第11話

「婚約破棄はお約束なの」

「分かってる………。だから僕、考えたんだ」


 いまにも泣きそうな顔で追い詰められた表情をする彼に、アリシアは申し訳なく思う。でも、これも全てヨハンのためだと飲み込んだ。


 アリシアは彼に“執着”している。


 アリシアが感情を持った者は、みんなアリシアの側で亡くなった。

 だからこそ、アリシアは人に感情を抱いてはいけない。懐いてはいけない。執着してはいけない。この恋のような心は綺麗に隠して、どこか遠くに放り投げなければならない。


「婚約者じゃなくて、僕のお嫁さんになってよ」


 なのに、ヨハンはくしゃっと笑ってそんなことを言う。

 アリシアが弱いきらきら輝くような、お月さまみたいな笑みを浮かべて、アリシアの手を取る。

 今日だって、何度も何度もアリシアの側にいて、アリシアを庇ったせいでお洋服がたくさん汚れて、その挙句シャンデリアに潰されて死にかけたのに。


 アリシアに何度も殺されかけたはずなのに、ヨハンは無邪気にアリシアに笑いかける。彼は知らないだろう。そんな彼に、アリシアの心が何度も何度も救われたことを。


「はい?」

「君との約束は、死んでも、怪我をしても、不運になっても、君が責任を取らないこと。捨てるときはこっ酷くぼろぼろに捨てること」


 最後の1項目を言う前に、ヨハンは深く息を吸った。


「ーーーそして、君に好きなひとができたら婚約者じゃなくなることだ」


 ひゅっとアリシアは息を飲み込んだ。

 確かに、彼とアリシアの約束はアリシアに好きな人ができた時、婚約者ではなくなるという約束だった。でも、それはこのためのものじゃない。これは、彼を救うためのもので………、


「僕は望んで不運に飛び込む。君の不幸ごと君を愛する。だから、僕を好きになって。僕だけを見て。お願いだから、僕を、………置いていかないで………………」


 迷子の子供のようにアリシアの両腕を掴んで床に崩れ落ちたヨハンに、アリシアは変な汗をかくのを感じた。


(どこで失敗したの。どこで間違えたの。これじゃあ彼のことを守れないの。解放できないの。どうすれば、どうすれば………!!)


 アリシアのそばに数人の少女が寄ってくる。

 彼女たちは、公爵家、侯爵家の娘で、アリシアの友人で、アリシアの本当の気持ちに気づいているご令嬢たちだ。


「アリシア王女殿下、少しは素直になられた方がよろしいのではなくて?」

「っ、」


 アリシアはご令嬢に言われて、アリシアの下に崩れ落ちている彼を見つめた。婚約破棄をするために必死にロマンス小説を読み漁り、婚約破棄をしようとして、その度に悲痛な顔をする彼を何度も何度も見てきた。彼に婚約破棄未遂をされるたびに、心がズキズキと傷んだ。

 でも、これは彼のために必要なことだと思えば耐えられた。なのに、今彼はアリシアの足元で泣いている。ぽろぽろと涙を流すヨハンを初めて見た。


 ヨハンは我慢強い義兄だった。


 どんな時も正義感が強くて、痛くても苦しくても悲しくても、絶対に泣き言を言わない人だった。感情を表さない人だった。


 そんな人が泣いている。

 アリシアが泣かせた。


「逃げることは、目を逸らすことは、負けることと同義でしてよ」


 誰よりも負けることを恐れるアリシアに、ご令嬢は言う。

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