第8話 俺は殺し合いをする気はない。
俺の勝利条件はリュークを勝たせて、俺が負けることだ。言ってしまえば、八百長のようなものか。
決闘の契約上、両者のうち一人の命が終わらない限り、戦いは強制される。だから、俺は最終的に自身の心臓を止めて、一気に神聖術で蘇生してやろうと考えていた。結果、俺は一度死ぬ。契約自体はそれで問題なく遂行されるはずだ。
そこまでは問題ないのだが、どうやら俺はかなり面倒な事に巻き込まれてしまったみたいだ。
闘技場へ足を運ぶと、熱狂とは真反対の冷たい風が肌を撫で、緊張感で空気が張り詰めていた。
石畳の円段上に待機する者、伏兵も合わせて20はいるだろう。
見たところ、いずれもかなりの凄腕だ。それに加えて、厄介なのが特徴的な髪色を持つ、五大家の面々がいること。
その全員が殺気を放って俺を串刺しにしようとしているのだ。正直もう帰りたい気持ちで一杯だ。でも現実逃避はいかん。
整理しよう。まず決闘中は他者の介入は禁じられ、不可侵は確立される。それはいいとして、危惧すべきは、俺が心臓を止めたその瞬間だ。
正直、俺はガイウスという人物を舐めていたと思う。
ガイウスは俺がリュークを殺せないことを読んでいたのだろう。その弱みに漬け込まれた結果、絶好の機会を与えてしまっている。
想像してみてほしい。暗殺しなければならないターゲットが、目の前で心臓を止めていたのなら、暗殺者はどうするか?
当然、俺ならトドメを刺す。つまりこの状況はそういう事だ。
心臓が止まれば、俺の身体は無防備だ。そのタイミングで死体蹴りでもされれば、蘇生も間に合わず確実に終わる。
ここまでの徹底ぶりだ。どんな手を使っても俺を潰したい者が多いらしい。
レイシア曰く、王国は俺を危険視する派閥と、利用したい派閥の二つに分かれているとの事。
俺がまたこの王国で生きていくには、過去の制裁と向き合い、俺の味方を増やす他ないと、そう言っていた。
だからこそ思う。この戦いは俺にとって始まりでしかない。
さて……まずはこの現状をどう乗り切ろうか。
そうこう考えているうちに、俺の足はとうとう騎士の前まで辿り着いてしまった。
「よぉ。待った?」
闘技場の真ん中には、既に一人の騎士が立っている。
翠風を想起させる品のある長髪を後ろで束ね、闘技場には似つかわしくない場違いな仮面で顔を覆っている。
そんな騎士様に対し、まるで待ち合わせをしていた恋人のように演じてみたが、やはり華麗に無視されてしまった。
仮面越しに潜む眦が、斜め上に鋭くなっていることは容易に想像できる。
少しでも会話の機会を見つけたい所だったが、やはり厳しそうだ。
「貴様、舐めているのか?」
開口一番に吠えたのはリューク。
相変わらずの中性的な声だ。しかし、その声に苛立ちを帯びさせた原因は、やはり俺の手元に握られた武器のせいだろう。
「そんなに悪いか?木剣なんてお前もよく使ったろ。」
見せびらかすように俺が突き出しだしたのは競技用の木剣。
「ふざけるなよ…。」
(…まぁそうなるよね。)
正直、相手が怒るのは想定済みだった。申し訳ない気持ちで頬が引き攣りそうだ。
騎士様の仮面の奥が鬼の形相となっているのは、その声色を聞けば容易に想像できる。
「私など殺すに値しないというのか?」
「……いやそんなことは、」
「なら私ごときなど、その鈍らで十分だと?」
「……えっと……まぁ。」
「まぁ?」
やらかしたと、俺は心の中でそう思った。
余計な一言は、騎士の不機嫌を通り越して、怒りの沸点を逆撫でた。我ながら、本当にクズの所業だという事は痛いほど自覚してる。
こういう時は客観視が大事だ。
俺は今、王国騎士としての誇りはおろか、復讐の意思を踏み躙るに等しい行為をしているのだ。リュークからすれば、今から斬り伏せる相手に全く眼中にされていないのだから。
それでも……。
覚悟は決めている。嘘はいらない。腹を割って話さなければならないと、そう思うんだ。
着飾るのはもうやめるために、俺は喉につっかえていた息を深く吐きだした。
そして、改めて普段の体たらくに力を入れ直す。
「どうせ嘘言っても見透かされそうだしな。」
意味のない前置きをして、実直に伝えたい言葉を選択する。そして、俺は殴られる覚悟を密かに決めた。
「リューク、俺は殺し合いをする気はない。」
俺は宣言でもするかのように、闘技場の皆にも届く声で馬鹿なことを口走ってやった。
武器を持つ者を前にして、こいつは何を言っているのだと、一瞬の静寂のうちに愚か者に対する卑下の視線と嘲笑の合唱が闘技場を包んだ。
それは相対する騎士様も同じくだった。
「笑わせるな。ならば貴様は自ら首を差し出しにきたとでも言うのか?」
「そんな訳あるか。どれだけ金を積まれようと、死刑だけはごめんだね。」
「なら尚更、相当に頭が弱いらしい。」
因縁の敵を前にした騎士は憎悪と喜びに打ち震えている。
昂る感情が徐に騎士の両腕を広げる。それが示すのは、死の暗示を表すこの処刑場だ。
「この場に立ったお前に未来があると思うのか?」
直後、一斉に闘技場の嘲笑が鳴り止み、注目が全て一人の騎士に向く。
「正直、貴様がこの決闘に応じるとは思いもしなかった。これでやっと私の悲願は達せられた。」
「達せられた……?」
俺は思わず、その過去形に意識を釣られて、そう聞き返す。
「そうだ。契約を結んだその時点で私の勝利は約束されている。」
大層な大口をたたくものだ。それは半ばハッタリだとも思えてしまうような発言だろう。
しかし、なぜだか俺はリュークに釘付けだった。その嘘に対し、あまりにもリュークは、堂々としており、達観した姿勢を感じさせるからだ。
「私はな、貴様に勝てると思いあがるほど馬鹿ではないんだよ。勇者としての実力はこの目で見ていた。『闘争のリネイド』との闘いでな。」
「……リネイド。」
その時、俺は武者震いに似た感覚が背筋に走った。それは「勝てるとは思っていない」という意外な返答のせいではない。リュークが口にしたある者の名のせいだ。
『エルドラド』と『闘争のリネイド』。俺はその二者から掘り起こされた過去の記憶と、リュークの存在を結びつけるために、現状をそっちのけで頭を悩ませた。
考えてみれば……つまりあの時、あの場で、リュークは『リネイド』との闘いに参戦していたってことか。
でも一つひっかかることが俺にはあった。だがその謎に迫るための時間など俺にはないらしい。
「だが安心したよ。貴様という化け物にも、案外人間らしい部分は残っていたらしい。貴様が人間だと言うのなら、殺し方などいくらでもあるだろう?」
先ほどから思考の点だけが、リュークによって散りばめられていく。その中で、俺は点と点を結ぶのに必死だった。
だがその思考の海に突如投げ込まれた「殺し方」という曖昧なものが、リュークの目的の全てを悟るきっかけになる。
恐らく……リュークは俺を社会的に殺すつもりらしい。
エルドラドに対する王国の評価は絶大だ。それは日々魔物の脅威から救われている民も然りだ。
そのエルドラド家次期当主様を、既に大罪人である俺がこの手で殺すのだ。決闘という形式だけに国はそれを黙認するだろう。しかし、人は絶対に俺を許さないだろう。
リュークの言う通り、これもまた違う方向での殺し方というやつなのだろう。
(なんだよそれ……。)
だが正直、俺はリュークのあまりの馬鹿らしさに、思わず舌打ちが漏れ出しそうなほどの不快感で一杯だった。
つまりこいつは、命をかけた勝負であるのにも関わらず、そもそも勝ちに拘っていない。それがどういう意味を示すのかなど言うまでもない。
「お前……犬死する気か?」
「犬死とは心外だな。私の死には少なからず意味はある。」
「ねぇよ!! あるわけないだろ!!」
「どうかな。私の遺志は必ず引き継がれる。民や友、そして王国。『エルドラド』が築き上げてきた全ての縁が、その積み重ねる罪を許さない。」
直後、王国の意思を発したリュークに続いて、「抜剣」の号令が闘技場に鳴り響いた。
そして、先ほどまでの周囲の哀れみは明確な殺意へ変貌を遂げる。
「もう一度言うぞ。この場にたった貴様に王国で生きる未来などない。」
チェックメイトを告げたリュークは、それはもう感嘆としていたが、俺は全くの逆だった。
「くだらねぇ。」
この気持ち悪い現状に、俺は小声で鬱憤を吐き捨てた。
こんなものは作戦でも、策略でも何でもない。
「何?」
それに過剰に反応を示したリューク。
「いちいち突っかかんなよ、死にたがり。」
血の上った頭を無理やり冷やし、俺はもう一度周囲を見渡す。
「お前らが幾ら戦力を募ろうが、大層な契約で俺を縛ろうが。命を前提に差し出す結果なんて何の意味もねぇんだよ。それを許容しているお前も、上から見下ろすお前らもどうかしてる。」
此処にいる全ての騎士を敵に回すような言動であると理解しながらも、俺はリュークだけでなくこの場の全員に届くよう腹
「死と引き換えに悲願を遂げてそれで満足か?これで兄の仇討ちになるとでも、本気で思ってんのか?」
目尻が吊り上がった俺に対し、騎士は数歩引き下がった。
今のリュークは躊躇がない。自分の命を安くみてる。だから俺がクゥに変わって止めなければならない。
そうしないと、俺は本当に親友に合わせる顔がないとそう思った。
「あぁ。貴様を葬れるのなら兄様も本望だろう。」
「ッ!そんな事あいつが思うわけないだろう!!」
それを聞いた瞬間、俺はリュークの仮面をぶん殴りにそうになった。しかし、それを必死に堪えて、拳の代わりに奥歯を噛みしめた。
昔、俺も親友の前で同じ事をして殴られたことを思いだす。本気で叱りつけて、次にやったら絶交すると言われた。
そんな親友が命を粗末にする弟を許すはずがない。
「お前はクゥの事を分かってない。」
ここにクゥはいない。だから、あいつに変わって俺が止める。
王女様がどうだとか、死刑を免れるためとか、そんなものは今はどうでもいい。言葉なんか着飾るな、相手から目を逸らすな。
「もう一度言うぞ、リューク。」
俺は初めて騎士と向き合った。仮面の奥にある、かつての親友と同じ翠玉のような瞳に誓う。
「俺はお前を絶対に殺さない。クゥは俺の親友だ!」
その時、俺の本音が静寂を連れてきた。
何故?それを理解するのに、俺は濃密で凝縮された数秒を味わった。
「……けるなッ……」
静寂に零れた曖昧な言葉。
俺は悟った。膨れ上がる威圧感が肌を抑え込んだ時、騎士の逆鱗に触れたことを。
「ふざけるなッ!!」
突如、毒舌気味の騎士様から放たれたのは、闘技場を囲む者全てに等しく響き渡る程の声量だった。
それは怒りだけでは収まらない、悲痛の叫びにも聞こえて……俺は固唾を飲まずにはいられなかった。
「兄様の親友だと?貴様に友を名乗る資格などあるはずがないだろうッ!魔王に寝返り、兄の思いを踏み躙った貴様が兄を語るなッ!!『エルドラド』は絶対に許さない!!たとえ何百年かかったとしても、いつか貴様が死ぬその時まで、この想い廃るものかッ!!」
リュークは止まらなかった。一言一句、その思いを噛むことなく流暢に言ってのけた。息をすることも忘れ、取り乱した呼吸が物語るのは、リュークという一人の人間がため込んできた昂る思いだ。
リュークの言う通り、傍から見れば、俺がクゥの事を親友と呼ぶには、あまりにも都合がよく、面の皮が厚い非情な人間と思われても仕方がないだろう。
俺が魔王に寝返ったことは、結果として親友の思いを裏切ってしまった事には変わりない。
俺が行った過ちに対する反論など当然出るはずもない。全て受け入れてる。
だが一つだけ、俺はリュークに伝えなければならないことが出来た。
これだけは悲観しない。絶対に曲げない、譲れない。
誰がどう言おうと、俺にとって『クゥ』は唯一の親友であり、俺の誇りだ。
「覚悟は良いか!大罪人。」
奮い立つ騎士につられて、少数しかいないはずの闘技場であるのにも関わらず、感化された者達の熱気で此処が満たされていく。
だがそれは俺も同じこと。
騎士は天に銀の矛先を向け、王国の威光を示した。
対して、俺は木剣を握り締めた腕に血管を浮き出させる。
久しく眼孔が広がり、戦闘の間隔が呼び覚まされていく感覚を、俺は身体の隅々まで共有する。
「敬愛する『クゥ・レオン・エルドラド』の無念は……私が果たす!!」
そしてついに、剣の刃は天を降り、一人の死刑囚へと突き出された。
それはまさしく、宣戦布告の開幕に等しく。
「我が名はリューク。リューク・エルドラド!次期エルドラド家当主にして、大罪人アゼル・レヴァンネンの断罪する王国の剣だ!!」
王国の剣は鋭い刃にその銀閃を宿す。使い手と共に、忠義を乗せて。
不格好な木剣は凹んだ刃先に泥臭さを持つ。使い手と共に、折れない意地を乗せて。
「さぁ!!私を殺してみせろ、勇者!!」
開戦の合図と共に、リュークの進撃は開始した。
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