第27話 渡し守

〈オリヴィア、そいつから離れろ。逃げるなら、許さない〉

 マナセの気迫は凄まじかった。完全適合人間PAであるマナセは、短剣を抜いていないからといって殺意がないことにはならない。むしろ殺意に満ちているからこそ短剣を必要としないのだ。彼にとっての短剣は、殺したくない相手を殺すために使う道具なのだから。

〈いやよ〉

 オリヴィアは負けじとマナセを睨み返した。

〈ここで人殺しの道具に使われるくらいなら、死んだほうがずっとまし〉

 皮肉めいた笑みが、マナセの唇を歪める。

〈俺は、もうとっくに人を殺している〉

 マナセの身体から突風が巻き起こった。ヒューを切り刻んだあの衝撃波だ。理市りいちが躍り出て、異界刀いかいとうを横一文字に構える。肉薄するマナセと理市との間に壁が生じる。それは砂塵が理市の目の前で跳ね返されるときと、紫の稲妻が縦横に光るときだけ目に見えた。

 マナセの殺意が本気なら、理市の意志もまた本気だ。オリヴィアを、仲間たちを守る。その一心でマナセを押し止めている。それでも、完全適合人間PAが相手では分が悪い。ちり、と頬に一筋切り傷が生じて、赤い滴が飛んだ。

聡介そうすけ、頼む!」

 理市が叫ぶと同時に、聡介が立ち上がった。いつもの異界鉱探知レンズ入り眼鏡ではマナセを直視できないので、今日は普通の瓶底眼鏡だ。

異界鉱増幅機ミステライトアンプ、いきまぁーす! ヒコボシさん、がんばれぇー!」

 その手には、彼が発明した白いメガホンのような機械がある。しかし聡介の声はさして大きくなるわけでもなく、一見何の足しにもなっていないように見えた。

 理市の肩口がすっぱりと裂けた。白いブラウスに血が滲み、理市の表情が歪む。マナセに押し負けるのは時間の問題に思われた。

「理市さん……」

 ヒューに支えられていたオリヴィアが、ふらりと前へ歩み出た。理市の隣に立ち、異界刀を握る手に手を重ね、真紅の瞳でマナセを見据える。

「理市さん、お伝えしたかったことがあります」

 吹きすさぶ風と弾ける火花の中にあっても、その囁きは確かに理市の耳に届いた。

「私は、あなたを守れます」

 オリヴィアがその手に力を込めたとき、視界のすべてが光に包まれた。みな思わず目を閉じる。何かが破裂する音がして、理市とオリヴィアは後方へ跳ね飛ばされた。

 つかの間の静寂が訪れた。

 やがてもうもうと舞う砂煙の向こうに、黒い影がゆらりと揺れる。マナセはまだ立っていた。

〈ふざけるな。二人で来るなら、まとめて――〉

 言いかけたマナセの身体がぐらりと揺れた。息が荒い。前髪からしたたり落ちるほどに汗をかいている。理市よりもマナセのほうが、はるかに消耗していた。

〈お前、何をした……?〉

 マナセが聡介に視線をやる。

〈何って、ヒコボシさんを応援してあげただけですよぉ! これは異界鉱ミステライトの結晶が入ってる以外は、ただのメガホンでぇす!〉

 聡介がにっこりと笑った。

〈知ってましたかぁ? 異界鉱ミステライト同士は近くにあると互いに発熱するんですよぉ! 異界刀を構えたヒコボシさんと至近距離で力をぶつけ合っているところに、さらにこのメガホンで応援したら、身体の中に異界鉱ミステライトを持つ君のほうが体温が上がり過ぎて先にくたびれるに決まってまぁす!〉

 完全適合人間PAとはいえ、所詮は人間だ。体温が上がり続ければ、体力を消耗し脱水症状を起こす。これが聡介の「秘策」だったのだ。

 それにしても危なかった。オリヴィアの助力がなければ、マナセを抑えられなかっただろう。

〈冗談じゃない。そんな馬鹿げた武器で、俺は……〉

 マナセは膝を落とし、力なくうなだれた。

〈こっちの方が良かったか?〉

 最後方から声が響く。跪いたマナセに、ヒューが異界銃ミステライト・ガンを向けていた。

「ヒューさん、やめて! マナセを殺さないで!」

 止めようとするオリヴィアの手を払いのけて、ヒューは進む。マナセの額に銃口を突きつける青い瞳は氷のように冷たかった。

 理市はヒューをあえて止めなかった。復讐はしないと言った相棒の言葉を信じた。けれども、もしそれが嘘だったなら。

〈……俺は、そう、死んだほうがましだ〉

 マナセがヒューに向けて顔を上げた。漆黒の瞳が、懇願で潤む。

〈でも、他のみんなは、違う。実戦には、まだ出てない。密航部隊の渡し守として、機雷から船を守る役目をさせられてただけ。助けてやってくれ〉

〈そうかい〉

 マナセが瞼を閉じた。オリヴィアの悲痛な叫びが響き渡る。

〈お前だけじゃない、僕もリイチ君も人殺しだ。軍人として戦場に出ることを選んだときから、自分の罪は覚悟の上さ。お前には選択肢も、覚悟もなかった。そう思ってるんだろ? ……それだけの力がありながら、哀れなやつだ〉

 ヒューは引き金を引かぬまま、銃を懐に収めた。

〈お前をここから解放する。それが僕たちの選択だ。お前もこれから、せいぜい苦しめよ〉

 マナセは言葉なく頷く。閉じたまなじりから透明な涙がこぼれた。

 理市は溜めていた息を一生に吐き出した。ヒューの憎しみが消えたわけではないだろう。それでも、彼が約束を守ってくれたことに安堵した。

 それにしても、オリヴィアとマナセ以外の適合人間アダプテッドの姿がないのはどういうわけだろう。一般兵ならここに来るまでに、何人か倒して来たが。

〈俺が、他のみんなに、地下で待機しろと言った。本棟の地下が、秘密の研究室だ〉

〈よし、向かおう。マナセ、案内してくれるか?〉

 理市がマナセに手を差し伸べようとしたそのとき、突然マナセが飛びかかってきた。

〈危ない!〉

 襲ってきた――のではない。同時に銃声が轟いたからだ。

 オリヴィアが地面の上に倒れたマナセに駆け寄る。肩からの出血が、地面を赤く濡らしている。彼は理市をかばったのだ。ということは、理市が狙われていたことになる。

「邪魔されてしまったか、残念だ」

 神原語が理市の耳に届いた。理市にとっては、懐かしい声で。

 顔を上げると、その人が立っていた。帯刀しているのに、拳銃を構えている。

「……呉尾さん? どうして、イルグリムに……」

 陸軍諜報局大佐、呉尾兵十郎くれおへいじゅうろう。理市の恩人で、父親代わりでもあった人。

「あの人……」

 オリヴィアが青ざめた顔で、呉尾を指さす。

「理市さん、あの人です。十歳のとき私をここへ連れてきた人さらいです」

 言葉を失う理市を尻目に、呉尾はゆったりと微笑を浮かべていた。

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