えました。
「決まってますよ、悪だくみです。」
「ふふっ。司法の家に生まれた私に、そのように振舞われるとは。」
何とも大胆なお方だ。寝ているとはいえ、膝元にはまだ彼がいるというのに。
「ですが、嫌いではありませんよ。」
ごめんなさい、叔父上。曲がったことが嫌いな貴方様なら、きっと私を許さないと思いますが。私は彼のために動きたい。
そうして、互いの同盟を誓い合った私たちは、又静かにグラスを鳴らし合いました。
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