第19話 法の裁定者
貴方は一体……いやまさか、そんな事が。
見えない……今何が起こっているのですか。
私はただ目の前で繰り広げられる戦いに眼を見開くだけでした。
左ーーいや右。いつの間にそんな所にーー
速すぎるんですよ、本当に。彼らが私たちと同じ人間か本気で疑ってしまいそうです。
そして戦士を前に、魔術師とはなんと無力なんでしょうか。
ようやく、二人を視界で捉えることが出来たのは、二人に間合いが生まれた休息のひと時でした。
「いいぞ。楽しい、楽しいぞッ!!」
やはりルーヴァンは狂っている。理解したくもない。本気で人を切り殺そうとしてるのに、何故貴方は笑っているんですか。
ですがそれは……彼も同じ事だった。
「あぁ! 脳汁止まらねぇよ!!」
アゼルもルーヴァンと同じく、笑っていたのだ。
血塗れの腕に絡まる鎖を振るい、痛みを省みず五体を武器として使う様は、まさしく狂っているとしか思えません。
どうやら相手の魔術師も、この状況についていけないようです。文字通り、身体も心も、と言ったところでしょう。魔術を行使することも忘れて、ただ茫然と眺めるだけ。
そしてまた二人は、互いを望むかのように衝突し、何度何度も繰り返される。
鳴り響く金属音に薄暗い雨に明転する火花。またもや私は傍観者でいることしかできないのか。
それでいいのか。これでいいのか。
私が足を引っ張っている。全ては……私が衝動的に動いてしまった結果です。
なんて弱いんだ。ただ歯を食いしばる事しかできないなんて。
そんな中、「……ステラ。」と弱弱しい声で、私を呼ぶ声がした。
「死ぬかもだから先に言っとく。」
先ほどまでの狂いぶりがまるで嘘かのように、彼の心は静寂だった。
再び訪れた間合いのひと時。私の目前に立った事で、漸く分かった傷の具合。
身体中泥まみれで、痛々しい火傷の傷によって、足は痙攣。腕は原型を留めていないほどに無残なものと成り果てていた。
そんな最中でも、アゼルは少し息を荒げながら、ゆっくりと整えていく。
そして……彼は振り返って、目を見て確かにこう言った。
「あの時、嘘ついてごめんな。」
「……え?」
今……このタイミングで? こんなにも死にそうで、立っているのさえも危ういほどの重傷だというのに。
「……なんで……今なんですか。」
「なんでだろうな。まあ……お前がそう言ってほしそうな顔してたからだよ。」
何ですかそれは。馬鹿馬鹿しい。
貴方が嘘をついていたことぐらい知っている。当然ですよ、私には忌々しいこの『
本当に……笑ってしまいそうだ。どうして今なんですか。どうして……なんで……。
なんで私……泣いてるんすかね。涙なんてもうあの日から、枯れてしまったと思ったのに。
「この私を前に余所見か?」
ダメだ。ルーヴァンが構えた。涙なんて流してる場合じゃないのに。
なんでだろう。力が入らない。止まらない。どうして……。
「『サファイアス流剣術 無情・雨大軍』」
『
降りしきる雨は重力を無視し、ルーヴァンの周囲・空間に停滞する。
「アゼルッ!!」
叫びも虚しく。無情なる雨あられが高速でこちらに打ち放たれた。
「----かはッ!!」
ですが、私は無傷だ。その代償として、アゼルは血反吐を散らす。白シャツは赤く染まり、雨の中に赤い斑点が浮かんだ。
「何でお前が……俺に謝んだよ。」
もういいです。そんなことはどうでもいい。早く止血しなければ、貴方は死んでしまうのですよ。
「私が愚でしただなんて、違うだろそれは。」
それでも……彼ははち切れそうな声色で続けた。
「もっと我儘に生きていいんだよ。お前は悪くない。正しいんだよ、お前は!」
正しい……私が……。その時、私の中で何かが吹っ切れた。
そうだ。そうですよ。そうじゃないですか。
私は悪くない。私は正しい。元はと言えば、貴方が不祥事を起こしたのが原因です。カンニングは犯罪、だから私が縛ったのは当然のことです。
「自分を飲み込んでまで人を許すな。だから俺に怒れ! そんで許せ!」
何ですかそれは。まるで子供じゃないですか。貴方は見た目によらず、無垢で、単純で、純粋なんですね。羨ましいです。
本当に……。こんな時に馬鹿ですよ。
でもいつしか忘れていました。正しさを突き通す事こそが、私の……叔父上がくれた、尊ぶべき大切なものだった。
私は逃げてしまったんだ。罪を隠す民の悍ましさを知って、怖くなったんですよ。人を裁き続けたその先には、正義という希望を覆う、欺瞞の闇しか無いのだと、そう思ってしまったから。
いくら裁いても、人はそう変わらない。自身の保身のためなら、他者を思いやる事すらも忘れる。
楽に流され、虚偽を述べ、過ちを認めない。弱い、醜いほどに弱い。でもそれが
私は信念を貫く。自分の正しさを信じる。もうこの過去から、目を背けないために。
「わかりました。では不正のお詫びに、これが終わったら一杯驕ってください。」
これでも勇気を振り絞って、殿方を誘ったのですから。そんな風に笑わないでくださいよ。
アゼルは最初、言葉が理解できなかったのかキョトンとした顔をしていましたが、どうやらその苦笑は見る限り、付き合ってくれそうです。
「ああ。一杯だけな。」
「ケチですね。一晩中付き合ってもらいます。」
「いいぜ。吐くまで飲もう。」
「楽しみです。それと……。」
最後に一つだけ。判決を。
私は貴方を。罪を告白した貴方を許します。
今はただ、あの時の熱を、この心に込めて……。
「ありがとう。勇者様。」
気づけば、勝手にその言葉が漏れていた。
貴方はあの時も、「最高だ。」とそう言ってくれましたね。正直なところ、半信半疑でしたが、その実力は勇者として隠しようがありませんよ。
そんなにビックリした顔をして。貴方に救われたのはこれで二回目ですね。あの時より、片目を失われているようですが、容姿は全く変わっていません。
罪は許されました。私は貴方を解き放つ。
だからもしよければ聞かせてください。どうして貴方は、世界を裏切ったのですか。
「『
今はただ……話がしたい。
私があの時、罪から逃げた民に言ってほしかった、たった一つの
だから私も、向き合うと決めました。
「『
いつぶりでしょうか。その名を
「『解』!!」
刻印に命じた無罪の意。その時、アゼルの鎖に罅が入った。
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