第11話 女性自衛官、峰
試合形式の練習は男子チームの得点で終了となった。自らゴールを決め、陸のさらなるサッカーの実力も発見し、満足気にコートから出てきた千代に、
「長谷川さん、ちょっと」
この日珍しく半蔵門高校で行われる練習に立ち会っていた女子サッカー部顧問、峰が千代を手招きした。普段は自衛隊での勤務があり、半蔵門高校での練習は男子サッカー部顧問の三浦に任せているため、高校のグランドに姿を見せることは稀である。今日も三浦に遠慮してか、部室用のブレハブ二階通路から練習を見学していた。その存在に気づいていない部員も少なくなかったが、千代を呼ぶ声で皆が部室の方へ振り返った。
「峰先生、降臨だ」
男子部員たちが滅多に見られない峰の姿に色めき立つ。しかし、レアという理由だけで彼らが騒いでいるわけではない。十年前に今の千代と同じくユース日本代表のフォワードとして活躍した峰は、欧米のトップチームからのオファーも受けていたが、試合中の大怪我でプロ入りを断念していた。怪我からしばらくして、アイドルやモデル事務所からスカウトあり、とスポーツ新聞で報道されるほどサッカーの実力だけでなく、ルックスの方も当時から評判になっていた。その容姿は自衛隊の地味な制服で過ごす時間が長い今でも衰えることはなく、男子サッカー部員の憧れの存在となっている。
「最後のポストプレーだけど」
千代にとっての峰は、男子部員とは違った意味で憧れの存在であり、その前に立つといまだに緊張してしまう。慌てて部室の前まで駆けていき、二階の手摺に両肘を乗せて見下ろしている峰の眼下に直立した。
「途中交代で入った男子、守備の圧力はそんなに強く見えなかったけれど、ポストプレーでは随分と体勢を崩されていたわね」
「はい、そうなんです。服部くんとは初めてのマッチアップなので、少し力みすぎたのかもしれません」
(はっとり?)
峰は現在総務課に配属されており、今年になって官舎に入居した家族が服部家だったのを思い出した。その一家の子息は半蔵門高校へ転入し、その手続きのサポートをしたのは峰である。
(もしかしたらその子なのかしら)
そんなことを気にしながら、
「あなたの言う通りなら、疲れが溜まっているか体幹が弱っているのかも」
峰の言葉に千代の顔に緊張が走る。
「それでも、それ以外のプレーでは問題がなかったから、調子は良さそうに見えたけれどね」
「はい、疲れはあまり感じていませんし、体幹トレーニングも毎日欠かさず続けています」
峰は千代の言葉を疑わなかった。自分の状態を客観視できることが千代の強みの一つであり、またトレーニングの手を抜かない真面目さはこの強豪サッカー部内でも群を抜いている。自分の怪我はオーバートレーニングが背景にあったことから、サッカーのプレースタイルだけでなく、取り組みの姿勢も似ている千代には同じ過ちを犯させまいと指導してきた。そのため、千代の状態に関してはやや過敏になっている自覚はある。
「背中に軽い接触を感じ、少し踏ん張ったところまで覚えていますが、気が付いたらバランスを崩して、ボールを奪われていました」
峰は千代の言葉を聞きながら、途中交代で入った服部という名の男子生徒の姿を探した。峰が手続きを手伝った一家の子かどうか分からないが、峰にとってサッカー部では馴染のない名前なので一年生なのであろう。男子サッカー部の一年生は遠いサイドのサッカーゴールを体育倉庫裏に移動中である。遠く離れた部室からでは一人一人の判別はつかない。
「そういうことなら、あまり気にしなくていいわ」
心配そうに見上げている千代に優しく言葉を掛けた。千代は峰に指摘されるまであの接触プレーをそれほど気にしていなかったが、改めて考えてみると、少し力んだ程度でバランスを崩すはずがない。峰は気にしなくて良いと言ってくれたが、千代はあの瞬間の不思議な感覚を思い出し、自分が体勢を崩した原因が気になってしまった。
サッカーゴールを男子部員の一年生八人がかりで体育倉庫裏まで運んでいる。陸はゴールポスト部分を持っていた。
「服部、長谷川からボールを奪うなんてすごいな」
試合形式の練習での陸のパフォーマンスが話題になっていた。
「一度ならず、二度までも」
「おまえ、その表現使いたいだけだろ」
「めったに使う機会ないからね」
「でも、本当に二回とも見事だったよな」
「その後のパスも良かったよ。あれは確か、蹴鞠だっけ、その技が活きてるのかい」
「先輩の怪我の状態次第ではこのままレギュラーかもよ」
陸にとっては、クラスでスイスからの転校生としてチヤホヤされるよりも、サッカー部で自分のサッカーのパフォーマンスを話題にされる方がうれしかった。ようやくサッカー部の一員になれた気がした。
「でも、先輩の代わりに服部が選ばれたのは、ちょっとした嫌がらせだったよな」
「三浦先生に理由を尋ねられた先輩は、服部が長谷川と一緒のクラスだからって説明していたぞ」
「どういうことだ。一緒のクラスだからって、何か意味あるのか」
「ないと思うから、嫌がらせじゃないのかってこと」
「服部はどう感じたんだ」
「先輩たちは長谷川さんに対しては遠慮をしながらディフェンスしていた気がします」
「まあ、女子チームのエースで、日本代表でもある長谷川に怪我をさせるのだけは避けたいからな」
「同じユースの日本代表エースストライカーだった峰先生は試合中に大怪我してブロの道を断念したんだっけ」
「そのおかげで俺達は峰先生を偶にとはいえ直接拝める特権に浴してる」
「それはそれとして、服部は全く遠慮なしだったよな。長谷川があんな風に手を付くところなんて見たことなかったよ」
「中途半端にやると、かえって双方に怪我のリスクが高まります」
「そういうものなのか」
陸は武術の練習で祖父や父とはいつも真剣勝負であった。
「女子相手にあまりコンタクトしすぎると、そのつもりでなくても、変な勘違いされないか気になるよな」
「特に長谷川が相手だとね。最初は守備でマークに付く先輩が羨ましかったけれど」
「なぜですか」
陸は同級生の部員たちの会話の意味が分からない。
「服部は長谷川のことどう思ってる」
その質問の意図も分からず、陸がきょとんとしている。
「スイスの基準ではかわいくないかい」
陸は日本で若い男性が女性に対してかわいいと言う場合、異性として魅力的という意味であることは知っていた。
「長谷川さんはきれいなのでスイスでも人気になると思います」
「お前はどうなんだよ」
陸は自分が日本の学校生活に馴染むために気にかけ、いろいろと世話を焼いてくれる千代のことを、母親や祖母、従姉妹たちと近い感覚で見ており、感謝の気持ちと親愛の情を抱くも、異性として見る気分はなかった。質問になんと答えるべきか分からず、まごついていると、
「長谷川は服部のタイプではないのかい」
陸はスイスの中学時代に何人かのガールフレンドがいたが、その
「特に好みのタイプということはないです」
と答えた。
「それなら、先輩たちの読みが当たったな」
「長谷川のことを意識せず、接することができるんだから、ある意味すごいよ」
「あれで背がもう少し低ければ、完璧なんだけどな」
「公称170らしいけど、すらっとしてるからもっと高く見えないかい」
「おれは十センチ背が低い長谷川もいいけれど、十歳若い峰先生の方がいいかな」
「峰先生だって長谷川とあまり身長変わらないぞ」
「その時点で半分の男子が対象外になっているからな」
「何の対象ですか」
陸の疑問に、
「スイスでは男の方が背が低くても平気なのか」
クラスでのやり取り同様、陸がいるかぎりどうしても話題がお国柄の違いになる。
「うちの母は父より背が高いです」
「日本では気にするんだよ」
「そう、日本の女子は自分より背が高いことを彼氏や結婚相手の条件にすることが多いんだ」
小柄な同級生が嘆くように呟く。祖父も祖母より少し背が低いことを思い出した陸は、また一つ日本の文化を学んだ気がした。そして、千代が学内で人気者であることもこの時に初めて知った。千代と一緒にいる時間が比較的長い陸だが、千代が異性にモテるとはまったく気づかなかった。それを同級生に伝えてみると、
「スイスでは堂々と人前で告白するのかもしれないけれど、日本ではこっそりするんだよ」
「体育館裏に呼び出したりとか、下駄箱に手紙を入れたりとか」
「それは知っています。アニメで見たことあります」
同級生たちは陸がアニメで日本の習慣を学んでいることを面白がった。
「皆さんも長谷川さんに告白したのですか」
陸の、やや空気を読めない問いに何人かの同級生が赤面したが、西陽を背にして陰となっている彼らの表情の変化は陸には分からなかった。
「そういうことは聞かないんだよ、日本では」
「そうそう。聞きたいなら、修学旅行の就寝時間まで待ちな」
「俺達は散々服部のこと根掘り葉掘り聞いておいて、自分たちのことは見事に棚上げだな」
そう言いながらゴールポストを下ろした一年生たちは着替えのために部室に走って戻って行った。彼らが近くでその姿を拝みたかった峰は、すでに学校を後にしていた。
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