第3話
鷺山殿はバイクを走らせて五分で次の戦場へと到着する。
ゴルフ場だった頃はホール同士を区切る役目になっていた混み合った植樹は、今は敵から身を隠すのに丁度いい。
鷺山殿は撫子を連れて良く育った杉の幹に隠れて、
この戦場は器士も鬼巫女もルーキーやカジュアルプレイな、言い方は悪いがレベルの低い者同士が遭遇したようだ。
一旦は器士が未言鬼を押していたらしく、今は
器士から見れば追撃してさらに鬼巫女の戦力を削る好機だが、一頭の影のように黒く巨大でありながら立体感のない狼型の未言鬼に阻まれている。
鬼巫女達の
実物であれば随分と着るのに苦労するだろうにこの炎天下では滝のように汗が出そうながっつりとした白地に鈴の柄をあしらった振袖のARファッションで小柄な体を包んでいる。
「藤懸か」
送り狼と
戦力も整っておらず、作戦の持っていない器士があの未言鬼を突破するのはまず不可能だろう。
事実、藤懸を迂回して逃げる未言鬼を狙った器士は、藤懸が足元から伸ばした影の分身に襲われて蹴散らされている。
その様子を鷺山殿は無表情に眺めるばかりだ。ただお市の方の動きだけに視線を注いでいる。
「すみません。濃一門の棟梁、鷺山殿ですよね?」
そんな鷺山殿の背後から声を掛けるプレイヤーが現れる。林の中を抜けてきた器士がいたらしい。鬼巫女にばれないように隠れて接近してくる辺り、配慮のあるきちんとしたプレイヤーだと分かる。
それでも鷺山殿は戦場から目を離さず、撫子が彼に応じる。
「そちらは?」
「安土一門の、まぁ、中堅って言ったところです。新入りを連れてあそこを担当していました」
流石、今回集まった中でも屈指の大規模一門と言ったところか。安土一門はメンバーのレベルに合わせて部隊を分割して各所に展開させていたようだ。
「なるほど、それでお市の方が来るまでは器士側が押せていたのか」
鷺山殿はまだ視線を動かさずに納得の声だけで彼が導いた戦果を評する。
一門という組織に属してまだ日の浅い新入りやそもそも個人プレイヤーという、指示を出されるのに慣れていない人間をまとめてお市の方が出張るくらいに鬼巫女を圧倒した手腕こそが彼の持ち味であり、安土一門の棟梁もそれを買ってここに派遣したのだろうと鷺山殿は察する。
しかしその働きが良過ぎたからこそ、お市の方が未言鬼を失いそうな鬼巫女を憐れんでやって来てしまったという事実もある。
彼の優秀さは武功を上げるのには足りず、そして役不足だった。
「自分ではこの戦況をどうしようもしがたくて、鷺山殿の姿が見えたのでお知恵をお借りできればと思ったんです」
他所の一門の棟梁に作戦を求めるのだから、彼は藁にも縋る思いなのだろう。撫子はその頬に暑さからではない汗が垂れているのを見る。
安土一門の本体も強力な未言鬼に襲撃をされていて、棟梁は愚か中核メンバーの誰も此方の部隊に応対出来ていないというのも、聞かずとも分かる。
「私に出来る事は何もないな。痛み分けで器士側も撤退するのが最もいい判断だ。お市の方は優しさが勝る、器士へ反撃するよりも鬼巫女と未言鬼を確実に逃がすために随伴するだろう」
相変わらず振り返ってもくれない鷺山殿の冷静な声に、彼は悔しさで歯噛みする。
逃げの一手がこの場で最善策なのは彼も分かっている。しかし一度は勢い付いた器士、それも指揮系統に正式には入っていない者も混ざっている中でそれを徹底させるのは難しい。加えて、折角勝ち戦の楽しさを知った若手に水を差すのも、彼自身残念が先に立つ。
「どうしてもというなら、藤懸が落ちるまで踏ん張ることだな」
鷺山殿が文面通りに受け取ると付け放したような台詞を彼に向けたのは、けれどその好機を作るために既に手を打っているからこその、ある意味での優しさだった。
それが理解出来たのかどうか、彼はじっと押し黙り、そして黙ったまままた林の間を縫って身を潜めながら離れて行った。
鷺山殿が今此処で手を出さない理由を話さなくても身を引いてくれた理解力、もしくは潔さは、手間が省けて助かった。
鷺山殿がこの戦場に弓も持ち込んでいる。この位置から狙撃して藤懸を撃破するのは、それだけなら簡単だ。
しかしお市の方が現在出している未言鬼は、鬼柴田と藤懸の二体しか判明していない。鬼巫女は一回の戦場に十体の未言鬼を持ち込めて、実際に使用出来るのはその内の五体、さらに同時に出現させられるのは三体だ。
もしお市の方がその三体目をまだ展開していないとなれば、この戦況で最も効果的な鬼巫女を出して来るだろう。
撫子以外に誰も連れていないこの場では、鷺山殿が刺し違えられる未言鬼をお市の方は所持している。
見知らぬ器士が次々とHPを削られ切ってAR装備が消失するのを見ても動かない鷺山殿は、傍から見ると冷徹にも思われるかもしれないが、彼女はこの戦場で自分がやるべき事はお市の方を討ち取る事だと定めている。
それが結局は器士の勝利にも繋がるのは間違いない。
だから鷺山殿は仲間を信じて静かに待ち、撫子も自分が支えると決めた棟梁の側で付き従う。
器士が武器を振るい、巨大な狼の爪に阻まれて退き、もしくは退くのが間に合わずに装備が削られる。その間に折角追い詰めた未言鬼が逃げていく。
この戦場で戦った者のやるせなさも、逃げられない意地も歯痒さも、そしてやっぱり強者に適わない悔しさも、鷺山殿は良く理解している。
それでも情に流されては全てが瓦解して何も手に入らなくなるのは、仕事でもゲームでも、そしてきっと本物の人が死んでいった戦国の合戦場でも同じなのだ。
器士達は誰一人として逃げ出す者はいない。懸命に食い縛っている。
どうやらさっきの彼は鷺山殿の言葉を受けて耐える戦いを決行したようだ。
あの彼が鷺山殿の元から離れて行って、四分の後にそれは突如として起こった。
ずるりと藤懸の首が切断されて地面に落ちる直前に体諸共消え去った。
その攻撃の瞬間にくノ一の纏うAR迷彩が解けて姿を現し、地面に降り立った瞬間にまたAR迷彩を起動させて霧のように消え去る。
目に見える壁がなくなり、器士達は怒涛の勢いで踏み込んだ。
それを一番近くで見ていた鬼巫女は、当然お市の方であり。
その小さな目がキッと釣り上がった。
次の瞬間、お市の方の目の前に
勢い付いて駆け出した考えなしの器士達が炎に飲まれて数秒でHPを焼き尽くされる。
「淀が出たか」
お市の方が誇る切り札、浅井三姉妹の一体である淀は清姫の鬼因子から産み出された未言鬼だ。当然、その特性には清姫伝説の火を吐く大蛇の権能を持っている。
さらに清姫は自分から逃げ出した僧侶を追いかけて焼き殺した伝説を持つ。
その逸話の通りに、逃げ出した器士に向かって淀が吐き出した炎は大蛇の形を取って追跡して飲み込んでいく。
しかし淀は鷺山殿にとってベストではないが相手に取れる戦力だ。
此処で未言鬼がどれだけ逃げようが、どれだけ知らない器士がドロップアウトしようが鷺山殿には関係がないが、この戦場を壊滅させてお市の方と淀が他の戦場で暴れるのは困る。
「撫子、行くぞ」
「はい」
だから鷺山殿は今この瞬間に重い腰を上げて戦場に介入すると決めて、林から跳び出した。
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