第10話 初対決

 今日は九月になって初めて平日の練習でフルコートが使える日。ラグビー部が皇居の外周のランニングへ行くからだ。サッカー部とラグビー部は隔週金曜にお互いグランドを明け渡すことにしている。狭い半蔵門高校のグランドは月曜から金曜まで一日おきにサッカー部とラグビーが使用する日、野球部と陸上部の日がやってくる。グランドを使えない日はグランドの脇で筋トレをしたり、狭いスペースでボール回しのみの練習となる。隔週土曜日にも半日だけフルコートを使った練習時間がある。進学校でもある半蔵門高校は、勉強時間確保のため日曜日の練習は原則禁止であった。

 都の強豪校で全国大会にも出場した経験のある女子サッカー部は、水曜日と土曜日に近くの自衛隊市ヶ谷駐屯所地のグランドを使用させてもらっている。女子サッカー部の顧問は自衛隊女子サッカー部の現役選手が務めている。

 この特別扱いは、同じく自衛隊員が顧問やコーチに就いている柔道部と剣道部など限られた部活動が預かる恩恵である。近くの防衛省及び陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の協力が千代田区立半蔵門高校の特徴の一つであり、その環境を期待して志望する生徒も少なくない。

 ちなみに、全国で唯一区立の高校を持つ東京都千代田区には半蔵門高校の他に九段中等教育学校という中高一貫校が存在し、両校は同じ2006年に設立された。

 

 入念な準備運動を経て、試合形式の練習が始まった。日曜日に女子サッカー高校選手権の都大会準決勝が控えており、今日はその試合に向けた仕上げの練習となる。女子サッカー部は自衛隊のグランドで週二回フルコートの練習を行えるが、男子サッカー部は月に数回しかフルコートが使えない。男子も来月には都大会予選が始まるので、貴重な実践形式の機会であった。

 女子サッカー部では大学受験を控えながら三年生もこの大会までは引退せず、部活動を継続している。全国大会に出場できれば、共通テスト直前の年末年始まで試合に出場することになる。都内の有力選手が集まり、三年生がまだ現役で活躍する厚い選手層の中、千代は一年生ながらセンターフォワードのレギュラーとしてセンターサークルの中に立っている。陸はボール拾いとして、一番ボールが飛んでくるゴール裏にいた。

 パスワークと俊敏性で勝る女子チームが試合を支配しているが、男子チームは唯一の優位点であるフィジカルの強さでなんとかその攻めを凌いでいた。男子チームは攻守で連動した動きが少なく、適切なポジションをとれていない。そのため、攻撃が続かず、守備にまわる時間が長くなっていた。ディフェンスを背負いながら千代がくさびのパス(前線への縦パス)を巧みにキープした。フェイントを掛けてディフェンスのマークをかわすと、サイドへ展開(広いサイドにパスを送ること)した。ほぼフリーの状態でセンタリング(サイドからゴール前へのパス)が上げられ、そのボールに千代がヘディングで合せて、ゴールを決めた。千代中心に喜ぶ女子チームの足元で、男子部員が一人倒れていた。へディングで競った時ではなく、最初のくさびのパスで千代にブレスを掛けた際、フェイントで交わされ、足首を捻ったセンターバックのレギュラー田中である。

 貴重なフルコートでの練習時間のために、負傷した選手はすぐにおぶられてコートの外に出された。男子サッカー部顧問の三浦は、二年生の主将にだれを代わりに入れるか相談した。半蔵門高校男子サッカー部の特徴は部員の自主性尊重である。試合中の選手交代も生徒主導で、主将は何人かの部員と言葉を交わしてから

「服部にします」

と答えた。三浦はその人選に怪訝な表情を浮かべたが、時間が惜しくて、

「服部、どこだ。すぐにセンターバックのポジションへ入れ」

 三浦の指示にまさか自分が呼ばれると思っていなかった陸は慌ててゴール裏からコートに入った。

「なぜ、服部なんだ」

 三浦は主将が最初に声をかけたディフェンスのポジションもこなす二年生の控え選手に近寄り、人選の理由を尋ねた。三浦はてっきりこの部員が代わりに入るものと思っていた。

「服部は長谷川と同じクラスなので、長谷川に対して遠慮無くやれそうという理由です」

「田中の怪我は遠慮のせいか」

 三浦には少し言い訳っぽく聞こえた。

「男子相手のように全身での激しいチャージは行きづらいですよ」

「それは服部でも同じだろう」

「彼、育ちだし、あまり気にしないかなって。それに長谷川は服部のお世話係らしいので、長谷川の方がちょっとは遠慮するのも期待して」

 失点を受け、男子チームが攻勢に出ていたが、三人目の動き出し(パスを出す人と受ける人以外にそのパスに連動して動く人)がなく、単発の仕掛けのみでは、マークの受け渡しもスムーズな女子チームの守備はなかなか崩せない。女子チームがパスをインターセプトする(途中で奪う)と、センターライン上のサイドライン際に張っていた(パスを待ち構えていた)千代の前方に山なりのパスを出した。オフサイドライン(キーパー以外で一番後ろにいる守備側の選手の位置で左右にひいた線、そこよりキーパー寄りで待ち構えてパスを受けることはオフサイドという反則)をしっかり確認してから千代は素早く駆け上がり、そのパスを巧みにトラップする。前掛かりとなっていた男子チームの守備は完全に後手に回ってしまった。

 千代は五十メートル走を6秒台で走る脚力があり、男子部員はみな千代を追うのを諦め、キーパーに任せた。しかし、一人だけ猛然とボールと千代に迫っていく選手がいる。

「千代、後ろから来てる」

 チームメイトの声に千代はドリブルのスピードを緩めず顔を上げると、陸がすぐ近くに迫ってきていた。フェイントでかわそうと千代が動きを緩めた一瞬に陸は脚を伸ばしてボールを弾き、サイドラインを割った(コート外にボールが出た)。千代はすぐにボールを拾ってスローインしようとするが、千代が一人でゴールまで持ち運ぶと思っていた女子チームは誰もすぐにパスを受けられる位置に上がっておらず、速攻にはならなかった。

「サンキュー」

「ナイスカバー」

 さらなる失点を覚悟していた男子部員たちから陸のプレーに感謝の声が掛かる。と同時に、

「服部は結構速いんだな。いつもはのんびりしてるのに」

 驚きの声も聞かれた。もともとおっとりした性格の陸だが、まだ日本に慣れておらず、周りを見てから行動を取ることが少なくないため、のろまな印象を受ける人が多い。教室では千代が適切なタイミングで分かりやすく次に必要なことを教えてくれるが、そんな恵まれた環境は期待できない男子サッカー部で陸は愚鈍なイメージを抱かれていた。

 スローインからボールを保持する女子チームは、後ろでボールを回しながら、男子チームの隙を窺う。広くボールを動かされた男子チームは、守備陣形が崩れかけた。先制点と同じように、ディフェンスから千代にくさびのボールが入った。陸が千代のマークにつく。千代は背後からの圧力に備えて両足に力を入れ、どちらにボールをはたくか首を振って左右を確認した。陸はそれほど激しい圧力を掛けていないが、千代は重心を失い、めずらしくポストプレー(ゴールに背を向け、後ろから出されたくさびのパスを受ける動き)中に体勢を崩した。それでもボールをなんとかキープしようと踏ん張った両足の間に背後から陸の脚が伸びてきて、ボールを弾かれてしまった。

「ナイスディフェンス、服部」

 強豪チームとの試合ならいざ知らず、普段、千代のポストプレーでボールが収まらないところを見たことがないチームメイトはこぼれ球に誰も反応できていない。ボールの一番近くにいるのは、千代と陸であった。千代は手をつくほどバランスを崩しており、すぐに起き上がれない。その脇を陸がすり抜け、こぼれたボールを難なく回収した。そのままゆっくりとボールを運び出す(ドリブルで進める)と、女子チームがきれいにディフェンスラインを揃えて待ち構える中、比較的マークが薄くなっていた右サイドの味方に鋭いパスを送った。やや強いパスだが、トラップしやすいよう逆回転で足下に届く。一転、男子チームの速攻の形となり、パスを受けたウイングの選手がドリブルで少し前に持ち出し、センタリングを上げた。マークに付いていたディフェンスの女子選手に当たったが、強く蹴ったボールは勢いを殺され、ふわりと上り、ちょっどディフェンス二人に挟まれた男子チームの長身フォワードの胸に収まる。胸トラップから足下に落とされたボールをフォワードの選手がゴールに思い切りよく蹴り込んだ。

 現行の一二年主体のチームになってから、フルコートの試合形式で男子チームが流れ(セットプレーや相手のミスでなく、自分たちのパス回しやドリブルでの攻撃)の中で奪った初めての得点だった。そのため、男子部員が大騒ぎしている。それを知らない陸は、ゴールを見届けると、まだ蹲(うずくま)っている千代を起こしに戻った。

「大丈夫ですか」

「うん、大丈夫。ありがとう」

陸に引き起こされた千代は、

「足、速いのね」

サイドに張ってパスを受けた後に陸に追いつかれたプレーのことに触れた。

「コースを予測できたからです」

 千代はボールをトラップしてから一直線でゴールに向かっていた。味方の上りを期待できない状況で、サイドからセンタリングを上げる選択肢はなく、パスが出た瞬間から自らシュートを撃つつもりでいた。パスが千代に出されたのを見て、陸は千代がパスをトラップしそうな地点とゴールとを結ぶ直線に向かって最短距離で駆け出し、そこで千代からボールを奪った。

「最初のトラップを前にではなく、もっと中寄りにボールを置かれていたら、迷ったかもしれません」

そのトラップは千代の思い通りのもので、技術的なミスはしていない。しかし、陸の指摘の通りにトラップしていれば、ドリブルのコース選択が増え、陸にとって最短距離で千代に追いつくことはできなかったかもしれない。千代はそのアイデアを自分で思いつけなかったことを悔やみつつ、

(服部くんはサッカーに対する理解も深いんだ)

と感心した。そんな相手と練習ができれば、自分はもっとレベルアップできるはず。大切な公式戦前の練習でゴールを決めたことよりもこれからの練習の質が高まる期待に笑みがこぼれた。

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