第3話 蹴鞠

 転校初日の授業が終わると、担任の教師が教室に入ってきた。

「長谷川、部活の案内はお前がするか。練習忙しいなら、他に頼んでもよいぞ」

 教師はだれか適任者はいないかと教室に残っている生徒を見回した。

「服部君はサッカー部に興味があるので、男子サッカー部に私が連れて行きます」

 千代はうれしそうに答えた。

 日本の高校生活における部活動の重要性、そして、この半蔵門高校の各部の活動状況を事前に調べた陸は、いくつかの部活を見学してから入部先を決めようと思っていた。

「まだ、」

「なんだ、服部はスイスでサッカーやっていたのか。それなら話が早い。長谷川、頼んだぞ」

 担任の教師は、自分の声と被ったせいで陸が何か言いかけたのに気付かず、そう決めつけると、忙しそうに職員室の方で戻っていった。

 陸が何より優先したいのは、できるかぎり一般的な日本の高校生活を送ることである。それは祖父からの指示でもあった。確かに日本の高校でサッカー部は人気らしいが、半蔵門高校のホームページを見る限りでは、女子サッカー部は強豪校だが、男子サッカー部はそれほどではなく、eスポーツ部などの文化系の部活動が活発なようである。校庭の狭さを見て、半蔵門高校で体育系の部活があまり盛んでない事情が陸にもすぐに理解できた。

 陸はいつか日本に帰国することを見据え、祖父と父母の許可を得て、ビデオゲームを子供の頃から、敢えて日本語版で遊んでいた。高校のクラスメイトとゲームの話が盛り上がっても、その会話に付いていく自信がある。好きなゲームはスマブラ(ニンテンドースマッシュブラザーズ)、ウイニングイレブン、フォートナイトという日本の中高校生に人気のゲームということにしている(本当に好きなのは将棋とシミュレーションゲーム)。ネット対戦する際も時差の壁を越え、できる限り日本人とやってきた。それだけに実はeスポーツ部こそ陸の本命であった。

 陸と千代も教室を出た。廊下を歩きながら、

「部活は一つしか所属できないのですか」

 陸が千代に質問をした。陸が事前に調べた限りではそのことに関して明記されている情報はなかったが、いろいろな情報を総合すると、その可能性が高い気がしていた。

「海外ではシーズンによってメインでやるスポーツを変えるって聞いたことあるけれど、服部君はサッカー以外になにをやっていたの」

 スイスであれば、ウインタースポーツが盛んなはずで、陸もスノーボードやスケートをやっていたのだろうと千代は想像した。それならば、東京の学校ではやはりサッカーをやるしかないはずと、陸に関する限られた情報から千代なりに推察したつもりである。

「いろいろとやっていました。それで、できれば、ほかの部活にも入りたいと思っているのですが」

「日本の高校では基本的に一つの部に入って、その競技で全国大会を目指すのが一般的よ」

(一般的、ということは、できなくもないが、やはり普通の高校生はしないということか)

 日本でできる限り多くのことを体験したい陸は少しがっかりした。

「そういうことであれば、今日はサッカー部を見学して、明日からは他の部をいくつか見た上で決めたいと思います」

「えっ、そうなの。サッカーがすごく好きそうだったから、一つに絞るならサッカーかと思ったのに。だって、ウインタースポーツの部活はうちにはないわよ」

 昇降口でスリッパから靴に履き替えながら、千代が意外そうな表情で首を傾げた。スノボやスケートは楽しむ程度の陸も千代がなぜいきなりウインタースポーツのことに触れたかわからず、考え込んでいた。


 二学期初日に体育の授業はなく、陸は運動用の着替えを持ってきていない。練習には参加せず、見学することにした。千代は男子サッカー部のマネージャーに事情を説明して、彼女に陸を引き渡すと、自分の着替えのために部室へ軽やかに走っていった。

 この男子サッカー部のマネージャーは二年生である。一年生のマネージャーは今年男子サッカー部には入部していなかった。高校では転校生自体珍しい上に、さらに海外から引っ越してきたということで、陸に対しあからさまな興味を示した。

 「服部君、スイスから来たんだ」

 サッカー部に関する説明はほどほどに、陸にスイスのことをいろいろ質問してくる。陸がそれらの問いへ丁寧に答えているうちに、いつの間にかサッカー部の練習が始まっていた。

「一緒にやるのですか」

 ストレッチやランニングに続くパス練習の様子を見て、陸が驚いた。

「そう、半蔵門高校の特徴なの」

「ふつうは別々ではないですか」

「たしかにレアかもね」

 男女が混じってボールを蹴っている。

「これがうちの女子サッカー部が全国レベルの強豪校である理由の一つよ。でも、真似をする高校はないわね」

「どうしてですか」

「女子サッカー部が強い高校は、女子高か、男子サッカー部も強いからじゃないかしら」

「男子が強ければ、なおさら一緒に練習した方がよいのではないですか」

「女子と一緒の練習では、強豪の男子サッカー部にとっては物足りないのよ。うちは男子が大して強くなくて、上を目指してないから、女子に付き合っても問題ないの。それに男子部員はそれほど多くないし、校庭も狭いからね」

(そんな特殊な部活に入ったら、普通の日本の高校生を体験しにくくなる。やはり明日はeスポーツ部を見学して、問題なければ、そのまますぐに入部しよう)

 マネージャーの説明を聞いて、陸は改めてそう決心した。練習を見学していると、フィジカルでは男子部員に分があるが、ボールの扱いなど技術的な面では男女の差がほとんどない。その中でも一人の女子部員の動きが際立っていた。

「あの人はとても上手いですね」

 陸が特にどの部員と示さなくとも、マネージャーには伝わったようで、

「千代は日本代表だから」

「あれは長谷川さんですか」

「練習中は髪をお団子にしていることが多いの。普段とは印象がだいぶ変わるかもね」

 セーラー服を着て、隣の席に座っていた千代は前髪を垂らし、ストレートの黒髪が肩にかかっていたが、トレーニングウエア姿の彼女は髪を後頭部でまとめて留めているため、別人に見えた。たしか、今朝最初に受けた千代の印象もまさにアスリートのものであった。それを思い出すと、千代の全く別人のような二つの印象が陸の頭の中で同一人物として重なった。

 シュート練習で男子キーパーのグラブを弾く強力なシュートを決めた千代は、男子チームに入っても、エースストライカーが十分務まるほどの存在感である。その躍動感ある動きに見惚れていると、陸の足元にミスキックのボールが転がってきた。学校指定の黒い革靴を履いていた陸だが、ボールを足の甲に載せると、右足の甲だけでリフティングを始めた。

「へえー、結構うまいじゃない」

 陸の姿勢の良いリフティングにマネージャーが感嘆の声を上げる。

 制服を汚すと、母に怒られそうなので、リフティングをしながら、ズボンの裾をずり上げ、ボールが当たらないようにした。つま先、かかと、足の内側、外側を満遍なく使いながら、高く蹴り上げたり、ボールに回転をかけたりして、ボールが一度もそれることなく、右足だけでリフティングを続けた。

 気が付くと、シュート練習が終えた男女のサッカー部員がみな陸の周りに集まっていた。

「だれなの、けっこううまいじゃん」

「うちのクラスの転校生です」

 その輪へ最後に合流した千代が嬉しそうに答える。

「ちょっと、こっちにパスしてみて」

 上級生と思われる男子部員が陸に声を掛けてきた。陸は、一度胸の辺りまでボールを蹴り上げ、タイミングをとってから、山なりの優しいパスを送った。パスを受けた部員がトラップから一度リフティングを挟んで、陸にパスを返した。

「しまった、ごめん」

 パスがライナー性で飛び、しかも少し横に逸れた。陸はボールが逸れた側とは逆側の足を回し蹴りの要領で伸ばし、かかとにボールを当て、柔らかくトラップしたかと思うと、一度ボールを頭の上まで蹴り上げ、態勢を整えてから右足で先ほどと同じように柔らかいパスを同じ男子部員に返した。ボールは相手の腿に当たって、グランドに落ちた。

「すみません」

 陸が謝った。

「いや、パスは全然まずくないよ。それより、お前すごくないか」

 その男子部員は陸の足技に見とれて、パスを受け取れなかっただけであった。他の部員もみな衝撃を受けていた。

「プロレベルじゃない」

「いや、メッシかと思ったよ」

「何者」

「スイスのジュネーブからの転校生よ」

 先ほど陸に質問攻めで得た知識でマネージャーが答える。

「スイスではどこかのクラブのユースに所属していたのかい」

「スイスの強豪クラブってどこだっけ」

 部員たちはサッカー部とはいえ、スイスのサッカー事情には詳しくはない。

 図らずもみなの注目を集めてしまい、焦った陸はなんとかごまかさなければと、サッカーとは縁がないことを強調しようとした。  

「今のはサッカーではないのです。蹴鞠です」

 しかし、その言葉はみなの関心に拍車をかけた。

って、小さい女の子がするやつか」

「あれは、だろ」

「平安貴族がやってたやつじゃないか」

「それって、サッカー日本代表のエンブレムのカラスと関係あったよな」

(蹴鞠はなぜサッカーと結びついてしまうのだろう。このままではここに入部することになってしまう)

「実は、我が家は代々蹴鞠を伝統芸能として継承しています」

 蹴鞠には平安貴族が確立した宮廷での蹴鞠と江戸時代に庶民文化として広まった魅せる曲芸的な蹴鞠があり、服部家にはどちらも伝承されていた。ちなみに、前者、宮廷での蹴鞠では右足だけを使う。

「えっ、スイスでかい」

「そ、そうです。最初に海外移住したご先祖様が鞠を持って行き、それが今でも我が家に伝わっています。スイスでも祖父とよくやっていました」

 転校生から巧みなボールタッチを見せられ、驚かされたサッカー部員たちは、そのテクニックの由来がまさかの蹴鞠と聞かされ、さらに驚き、みなが興味津々の表情となる。

(蹴鞠の説明をしたせいで余計に関心を引いてしまった。目立つことは避けたかったのに)

 後悔というより日本語での説明の難しさに顔を曇らした陸に、

「朝、答えてくれたボール蹴りって、蹴鞠のことだったの。でも、これはサッカーにも絶対役立つわよ」

 いつの間にか人垣の一番前に出てきていた千代が目を輝かせている。

「そうですか」

「スイスでもサッカーはしていたんでしょ。その時にはそのボール捌きのスキルは活かさなかったの」

「キーパーをやることが多かったので」

スイスでサッカーをやる時は、小柄ながら俊敏性と動体視力の良さでキーパーを任されることが多かった陸が答える。

「ねえ、もう一回なにか見せほしいな。蹴鞠ならもっとすごい技とかあるんじゃない」

 マネージャーが陸にリクエストしてきた。これ以上目立ちたくない陸であったが、

(ここで断ると、かえって印象に残ってしまうのではないか。それよりさっとやって、幕引きにする方がよい気がする)

 覚悟を決めた陸は、目立つにしても最低限にしたいと、曲芸の蹴鞠からそれほど難易度の高くない技能を見せることにした。こちらは両足を使える。

「では、ボール二個でやります」

 三個まで同時に扱える陸は、ボールをもう一つ受け取ると、双方のボールの感触を確かめるようにそれぞれのボールで何度かリフティングしてから、一つのボールを高く蹴り上げ、その間に手にしたもう一方のボールをさらに高く蹴り上げた。二つのボールをどちらも地面に落とすことなく、交互に蹴り上げ、時に頭を越して、かかとで蹴り上げると、拍手と歓声が起こる。陸は制服のズボンをできる限り汚さないように気を付けながら、比較的単純な技を組み合わせて芸を披露した。三分ほどの蹴鞠のパフォーマンスを終えると、大きな拍手が送られ、陸はお辞儀で応えつつ、もう二度と学校ではボールを蹴るまいと心に誓った。

 

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