第10話

 二人と一体の動きがお互いを食い合う竜巻のようになっている様を、あここは輝きを増したヴァジュラを強く握り締めて注視している。

 あここもまた自分の中で選択肢を鬩ぎ合わせていた。

 つまり、二人を巻き添えにしてでもヴァジュラを放つか、二人が退く余裕が出た時点でヴァジュラを放つか、だ。

 前者は当然、味方を犠牲にする精神力を試される。加えて撃ち損じた時には敗北が決定するだろう。

 後者は、そもそもそんな好機が訪れるのかという問題がある。ARのデータである常高院じょうこういんという体力の概念がない相手と、目で追うのもやっとの攻防を繰り広げる二人の体力が尽きてしまうという事態も十分起こり得る。それに味方を退避させるという手心を加えた投擲で常高院を撃ち抜けるのかというのも疑問だ。

 あここはいつでもヴァジュラを撃つ大勢を整えながら、ヴァジュラを放てないままでいる。

 常高院の暴虐と鎬を削る二人は体力も神経も著しく損耗しているが、あここもまた見えない答えと焦燥に喉をひりつかせて今にも倒れそうだった。

 あここが悩みで身動きが取れずにいる間にも、鷺山殿と撫子のHPは減っていく。

 常高院も静御前に斬り付けられてHPは動いているが向こうは二人に与えたダメージから三割を吸収して回復している。

 現状、命中している手数は撫子の方が多いが、それがそのまま戦況を表しているのではない。

 特に鷺山殿のHPの減り具合が大きい。撫子に向かう攻撃も彼女が捌いているので当然だ。

 それでも、お市の方も険しく眉根に皺を寄せている。常高院の拳が当たっている回数を考えれば、鷺山殿はもう倒れていてもおかしくない筈なのだ。

 今も鷺山殿は常高院が振るう拳を手甲で弾いて受けるダメージを大きく軽減している。

 鷺山殿と撫子の腕を保護している護手甲、そして額を守る鋼鉢金、この二つの装備には〔ジャストガード〕という特殊効果が備わっている。名前の通り、敵の攻撃をその装器そうきで確実に捉えた時、ダメージを500も削ってくれる優秀な効果だ。

 しかし少しタイミングがズレるとダメージ軽減は発生しないので、使用者のプレイヤースキルが問われるリスキーな装備でもある。

 常高院の次第に加速していく動きに対応して、上腕部の表や額の狭い範囲しかカバーしていない装備で的確に攻撃を受け止める。

 そんな事が出来るプレイヤーをお市の方は濃一門の中核メンバー以外には知らない。

 お市の方からしても現在の状況は崖っぷちであるのだが、もう常高院以外の未言鬼みことおにを出せない彼女には打てる手は残っていない。

 今日の四十五分そこらの戦闘で、お市の方は上位十体の内四体もの未言鬼を既に失っている。どこで間違えたのか、と悩まないでもない。

 しかしその過ちはつまり、他の鬼巫女おにみこを助けたという功績でもある。

 結果としてみんなも大切なパートナーを失ってはいる。けれどそれは助けなれば良かったなんて後悔には至らない。

 お市の方は胸を張り、落ちていった自分の未言鬼を誇りに思う。

 ミコトキの戦闘時間は開始から三五一〇秒までと決まっている。残り一〇分少々、たったそれだけの時間を最後まで戦い切る。

 そうしてこの最強の集団を他の戦場へ向かわせない事が、間違いなくお市の方、そして彼女の未言鬼達の勝利になる。

 だからお市の方は、常高院に支持を出して積み色の未言霊を追加で、それも二回重ねて発動させる。

 常高院が拳を引き絞った体勢で固まり、積み色の靄を噴き出した瞬間に鷺山殿と撫子は飛び退いた。

 あここがヴァジュラを放つ。

 確実にその好機であった。

 しかしそんな隙が出来るのは、常高院も織り込み済みだ。

 常高院の持つ最後の〔怨念〕があここのアディショナル・リアル・インナーARIを絞め上げる。

 淀の時よりも早いタイミング、投擲に振り被るのに腕を上げる寸前で止められたあここの手には見る者の目を焼かんばかりに輝くヴァジュラが握られていて。

「なんがぁああああああ!」

 あここは鬼のような雄叫びで筋肉の限界を突き破る。筋繊維のぶちりという悲鳴を代償にして、ARIの拘束を逆に発条にした神速の投擲がヴァジュラを押し出した。

 たった一秒足らず。

 積み色発動の硬直に間に合わせて、あここの最大火力が常高院に直撃した。

 弾ける閃光で人間達は視界がホワイトアウトして動けなくなった。

 あここは右腕をだらりと落として、全身を上下させてなんとか息を吸う。

 脳内を駆け巡るアドレナリンのお陰かまだ痛みは感じなくて、でも火食ほばむ体の熱さでARIも脱ぎたかった。

 ふと、あここは顔を上げる。別に戦果を確かめたい訳でもなく、俯いているよりもそちらの方が自然な体勢だからそうしただけだった。

 利き腕が上がらない自分はもう、どっちにしたって戦力になりようがないのだから。

 それでも目の前で拳を振り上げる常高院の姿を視界いっぱいに見たその刹那に、あここは悔しくて舌打ちする。

 積み色を吸い込んでぐちゃぐちゃな黒に肌を汚した常高院の一撃は、それだけであここの装器を全て砕いて、彼女を現実の女子高生へと叩き戻した。

 常高院はいっそ遅いくらいの動きで踵を返し、あここに背を向けて残る二人に向き直る。

 緊張の糸が切れたあここはどさりと尻餅を付いて、駆け寄って来たくノ一に肩を受け止められる。

 あここの手当てはくノ一に任せればいい。

 鷺山殿は冷徹に判断を下して、巴御前を構える。刃は地面に擦れる寸前まで下げて柄の後ろを握る右手は肩よりも高く持ち上げる。

「撫子」

「はい。お任せ下さい」

 撫子は鷺山殿に応えて前に出て真っ直ぐ常高院に狙いを定めて構えを取る。

 そんな二人に一発ずつ銃弾がぶつかり、蜂蜜色の光を弾けさせてHPを回復させた。

 機動力を更に底上げした常高院は、いくらカズでも狙撃不可能だ。だからここから彼の役割は回復の銃弾を適切に二人に投与する事に変わる。

 常高院の姿が消えた。最早その機動力はただ前進するだけで人の視界から消える段階に入っている。

 しかし撫子も女の維持で動きを捉え、一歩踏み出し、常高院の動きに静御前の刃を当てる。

 既に静御前の刃は常高院の肌に徹らない。そんな事は先刻承知だ。

 だから撫子は一ミリも退かず、〇・一秒も怯まず、いっそ優雅なまでの舞を披露する。

 常高院はその刃を一太刀も避けない。避ける必要はない。連鎖が重なりダメージを受けても、殴り返して回復するので十分HPの増減は拮抗した。

 そして撫子ももう攻撃を避ける余裕はない。攻め立て続けなければ、常高院は刹那で錬気を溜める鷺山殿に肉薄する。

 奇妙なのは、常高院の攻撃を受けても撫子のHPが微動だにしない事だ。

 代わりに鷺山殿に向かってカズの銃弾が繰り返し飛んで来る。それで何故か目減りする鷺山殿のHPが回復されていた。

 相説あいとく。お互いを説明するのにもう一方が不可欠になる程に、切っても切れない関係を持つこと。而二不二、色心不二、主体と環境、言と事、水魚の交わり、親は子なくば親と呼ばれず、子は親なくば生まれ出でず。

 それが撫子が静御前に装着しており、そして今発動している未言霊だ。

 影武者である彼女は主君である鷺山殿あってこその存在であり、鷺山殿も彼女の奉仕なくてはこの場に立てない。

 この二人の繋がりを、相説くの未言霊はHPの共有という形で表現している。

 片方が受けたダメージをもう片方が請け負う事が出来る。合計値が増える訳ではないので、ともすれば影が犠牲になって表の形を繫ぎ止めるだけにしか、普通のプレイヤーは使わない。

 そこを裏表逆転させて、更に味方の支えも受けて強敵に向かう牙と使い熟すのが最強と呼ばれる棟梁の軍略だ。

 たかだか一六秒弱。たったそれだけの巴御前の錬気時間は、一荒ひとすさに器士を砕く常高院を前にすると酷く長い。

 それでも時間は当たり前に過ぎて行く。

 光を放つ巴御前の構えをそのままに、鷺山殿は右足を踏み出す。

 常高院が巴御前を空振りさせようと撫子の右に回る。

 鷺山殿はまだ刃を振り抜かない。

 撫子は嵐に立つ波浪の如く、斬撃を重ねる。

 常高院の反撃はない。

 撫子はその姿も攻撃も無視されて、連鎖ばかりがカウントされ続ける。

 常高院の視線は、そしてお市の方の視線はじっと鷺山殿の一挙手一投足に注がれている。

 何故か。あここの一撃を耐えられたとは言っても、常高院は無傷ではない。むしろHPの量だけで言えば満身創痍だ。

 連鎖によって積み重なる攻撃力であれば、常高院は攻撃を肌で受け止める度に上がる防御力で凌げる。

 しかし錬気の一撃は、常高院に防御力を積み重ねる鞘当てもなしに最大威力を発揮する。

 たった一撃。それだけが当たらなければいい。

 しかしたった一撃。それだけを当てられてはいけない程に常高院も追い詰められている。

 鷺山殿が足を擦る。

 常高院も立ち位置をずらす。

 撫子は今も懸命に刃を振るう。もう喘ぐ事でしか息が出来ない彼女が止まったら、後は常高院の蹂躙が始まるだけだった。

 だから撫子は汗が目に入っても、動悸が速まり過ぎて心臓が空打ちしそうになっても、息がどれだけ間に合ってなくても、舞い続ける。

 鷺山殿は撫子を信じ、常高院は撫子の無力さを認識して、お互いだけに意識を尖らせる。

 鷺山殿の目線の移動一つで、常高院は身動ぎする。

 常高院の呼吸一つを逃さず、鷺山殿は踏み込み、しかし焦らずに巴御前の刃の低さを保つ。

 その奇妙な一団は、やがてお市の方の目前まで移動して来た。

 常高院の背中がお市の方の視界に映り、撫子の舞がその向こうに翻り、そして鷺山殿の姿が朔のように隠れた。

 お市の方は鷺山殿の姿を確認しようと一歩踏み出してしまった。

 そして常高院もその主の懸念を敏感に受け取り、同じく撫子の舞の隙間にしっかりと見ていた鷺山殿の姿を一歩踏み出して確認しようとしてしまった。

 撫子は風に吹かれる花のように、ひらりと雅に体を掃けた。

 撫子の花びら散る動きをなぞるように、鷺山殿が空いた隙間に刃を差し込んでいく。

 鷺山殿が斬り上げた巴御前の刃は、常高院の胸にざくりと納まる。

「私達の勝ちだ」

 法螺貝がこのARフィールドに鳴り響いてから三五〇七秒。

 鷺山殿は視界の端に表示させていたその経過時間を、常高院が消えていく様子を見詰める端目はしめで確かに見た。

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