不思議な司書

月星 光

第1話 不思議な司書

少年は、つま先立ちでカウンターからピョコンと顔を出した。

「あのぉ、すみませんっ!」

 元気な声に、顔を上げたのは若い司書だった。滑らかな白い肌に、凪いだ湖を思わせる、穏やかな眼差し。ゆったりとした黒いワンピースが、その落ち着いた雰囲気によく似合っている。

 綺麗なお姉さんだなと、少年はつい、その淡いグレーの瞳を見つめてしまう。自身も読書に興じていた司書は、そっと本を閉じ、ご用件は?と、無言のまま微笑みで促した。

「探してる本があるんですけど、名前がわからなくて。えっと、剣士が宝物を探して冒険する話で、強くて、ガーッて戦って、それから――」

 説明するのに一生懸命で、つい大きくなってしまっていた少年の声が、ふと途切れた。

 司書が、自身の小さな唇に人差し指を当て、沈黙を求めたからだ。それは注意でも強制でもなかったが、柔らかな微笑につられるように、少年はこくんと頷いて黙った。

 司書は音も立てずに立ち上がると、おいで、と視線で少年を呼んだ。そしてずらりと並んだ書架の間を、ゆったりとした足取りで進み始める。

 最後まで説明していないのに、ちゃんとわかってくれたのだろうか。少年の不安をよそに、緩やかに一つに編まれた栗色の髪を揺らし、司書は静かに歩く。

「すまんなぁ。ガーデニングの本を探しているんじゃが」

 白髪のおじいさんが、司書に尋ねた。

 ちょっと待ってね、というように、彼女は少年を振り返り、申し訳無さそうに眉を下げる。

 そして右に方向転換し、奥の書棚に向かうと、その中から迷いなく一冊を選び取り、おじいさんに手渡した。

「おぉ、まさしくこれじゃ。ありがとう」

 おじいさんのお礼に、司書はやはり微笑みで応える。タイトルも聞かずに、どうしてわかったのだろう。少年は首を傾げた。

 その後も、司書は次々と呼び止められる。料理の本に、花の本。絵本に雑誌。本の名前を聞かずとも、彼女は数え切れない程の書棚の中から、人々の求める「あの本」を確実に選び取った。

 街で一番大きく、古い図書館。このだだっ広い空間の中で、本を探すような素振りは一度も無かった。まるで最初から、どこの、どの書架の、どの段を見れば良いかわかっているかのように、その淡々とした足取りは、少しも迷いを映さない。

 何より、未だ一言も発していない彼女の微笑みは、慎ましいながらも、喜びに溢れていた。彼女は、本と人々と、この静寂を愛しているのだ。

 やがて、司書の歩みが止まる。

 やはり迷う事なく書棚から本を選び、少年にそっと差し出した。表紙には、強くて、ガーっと戦う剣士が描かれていた。

 少年はパッと目を輝かせると、微笑む司書を見上げ、そして気が付いた。彼女にとって、本は宝物なのだ。それなら僕も、大事にしなければ。

 少年は、できる限りそっと、優しく、両手で包み込むようにして本を受け取った。その意思を汲み取ったらしく、司書は愛しげな眼差しを浮かべ、柔らかく微笑んだ。

 渡された本を、パラパラとめくる。そうそう、この本だ。早く読みたくて、ワクワクが込み上げてくる。

 ありがとうと言い掛けて、少年は慌てて口を押さえた。司書にとっては、沈黙もきっと宝物。だから彼は、ただニカッと笑って、渡された本をギュッと抱き締めたのだった。


 ***


「はぁ、やっぱりカッコいい」

 夜。

 少年はベッドの上にあぐらを掻き、勇敢な剣士に思いを馳せていた。カッコ良さのあまり、時間も忘れて一気に読み終えてしまったのだ。

「あれ?」

 本を閉じようとして、最後のページに、何かが挟まっているのに気がついた。

 ミモザの花が描かれた栞(しおり)だ。そこには、か細く、整った文字が並んでいた。


 可愛い沈黙をありがとう。


 あの司書さんだ。

 いつの間に挟んだのだろう。やっぱり不思議な人だ。

 栞を手に取り、彼はニッコリ笑った。そっと本を閉じ、司書の優しい微笑みを思い

出す。  

 そして静かに、部屋の灯りを消した。

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不思議な司書 月星 光 @tsukihoshi93

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