第7話 私のために死んでくれませんか?

ここは闘技場の控室。死刑に振り回されるこの状況に頭を悩ませながらも、俺は武器が乱雑に入り混じった樽の中を漁っていた。


本当に半時前の出来事。面接の最中、突然、二度目の死刑執行を言い渡された時は、流石に顔が引きつってしまったものだ。それでも、何とか心は折れずに済んでいるのは、やはり無慈悲な断罪でなかった事が大きかった。


そう。騎士が俺に要求してきたのは一騎打ち。つまりは決闘だ。


「聞いているのですか、アゼル先生。ご存知ですよね?『エルドラド家』が何と称されているのか。」


そんな状況に苦悩する俺を無視して、先ほどから話しかけてくるレイシアがいる。


これから自身の恩師が死地へと向かうというのに、先ほどからレイシアは一切心配する素振りなどない。それどころか、いい加減痺れを切らしたと、そう言わんばかりの不満顔を向ける始末だ。


だから、そんな愛弟子を不敬を承知の上で無視を決め込む。俺も珍しく意地を張りたい時があるのだ。


「もう良いです。では勝手に続けます。」


子供のように拗ねる愛嬌満載の素振りは、大変可愛らしかったが、今日ばかりは心を鬼にする。


散々なじった挙句、師匠の首をその日に二度跳ねるような奴は、少し痛い目を見た方が良い。


当然、『エルドラド』の役割など周知の上だが、俺はそっぽを向いてやった。


「知っての通りかと思いますが。『エルドラド』の二つ名は『王国の守護者』、魔獣戦線の要です。」


どうやら俺からの返答を諦めたらしく、呆れ顔でレイシアは話を続けるようだ。


「問題なのは、今回の判決に最も早く異議を唱えたのが、『エルドラド家』という事です。正確には、貴族院の半数近くは先生の死刑保留に反対なのですが。」


流暢に淡々と話すレイシアだが、横目を覗かせれば、状況が芳しくない事は、その困り顔を見れば一目瞭然だった。


「そこで、もしアゼル・レヴァンネンに死刑を下さないのであれば、リュークは、当主の座に就かないと言いだしたのですよ。」


それはつまり……言い換えてしまえば、王国に忠誠を誓う騎士様が、主人に対して意見を申したってことだ。余程の理由がある事は、想像に難くない。


王家は余程困り果てた事だろうなと、俺は他人事のように顔を背けたかったが、そうはいかないのだろう。


相手は『エルドラド』。俺との因縁的な部分を考えると、当然衝突を避けられないか。


これは自分が犯した罪と向き合い続けなかった一つのツケなのだろう。


そして何より、あのリュークという騎士は恐らく……。


「先生、先に言っておきます。リュークは、」


やはり予想を裏切らず、改まったレイシアの声色は重々しかった。


先の勢いを失った躊躇いを宿す真剣な眼差しが、思わず目を伏せたくなるような想像を俺に強制させる。


そして、


「リューク・エルドラドは、クゥ・レオン・エルドラドの弟です。」


告げられる真実は、俺の心臓は容赦なく鷲掴んだ。


今は無き親友の名を聞いた時、この試練が自身の受けるべき罰なのだと腑に落ちてしまった。


「………最悪だな。」


思わず、汚い言葉がため息と混じった。


それと同時に、木製の椅子が立つことすら忘れた俺の身体を受け止め静かに軋む。


ああいう目をした奴を今まで何度も見たことがある。そいつらは決まって、何かを失った悲しみや怒りを晴らすために動いている。


つまりは復讐だ。


「そりゃ殺したくもなる。」


リュークにとっては、実の兄を裏切ったも同然だ。殺したいと思う動機は十分だろう。


クゥは……本当に良いやつだった。当時、『エルドラド』家当主の身でありながら、俺達、勇者パーティの柱として、旅を共にしてくれた唯一無二の親友だった。


きっと生きていれば、最強の王国騎士にでも、それこそ英雄『レオンハート』の再来とでも謳われただろう。


でもそんなことは……今となってはただの夢物語だ。だって俺の親友はもういない。


今頃、俺だけが幸せになるなんて間違ってる。そう思われたって仕方ないと思う。考えるだけで頭がとてつもなく思い気がして、俺は頭を持ち上げる気力すら失いそうだった。


だがそんな不甲斐ない師匠を前に、レイシアのため息が首筋に落ちた。


「先生。今、あの時俺が死んでいたらとか、俺に幸せになる資格なんてないとか、馬鹿なことを考えてますね?」


直後、心を見透かされた体が怯えるように小さく飛び上がる。


その様子を見てか、逃すまいと研いだ王女の眦は、容易に空気を凍てつかせて、身体を強張らせる。


「アゼル・レヴァンネン。」


いつも先生と呼んでくれた愛弟子の顔が見れない。ただ自分の名を呼ばれただけなのに、電流が伝うような緊張が走った。


「貴方はまた逃げるの?」


そこには、普段いたずら心を跳ねさせるレイシアの姿はなかった。


いい加減にしろと、怒気を纏いながら放たれた言霊の冷徹さに、俺はまた心を底に沈める。


「その場凌ぎの堕落にすがって、また不幸に酔うの?」


反論などできるはずがない。その全てが人生の汚点と呼べる事実だから。


「それで……貴方は幸せですか?」


(あぁ…きついな。)


やはり俺の愛弟子はよく俺の事を分かっている。


俺の浅い心理などとうに見透かされていたのだ。愛弟子が連ねた言葉の全てが、酔い覚ましの強烈な一撃のように思えた。


ただ頭が真っ白になった俺は、情けない魚のようにただ唇を上下させては、噛みしめる事しかできない。


そんな俺の頬に細く温かい手が添えられて。


「先生…」


視界の傍で揺れた金糸のようなしなやかな髪に誘われて、思わず落ちていた頭を上げた。


「私の事、ちゃんと見てください。折角の二人っきりですよ?」


愛おしそう囁くに見つめるラピスの瞳は、思考を魅力に染める事しか許さない。


柔らかい頬を走る親指が口元をなぞり、舌先に甘い指の感覚が走る。


「可愛い♡」


そこで初めて、俺は愛弟子に遊ばれていることを自覚した。


だからお望み通り、俺はその親指を甘噛むと、その様子を嬉しそうにクスクスと笑っている。


「いったぁ♡」


やはり……逆効果か?そう思い、少し歯形が残った指を放したところだった。


レイシアは名残惜しむようにその両腕を、今度は俺の首元に回す。顔を腹部に抱き寄せて、こちらの息を遮るほどに力強く押し当てる。


「あの……息、できないんだが。」


俺は堪らず上に頭をずらしてそう言うと、


「まだもう少しです。」


次は目線を遮るように頭を撫でられる。


ゆっくりと、静かに。そして、愛らしく。


俺は不甲斐なさに心を蹂躙されそうになったが、何とか余裕を装う。


「長い。」


「あら?嫌でした?」


「そうは言ってない。でも恥ずいんだが。」


「そういう素直なところ、私好きです。」


また遊ばれたと理解した時には、もう相当遅かった。


(今日も完敗だよ。)


いつもは拳を落としたくなるところだが……。


おかげさまで気は晴れた。


現状を嘆いたところで何一つ始まらない。俺は今、自分しなければならない事をしよう。


ただあの頃に止めてしまった足を少し動かすだけだ。


「レイシア、ありがとな。」


俺はそう言って、レイシアの手を取って立ち上がる。


「どういたしまして。」


これではどちらが師で弟子なのか分からないなと、レイシアの前で可笑しくなって、久々に下手糞な笑顔が転び出た。周りからは歪な関係に見えるだろうが、俺達はこの不思議な信頼関係でいいと思う。


俺にとって、レイシアは大切な弟子だ。だから、落ち込んでる暇なんかないだろ。


俺も受けた思いに全力で答えるべきだ。


「それで、俺はどうすればいい?」


そう素直に聞いてみた。


愛弟子にとって、未来の王家にとって、どの選択が最良なのか見極める必要がある。


これから先の王国の未来に、『エルドラド』を継ぐリュークの存在は必要不可欠だ。


だから俺が迷わなければならないのは、相手を叩くのか、斬るかの二択。


俺は樽から無作為に適当な武器を二種選択して、レイシアの前に差し出す。一つは木剣、もう一つは鉄の鉄製の両刃剣。


その二つの武器の違いは言うまでもなく、命を絶つ武器かそうでないかだ。


その2択にレイシアはご満悦な様子だが、素早く仕事モードに切り替わった。


「今回、リュークの相手は先生ならどうとでもなるでしょうが、一番面倒なのはやはり契約魔術ですね。」


契約魔術、それが俺がリュークと強制的に交わされた決闘のルールだ。内容は両者一方の命が尽きるまで、戦いは終われない。契約魔術が発動し、戦闘が始まれば確実に……。


「契約の隙はあるか?」


「ん〜それが契約の細部がかなり編み込まれてまして。何せ契約術師があのガイウスですから。」


「『アルス』の系譜か…。」


『ガイウス・アル・ウィンター』は大魔導と称される天才魔術師だ。王国より、アルスの系譜を拝命された英雄の一人。


そんな奴が作った契約書を破るとなると……想像したくないほど面倒なことになる。


俺達は考えた、否、考えるふりをした。


リュークは今後の王国のためにも殺せない。でもわざとらしく負けるだけでは、『エルドラド』の確執は拭えないだろう。


穏便な打開策のない状況に、俺は空を仰ぎ見たい気分になった。


「先生、これは大変心苦しいお願いなのですか、よろしいですか?」


「おう。何?」


愛弟子には考えがあるようだ。きっとあの聡明なレイシアなら俺の期待に応えて……。


「私のために死んでくれませんか?」


「……。」


やはりそんな事はなかった。だが正直、悲しいことに俺も同意見だ。


「お願い、せんせ?」


子供のころからその駄々のこね方は変わらないなと、俺は半分諦めてため息をついた。


「結構痛いんだよ、マジで。」


「無事生還した一緒に飲みにでも行きましょう♪」


よくもまあ軽々と言ってくれる。


でもいつの間にか、愛弟子もお酒を嗜める歳になっていたとはな。時の流れというのは本当に早い。


「さて。」


そうとなれば、俺も腹を括るとしよう。


俺は木刀を手にとって、感触を確かめる。


武器の具合を確認するのは、冒険者の頃の癖だ。刃先の凹みが少し目立つが、使い込まれたごく一般的な競技剣ってところだろう。


『エルドラド』相手に剣そのものが折れないかは、まあ使い方次第だ。


及第点として、俺はその一本を携えることにした。


リュークのことだ。王国騎士様は時間に厳しそうだし、もう決戦の場で待機していることだろう。


俺は準備運動を省いて、木剣と身軽な普段着のまま、控室を後にしようとしたが、


「待ってください。まだ私の問いに答えてませんよ?」


その時、レイシアに引き止められた。


問いとは一体何のことだろうかと考えると、確かに一つ応え忘れていたことを思い出す。


「そうだな……まぁまぁかな。」


俺はそこそこ幸せだとは言わずに、照れくささを隠した。


気遣ってくれる愛弟子に、田舎の生活と愛娘の存在。失ったものは大きいが、それでも俺はまだ生きている。


そして、俺は理不尽な闘技場へ向かった。これが罪を償う始まりになることを願って。

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