第9話

▫︎◇▫︎


 アリシアはとても賢い少女であった。


 王家の娘としての教育を受け始めて1ヶ月で公用語の読み書き、計算、簡単なマナー、そして貴族の礼儀についてをマスターしてしまった。


 異例な出来事であった。


 その修得の早さに、不気味な無表情に、貪欲に学び続ける姿に、周囲はアリシアを恐れた。


 それに何より、アリシアの不幸体質を恐れた。


 アリシアのそばにいる人間は必ず不運に見舞われた。

 ヨハンは常に何かを被ってしまって汚れていたし、怪我をすることもあった。それなのに、彼はいつもアリシアのことを優しい瞳で見つめていた。

 アリシアはそんな彼に素っ気ないながらも、他とは違う反応を見せいていた。


 不幸体質でありながら、それをも上回り、国に重宝される頭脳を持つ天才的王女。

 彼女が国政に携わるようになってから、この国には常に幸福に見舞われていた。まるで、この国の不幸全てをアリシアとそのそばにいるヨハンが吸い取っているかのように。


 けれど、そんな幸福な日々は7年で終わりを告げた。

 アリシア12歳、ヨハン15歳の時の出来事であった。


「アリシア王女殿下は本当にヨハン王太子殿下のことをお慕いしていらっしゃるのですわね」


 あるお茶会で、アリシアはそう言われて、初めて自分の胸にくすぐる不思議な気持ちの正体を知った。

 彼女たちの言う『慕う』という感情とアリシアが持っている『慕う』と言う感情は多分、根本的な部分から異なっている。でも、アリシアには“好き”と言う意味を持つ『慕う』と言う言葉が、今のアリシアに燻っている彼への感情に1番近い気がした。


(この感情は慕うなんて生易しくて生ぬるくて綺麗なものじゃないの。でも、シアは………ヨハン義兄さまのことをーーー、)


 アリシアはその日のうちにヨハンの部屋を訪れた。

 夜の12時、彼の遅い帰りを彼のお部屋のベッドに寝っ転がってころころ暴れながら待つ。


 ーーーがちゃっ、


 小さな音を立てて扉が開かれる。

 アリシアは視線と顔だけを入り口に向けてから、気だるげに無表情なくちびるから言葉を紡いだ。


「おかえりなの」

「ーーー………、」


 ーーーがちゃん、


 無言で扉を閉められてしまった。

 アリシアはむっと眉間に皺を寄せた。がちゃっと音がして、また扉が開かれる。


「ーーーは?」

「失礼なの。ちょっとはレディーに対する仕打ちを直した方がいいの」


 ぼそっと呟いたアリシアに、ヨハンは頭を抱える。


「レディーは、………淑女はこんな夜中に男の部屋を訪れないし、そもそも男のベッドに上がり込まない。さっさと降りろ」

「………?ごめんなの」

「………………君、分かってないよな?」

「そうかもなの」


 こくんと頷いたアリシアはベッドから滑り落ちるようにして飛び降りた。


「………シア、好きな人ができたの」


 無表情のままアリシアはヨハンの胸をつんと突っついた。


「だから、別れようなの」

(………好きな人とは、絶対に一緒にならない。不幸に巻き込まない)


 アリシアは眉を下げて彼に願う。

 元々の約束だった。アリシアに好きな人ができたら婚約を破棄する。


「あり、」

「ちゃんとこっ酷く振ってほしいの。よろしくなの、ヨハンさま」

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