第29話 名残

 身体の中から焼かれているような気分だった。

 信じていた人に騙され続けていたという事実は、理市りいちの心を八つ裂きにし、冷静さを奪い去ってしまった。それでも、理市は刀を取って立った。仲間を守りたいという思いすら自覚されない、ほとんど反射的な行動だった。

 呉尾くれおは理市にとって剣の師でもあった。体格差があるうえ、しかも適合人間アダプテッドだという。力の差は歴然たるものだった。

 呉尾はさも面白そうに口角を上げ、ぐっと腕力を込めて理市を突き放した。理市は後退しながらどうにか踏みこたえたが、銀の炎だけが理市にまとわりつく。ブラウスの袖が焦げる前に灰になった。腕は無事だったが、普通の炎とはまるで違う。触れるものを滅ぼす邪悪な炎だ。

「理市さん……」

 こんなときでもオリヴィアが呼びかける声は美しく、理市の涙をひとしずくだけさらっていった。いくらか心が鎮まって、理市はまた異界刀いかいとうを構え直した。紫電が瞬いて示している、まだ諦めはしないと。

 呉尾は余裕の笑みを浮かべて、刀を下ろしていた。

「可愛い娘ができて良かったな、理市。……いや、恋人かな? 一緒にあの世に送ってやろう」

「……教えてください、呉尾さん」

 理市は静かに口を開いた。

「そこまで適合人間アダプテッドにこだわるなら、なんで俺を引き取った後に移植手術をせんかったんですか。あのとき俺はまだ十歳やった。間に合ったはずや。もし適合できていたら、俺はもっといい駒になれたはずやのに」

 自分で自分を駒と称したとき、胸の中の虚ろに風が吹き込んだ気がした。その寂しさに耐えながら、理市は呉尾の答えを待った。

「そりゃあお前、移植手術が成功するとは限らんからだよ。せっかく手に入れた駒なんだから、……」

 そこまで言うと、呉尾の表情は奇妙に引きつった。こみ上げてくる笑いが抑えきれない。理市はしかと父親代わりであったその人を見つめた。

「もう一度聞かせてください。俺を引き取って育てたのは、あなたにとって都合のいい手駒を育てるためやったんですか?」

「その通りだよ。……クク、フフフ、ハハハハハ、アーッハッハッハッハ! ヒィ、ヒィ……」

 窒息しそうなほどの高笑いだった。その姿は、呉尾も初めは理市を本心から慈しんでいたことを意味していた。きっとどこかで考えが変わってしまったのだ。

 笑いを止めるために、呉尾は煙草とマッチを取り出そうとする。一瞬の隙が生まれる。呉尾が火を点ける前に、その懐に飛び込んだのはオリヴィアだった。

「かわいそうな人」

 オリヴィアは拳を固めて、思いきり呉尾の顔面を殴った。容姿こそ可憐でも、やはり彼女も適合人間アダプテッドである。呉尾がしたたかに鼻血を噴いてよろめく。

「あなたにも、幸せになれるチャンスがあったはず。それをあなたは自分で棒に振ったのよ。あなたは私や理市さんだけじゃなくて、自分の人生もめちゃくちゃにしたんだわ!」

 かつては本当に、理市を駒ではなく本当の息子だと思っていたときもあったのだろう。だとしても、もう遅い。

「知った風な口を……」

 呉尾が体勢を立て直そうとしたとき、理市は至近距離で異界刀を振りかぶっていた。

「残念です、呉尾さん」

 理市は異界刀を振り抜いた。眩い光が炸裂するとともに、師として父として慕った人の返り血を浴びた。それはやるせないほど温かく、生臭かった。四方八方へ散った雷光が、天井を這い床を這っては、ひらめいて消えた。

 仰向けに倒れた呉尾は、またぜえぜえと呼吸をしていた。急に鋭い怒りと悲しみが突き上げてきて、理市は異界刀を投げ捨てた。

「なんで、なんでなんですか! 国を強くするために適合人間アダプテッドを作ろうやなんて、アホくさいにも程がある! 子どもをぎょうさん犠牲にして、何が国の繁栄ですか!」

 それは呉尾だけに向けられた怒りではなかった。この士官学校を作った者、呉尾を適合人間アダプテッドにした者、人間を兵器に作り替えようとする狂気に対する怒りだった。

 震えながら膝をつき、理市は呉尾の最期の言葉を余さず聞き取ろうとする。

「……私が育った頃は、いまよりもっと、適合率が低かった」

 咳とともに、呉尾は口から血を吐き出した。

「同じ研究所に集められた友が苦しんで死ぬたび、私は思った。これほどの犠牲を払っているのだから、この研究は、絶対に成果を出さねばならないと……」

 呉尾は笑わなかった。この世の名残に、真実を語ったらしい。

 皮肉な話だ。仲間の犠牲が増えれば増えるほど、研究の完成のためにより犠牲を求めてしまう。しかもその当事者である呉尾自身が。

「なあ……理市。この研究は、本当に、無駄だと思うか? このままでは、いつか神原かみつはらは、列強国に牙を剥かれるだろう。そのとき、適合人間アダプテッドがいれば良かったと、悔いても遅いんだぞ……」

「知らんがな」

 理市はきつく眉根を寄せて、冷たく言い放った。

「俺はあなたの息子になりたかった。あの世で、うちのおとんに謝ってください」

 閉じかけていた呉尾の瞼がかっと開いた。友人のことを思い出したのだろうか。喘鳴ぜんめいの音が激しくなる。終焉が近づいていた。

「……くだらん」

 ククク、と呉尾の喉の奥で笑い声が起きる。しかしそれは口角に赤い泡をわずかに生じただけで、それが弾けるとともに止まった。

 理市の目からも、ぼたぼたと涙が落ちる。

「理市さん」

 初めは肩を震わせて、声を殺して堪えていた。けれどもオリヴィアの胸の中に抱かれると、慟哭はもはや止めるべくもなかった。

 いま彼は、二人目の父を失った。

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