第28話 方眼

 呉尾くれおさんが、自分へ向けて発砲した。

 身代わりになったマナセが撃たれ、いま聡介そうすけとヒューがマナセの止血を試みている。マナセが傷ついているということは、あの銃は異界銃ミステライト・ガンだ。

 オリヴィアは、呉尾さんのことを「人さらい」だと言う。

 理市りいちは目の前で起きていることが全く理解できず、ただ呆然と呉尾を見つめ返すしかできなかった。異界刀いかいとうを握る手が震えている。

「できれば何も知らないまま逝かせてやりたかった」

「どうして……」

「そうだな、何から説明しようか。辰巳宮たつみのみやの事件からがいいか」

 一年前の辰巳宮暗殺未遂事件。刺客は理市が率いる近衛小隊の中に紛れ込んでいた。隊員たちの身元は入念に確認したはずなのに、事前に防ぐことができなかった。

「お前には、何の落ち度もない。私が隊員の情報を偽装して、刺客を送り込んだのだから」

 どうして、とまた理市は繰り返す。

「殿下は少々夢見がちなお方でね。版図拡大と富国強兵にはさして興味を示さず、諸外国と協調して仲良くやっていきましょうというお考えなのだ。そのような無邪気なお考えでは、我が国は早晩他国の食い物にされてしまうだろう。だから次の帝になられる前に、死んでいただくしかなかったのだ。……まあ結局は、理市のおかげで失敗したがね。辰巳宮ではなくお前が撃たれて重体だと聞いたときは、本当に心配したものだ」

 首筋の傷跡が、いま血を流しているかのように疼く。たっつんは呉尾の陰謀によって狙われ、結果的に理市が命を落としかけたのだ。

「理市が殿下の近衛隊長に選ばれたのは好都合だったよ。刺客は絶対に侵入できる。お前が失態を犯すのは予め決まったことだったんだ。ちょうどレグラスから、イルグリムで適合人間アダプテッドの研究が秘密裏に進められているという情報が届いた頃だった。駒を送り込むなら、お前が良かった。お前は私が手塩にかけて育てた最も忠実で優秀な駒だからな。優秀すぎてレグラスに送り込む理由が見つからなくて、困っていたくらいだ」

 これほど饒舌に語る呉尾を、かつて理市は見たことがなかった。

「俺を引き取って育てたのは……駒にするため、ですか」

「お前は本当にだったよ、理市」

 理市は力なく膝を折り、異界刀を取り落とした。再び呉尾が引き金を引く。何の躊躇もなかった。

「させない!」

 オリヴィアが理市の前に立ち、右手をかざした。銃弾は理市に届かず、オリヴィアの足下に転がり落ちる。

「理市さんを送り込むまでもなく、あなたは何もかも知っていたはずよ。だってあなたが、私を誘拐してイルグリム行きの船に乗せたんだもの」

「おや、君は私を知っているのか? 立派に育ってくれて嬉しいよ」

 呉尾はあながち嘘でもなさそうに言う。

「そうなんだよ、初めは私もこの学校の研究に協力していたんだ。私からは被験体を、学校からは適合人間アダプテッドの研究資料を提供するという条件付きでね。適合できずに死んだ被験体たちのカルテとか、方眼紙上に精密に描かれた移植用部品の設計図とか、実にたくさんの有用なデータを頂戴したよ。だが神原かみつはらとレグラスが同盟を結んだせいで、学校側から一方的に手を切られた。だから、駒を送り込むことにしたというわけだ」

 被験体。駒。人を人とも思わぬ言い回しだ。そう呼ばれているのはオリヴィアであり、理市なのだ。

〈とんだ下衆げす野郎だな、お前は〉

 ヒューがレグラス語で吐き捨てた。マナセを聡介に任せて立ち上がり、呉尾に向かって銃を構える。

「君がモリス准尉か。まあ、どうせ本名ではないんだろうが。うちの理市が世話になったね。あまり無理をしないほうがいいな、顔色が良くないぞ。こないだの傷が開いているんじゃないのかね?」

〈黙れ!〉

 ヒューが撃った。だが、その銃弾は甲高い金属音を立てて跳ね返った。

「ソースケ、君……?」

 跳弾を受けて倒れたのは、ヒューではなく聡介だった。眼鏡が飛んで分厚いレンズが割れている。直撃は免れたようだが、衝撃のためか気を失っている。

 ヒューの顔からいっそう血の気が引く。呉尾への射線上には壁などなかったのに、なぜ。

「お前、何をした?」

「何も……」

 ヒューの問いに答えた呉尾は、突然肩を揺らして笑い出し、かと思うと懐から煙草とマッチを取り出した。

「いや、失礼。私は嘘をつくと神経が興奮してしまって、鎮静作用のあるを吸わないと笑いが止まらなくなってしまうんだ。まったく、諜報に向いてない体質だな。これが、私が支払わされた代償というわけだ」

「まさか、お前……」

 呉尾は悠々と一服してから、笑いを収めて言った。

「そうだ。私も適合人間アダプテッドなんだよ。異界鉱ミステライト焼けで瞳は少し黒くなった程度だが、髪は若い頃から真っ白でな。そろそろ染めなくていい年になってきたから、ありがたいものだ」

 つまり呉尾はオリヴィアと同じく、銃弾をはじき返す波動を放てるのだ。

〈畜生……〉

 ヒューが脇腹を押さえてうずくまった。シャツにうっすらと血が滲んでいる。彼には呉尾を倒す術がない。傷の痛みに耐える心も折れてしまった。

「さて、そろそろ終わりにしようか。理市、お前は本当によく働いてくれた。この学校は壊滅し、私は最新の研究成果を持ち帰る。さぞかし神原の繁栄に役立つことだろう」

 呉尾は銃を捨てて刀を抜いた。その刀身から、禍々しい銀色の炎が巻き起こる。異界刀だった。その切っ先はまずオリヴィアに向いた。

「残念だが、君にも死んでもらうしかないな」

 刀が振り上げられる。黒く凍った瞳に見つめられたオリヴィアは金縛りに遭ったかのように動けず、目を閉じることさえ忘れていた。

 紫の火花が散るのを、オリヴィアは見た。

 理市が呉尾の刃を受け止めている。その両目には、涙がぎらぎらと光っていた。

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