第25話 報酬

 七月二十五日、南フレイドン港。

 ゲイリー・ホルトの本来の職務は入国審査だが、今日は朝一番から出国審査を手伝えと言われた。入国に比べると、出国する人はずいぶん多い。だらだらと内戦が続くレグラスを嫌って、大陸に出る人が多いためだ。

 ほら、今日も金髪の若者が美しい恋人とともに、海峡の向こうの国トロンセへ渡る船に乗り込もうとしている。

〈ソウスケ・ナカツマ?〉

 と思ったら、神原人かみつはらじんだった。ああ、こないだ入国してきたレグラス語の流暢な眼鏡の若者だ。印象的だったのでよく覚えている。今日は丈の長いバッグを背負っている。どうやらゴルフバッグのようだ。

〈渡航目的は?〉

〈ゴルフと観光でぇす!〉

 ゴルフバッグに入っているのはクラブではなく異界刀いかいとうだが、手荷物をいちいちあらためられることはない。

〈結構なことだ。お連れ様も、旅券を見せてください〉

 恋人らしき女性も神原人だ。名前は森州理子もりすりこ――モリス、という響きと神原語かみつはらごの字面に、なんとなく見覚えがあった。

〈どうかなさいました?〉

 ミズ・モリスがにっこりと微笑む。

〈いえ、つい数日前にも同じファミリーネームの方を見た気がして。カミツハラでは多いお名前なのでしょうな。それでは、よい旅を〉

 聡介とリコが顔を見合わせている。「森州」はどちらかといえば珍しい苗字である。

 続くレグラス人には、頬に貼ってあった大判の絆創膏を剝がさせた。旅券の写真と照合ができないためだ。まだ赤味の引いていない、涙のような傷が一筋残っている。

〈公園で派手に転んじゃってね。たぶん痕が残っちゃうだろうな〉

〈それは災難でしたね。旅先ではいいことがありますように!〉

 ゲイリーは新聞を読まないので、旅券に書いてある名前がイースト・ポンド・パークでの爆発事件の被害者と同じだとは気づかなかった。


***


 トロンセの港、ランデルフまでは三時間ほどで着くらしい。

 イルグリムへは密航するのではなく、旅客を装ってトロンセ経由で入国することにした。遠回りになるが、密航よりは安全だ。入出国の審査では、諜報部が用意してくれた偽造旅券を使い分けることになっている。現在イルグリムはレグラス人と同盟国の神原人の入国を禁じているので、リコと聡介は神原の隣国である天華大国てんかたいこくの、ヒューはイルグリムの国籍を名乗るのである。

〈いたたたたた……〉

 結局、ヒューもついてきた。一応医師から退院の許可はもらってきたが、絶対安静との言いつけは全く守る気がない。

 聡介が発明した「秘策」を使うには、理市のほかにもう一人仲間が必要だ。聡介が行くから大丈夫だと言ったのに、ヒューは自分も行くと行って譲らなかった。理市は後方支援だけという条件付きで、渋々同行を許可することにした。諜報部が用意してくれたのが一等客室だったのがせめてもの救いだ。到着までの間は、広めのベッドで身体を休めることができる。

「せやから、ほかの諜報部員に任せたらどうやって言うたやんか」

 リコ――理市は女装のままでベッドに腰掛けて、窓から海を眺めていた。

「そういうわけにはいかないよ。この仕事は僕がやらなきゃ。……分かってる、復讐じゃない。ただ最後まで見届けたいんだ」

 理市が聞きたかったことを、ヒューは先回りして言ってしまう。理市は相棒の言葉を信じることにした。

 聡介は地図を拡げて、作戦を確認している。

 イルグリムに「士官学校」は二つしかない。オリヴィアがいるのは東岸にあるロキサネル士官学校だろう。ヒューが二年前に上陸した地点の、すぐ裏にある建物である。諜報部にもこの「学校」に関する情報は少なく、何枚かの外観写真とイルグリムが公式に発表している学校概要くらいしか得られなかった。

「ヒューはともかく、聡介、お前は港町で待機や」

「お断りしまぁす」聡介は地図を眺めたまま答えた。「いまのところ、あれをメンテナンスできるの僕だけじゃないですかぁ。お供しますよぉ」

「せやけど、民間人を作戦行動にまで連れて行くわけには……」

 聡介がレグラスに来てからというもの、あまりにも世話になりすぎている。このたびの発明に対しても無報酬だ。さらに「学校」にまで同行させて、危険に晒すわけにはいかない。

「民間人じゃないでぇす。昨日僕のところにこれが来ました」

 聡介は懐中から一枚の紙切れを出した。電報で通知された異例の辞令書だ。

「僕は今日から学生兼陸軍の技術士官でぇす。……大尉相当って書いてあるんですけど、大尉って偉いんですかぁ?」

 聞くやいなや、理市はベッドから立ち上がってびしっと挙手の礼をした。不本意ではあるが、上官の前でくつろいでいる訳にはいかない。

仲妻なかつま大尉のほうが、私よりも上官であります」

「へえー! じゃあヒコボシさんに命令してもいいってことですかぁ?」

「何なりと」

 聡介がニヤリと笑った。

「それじゃあまずは、初めて会った日に僕に乱暴を働いたことを謝ってもらいましょうかねぇ?」

 理市の額に嫌な汗が流れる。あのときはまさか、聡介が上官になるとは想像もしていなかったのだ。

「仲妻大尉、その節はまことに……」

 土下座も辞せぬ勢いで跪いた理市に、聡介がぶんぶんと手を振った。

「冗談冗談冗談冗談! そういう、『~であります! 敬礼!』みたいなの大嫌いなんでやめてくださぁい! 別にいままで通りでいいですよぉ!」

 聡介がそう言ってくれて安心した。理市はさっさと立ち上がり、「ほな遠慮なく」とベッドの上に身を投げ出した。

「ヒコボシさん、変わり身はやーい」

「傷に響くからやめてくれ」

 隣でヒューが大笑いしている。理市も笑った。良い仲間に恵まれている。

 決戦は、もうすぐだ。

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