第14話 女子サッカー部都大会決勝週

半蔵門高校女子サッカー部は、先週、エースストライカー千代のハットトリックの活躍で、準決勝を勝ち上がり、今週末にはいよいよ冬の選手権(全日本高等学校女子サッカー選手権大会)出場を懸けた決勝戦に臨む。そんな大事な週の半ば、今日は半蔵門高校のハーフコートだけ使える日。女子サッカー部にとって重要な試合の前になると、男子サッカー部は女子チームにコートを半分とはいえ、すべて譲っているのだが、今日はいつもの男女混合の練習が行われている。これは女子サッカー部顧問、峰の要望によるもので、男子サッカー部は女子チームの仕上げに違う意味で全面協力することになった。

陸と千代のクラスでも女子サッカー部がもう一勝すれば、全国大会に出場できると知り、千代が部活の練習に少しでも専念できるようにと、今週からクラスメイトたちが千代たち学級委員に任せきりのクラスの仕事を手伝うと申し出ていた。普段なら、そんな申し出は感謝しつつも断ってしまう千代だが、素直にクラスメイトの好意を受け入れていた。いつもは千代に圧倒され、存在感が薄い男子のクラス委員もここぞとばかり慣れないクラスメイトたちに仕事を説明しながら、張り切って提出物を集めたり、職員室を往復している。

もう一つ、陸と千代のクラスでこれまでと違う景色が見られた(いや、見られないといった方が正しいか)。授業後に教師を捕まえ、質問攻めしている千代の姿がなく、少し寂しそうに教室を後にする教師たちの後ろ姿がある。特に男性教師たちは千代から質問を受けるのを楽しみにしているだけに、業間は席で静かに休んでいる千代を見て、これが大事な試合前に限った一時的なものであったほしいと願いながら職員室に戻るのであった。そして、千代は6時間目終了のチャイムがなると、誰よりも早く教室を飛び出していく。陸は先週市ヶ谷駅での千代とのやり取りを思い出し(当然ながら、陸がその翌日に千代から昨日の話はなんだったと聞かれることはなかった)、千代が一時的かもしれないが、部活以外の活動で少しペースダウンしていることにホッとしてした。あらゆる学校生活で一切手を抜かない千代を見て、陸は強い不安を感じていたからだ。いつかその無理がなにかトラブルを引き起こすのではないかと。

サッカー部の練習の合間にとられた給水時間に、陸は日本でのお気に入りである、軟水の富士山の天然水(スイスでは硬水のミネラルウォーターを愛飲していたが)をペットボトルから口に含みつつ、今週になって起きた千代に関わるいくつかの変化を思い出していた。

(その分部活での長谷川さんの気合がいつも以上だ)

いつもはハードな練習でも故郷アルプスのような涼やかさを失うことがない陸だが、

「服部くん、もっとタイトにマークして。変な遠慮はしないで」

休憩前の最後のプレイで千代から珍しく強い口調で求められたとなれば、陸としても休憩後の練習で一段ギアを上げざる得ない。

千代からすれば、決勝の相手、全国大会常連の一文字学園は、それだけ手強い相手ということである。先週陸に言われた、無理をしないで、という言葉を受けて部活以外の活動を抑え気味にしたわけではない。あくまで部活の練習に備えてのことである。いまだ陸の言葉の意味も、陸との接触で簡単に倒れてしまった原因も答えは見つけられていない。どちらもサッカーにも関わることなので、気にならないわけではなく、朝夕の通学中や業間休みにはそのことを考え続けていた千代だが、部活が始まりさえすれば、切り替えて、練習に集中できるのが千代の強みである。

 決勝の対戦相手には千代同様ユース代表に選ばれるディフェンダーがおり、その守備陣は組織的な守備でも、個人の守備能力でも全国トップトップクラスと評価されている。先週のハットトリックで大会得点王に躍り出た千代に対するマークは相当にきつくなり、千代といえども簡単に得点は決められないことが予想される。

 今日は、その対策として決勝の試合でも想定される千代に対し二人のディフェンダーがマークに付く状態で千代がパスを受け、そこからいかにシュートまで持っていくかの練習が行われている。ディフェンダーの一人は、二年生のレギュラー田中の怪我により陸が引き続き代役を務めている。これまでの練習でも、千代の素早い切り返しやフェイントについていけるのは陸だけであった。田中の怪我が癒えていても、千代や峯の指名で陸が練習相手に選ばれていただろう。その陸が千代の動きを封じて、もう一人のディフェンダーが千代の保持するボールを奪おうとする中、千代がいかにシュートを撃つか。もしくはフォローに来た味方に一度ボールを預け、その間に千代がマークに付くディフェンスを振り切り、よい態勢でパスを受け直す動きをできるか。そういった意図の練習である。

「守備陣も、攻撃陣もよく見て、自分の動きの参考にするように」

 珍しく練習に立ち会っている男子サッカー部顧問の三浦が練習の冒頭に男子サッカー部員にそう声を掛けていた。千代と陸以外は、常に人が入れ替わりながら、この練習を繰り返している。コート内の練習に参加しない女子部員はボール回しをやっており、男子部員は外に出たボールをすぐに戻せるようにゴール裏を中心にコートの周りを囲んでいた。

都大会の決勝の週とはいえ、女子サッカー部の顧問である峰は自衛隊での勤務があり、半蔵門高校での練習を指導できない(先週は偶々外出の用事があり、峰の上司の計らいで帰りに半蔵門高校に寄り、練習を見学できただけであった)。峰は昼休みに三浦と今日の練習内容を協議し、男子サッカー部との合同練習を依頼していた。三浦が部活に立ち会うのは、峰からの依頼がある時か、峰が来校する時に限られる。それを知っている男子部員たちは、今日も峰が半蔵門高校に降臨するかもと微かな期待を抱きつつ、練習に臨んでいた。

 給水を終えた千代がいち早く自分のポジションに立つ。それを見てもう少し休みたかった他の部員たちも小走りで自分たちのポジションに戻っていった。

「しかし、相変わらず長谷川はタフだよな。あんなにハードなコンタクトの練習を交代なしで続けるなんて」

 コートの周囲を囲む男子サッカー部員の一人が隣の部員につぶやいた。

「タフと言えば、千代は陸上部よりタイムいいらしいよ」

「なんのタイムさ」

「1500メートル走も3000メートルも。あっ、たしか100もだったかな」

「まじかよ。3キロなんていつ計ったんだよ。陸上部でもないのに」

「中学の時、助っ人で駅伝の大会に出たって話だから、その時かも」

「やっぱ、日本代表はレベルが違うね」

 千代の持久力やスピードに感嘆している部員たちに、別の部員が話しかけた。

「長谷川がすごいのは、みんな知っているけれど、服部もずっとこの練習に入ったままだぞ」

 「田中先輩はまだ怪我が治っていないし、男子でも長谷川と対等にやれるの服部しかいないからね」

「確かにそうなんだけど、あいつ、普段はどちらかというと抜けているというか、俊敏な印象は全くないのに、長谷川の動きに完全についていけるのは謎だよな」

「服部はそんなにハードな守備はしてるように見えないのに、不思議なことに長谷川の動きを止めちゃうね」

 「最初は、いきなり練習に入った服部に気を使って、長谷川が手抜きしているかと思ったけれど、さすがの長谷川もこの大事な時期にそんなことするはずないか」

 顧問の三浦は千代や陸たちの動きを参考にするようにというけれど、男子サッカー部員にとっても千代の鋭い動きはとても真似できないし、陸に至っては何を参考すれば良いか、見ていても見当がつかなかった。

「さすがの長谷川も膝に手をついているような時でも、息上がってないんだよ、服部は。練習を見てないと、サボってたのかって勘違いしそうなくらい」

「服部は転校生だから、一人で体力テスト受けてたけど、持久走や100メートル走のタイムはどっちも俺よりも遅かった」

 千代のすごさはその身体能力のデータでも納得がいくが、陸が千代を止め続けてしまう理由が分からない。

「あいつ疲れに関しても鈍感だから、きつい練習も続けられるんだろう」

「高地のスイス育ちの服部には東京の空気が濃いから、俊敏で疲れないんじゃないか」

 サッカー部の同級生たちも冗談を言ったり、適当な推測を口にしながら、練習を眺めていた。


「あっ」

 練習を見守る部員たちから一斉に声が上がった。千代が腿を抱えて倒れ込んでいる。

「長谷川、大丈夫か」

 男子サッカー部顧問の三浦が血相を変えて駆け寄る。全国大会の出場がかかる都大会決勝前の女子チームを一時的に預かる三浦にとって、女子部員の、特にエースストライカー千代の練習中の怪我だけはなんとしても避けたく、徐々に強度が強まる千代のプレーを見て、ヒヤヒヤしているところだった。

「服部、強く当たりすぎでないか」

 つい千代をマークしていた陸を責めた。

「すみません」

 陸は屈んで千代の表情と千代が押さえている腿を確認しながら、そう答えた。千代が倒れた原因が自分とは思っていない陸であったが、日本ではまずはお詫びを伝えるべしと祖父から言われている。

「なにが起きたんだ」

 話し込んでいて、千代が倒れる瞬間を見ていなかった男子部員が隣の部員に尋ねた。

「パスを受けた長谷川が後ろからプレッシャーを掛ける服部を背中と腕で押さえ込んで、預けた体勢を活かしてターンしようとしたら、バランスを崩したみたい」

 倒れ込んだ千代を陸はとっさに後ろから抱え込んで、優しくグランドに横たえたのだが、

「服部君が練習のどさくさに紛れて、後ろから千代に抱きついたからじゃない」

 女子部員から陸の行為を非難する声があがった。見る角度やタイミング、そして立場で見え方が分かれている。

「大丈夫です」

 千代が両手をついて上体を起こし、一呼吸おいて立ち上がろうとした。その様子に皆がホッと胸を撫でおろす。しかし、陸は手で千代の肩を軽く押さえ、千代が立ち上がろうとするのを妨げた。

「無理に立つと、怪我が悪化します」

 心配してくれる陸を千代は睨みつけ、右手だけで体を支えながら、

「離して、怪我なんかしていない」

 左手で陸を突き放した。

 


 

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