第7話

「………それは何?」


 ついつい厳しい口調で問いかけると、彼は一瞬顔をこわばらせたあとふんわり微笑んだ。


「何でもないよ、大丈夫」


 優しい笑みに惑わされてその時は詳しく聞かなかった。

 けれど次の日、ヨハンは公務中に大怪我を負って帰ってきた。


「はぁ、はぁ、」


 激しく息を乱し、高熱を出しながら空中包帯だらけのヨハンがベッドに横たわっていた。


「どう、したの………?」


 呆然とアリシアが尋ねると、侍従たちが目を見合わせてから節目がちに口を開く。


「………お嬢さまを引き取ってから、お坊っちゃまには不運が続いています。毎日のように怪我を負い、今日は………、」

「そうなの」


 ぼろぼろになっているヨハンを見つめながら、アリシアはぎゅっと無表情で拳を握りしめる。


「………ヨハンにーさまに伝えるの。シアはもうにーさまには関わらないって」


 そう呟くと、アリシアはくるっと踵を返して部屋を出る。


 アリシアの不幸はいつもアリシアだけのものだった。

 アリシアだけが不幸でアリシアだけが犠牲になればよかった。なのに、ヨハンと関わるようになってからは、アリシアへの不幸が減っていた。ご飯に虫がいきなり入ってきたり、カーペットに引っかかってすっ転んだり、階段を踏み外したりと小さな不幸しか無くなっていた。

 でも、それは全部ヨハンが肩代わりしていたのだ。彼が代わりに怪我をしていたのだ。


「………もう、だれも巻きこまないの。シアの不幸は、シアだけのものなの」


 アリシアは部屋に向かうために歩く。


 ーーーぎいぃっ、がっしゃあああぁぁぁぁん!


 扉の金具が唐突に外れて、アリシアの上に扉が降りかかる。背中に強い衝撃が走ってあぁやっぱりと感じる。


 昔から、アリシアの耳には不幸の音が聞こえた。


 不幸を予感する可愛らしい鈴の音が聞こえると、そのすぐ後にアリシアにとって不幸なことが起こった。それは精神的なものだったり物理的なものだったりとさまざまだったが、どれもアリシアにとって不幸なことだった。

 

 ふらふらと起き上がって、自分の部屋に向かうために階段を登り始める。1段1段丁寧に登っていると、また軽やかな鈴の音が聞こえた。


 ずるっと階段のカーペットが滑り落ちる。真ん中ぐらいまで登っていた階段から転がり落ちて、1番下の段で頭を打った。身体中がズキズキと痛むが、アリシアはほんのわずかに顔を顰めた後にいつもの無表情に戻って再び階段を登り始めた。

 今度はカーペットを避けて、手すりを握り込んだまま登る。1段1段登って最後の1段までたどり着いた。ほっと息を吐いた瞬間、


 ーーーりぃん、


 また嫌な音がした。

 ぎゅっと握っていた手すりが嫌な音を奏で、そして崩れ落ちる。


「っ、」


 さっきの比にならないくらいの強い衝撃が身体を突き抜ける。くっと息が詰まって苦しい。


(もう、………いやなの)

「不幸、なの………」


 そのまま気を失ったアリシアは、頭に走る鈍痛ごと全てを闇に葬った。

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