第24話 ビニールプール
「すまなかった」
オリヴィアがマナセとともに去ったことを告げたとき、ヒューがまず口にしたのは謝罪の言葉だった。
目覚めた後の回復は早く、ヒューは一日で身体を起こせるようになっていた。顔色もいい。じきに退院できるだろうというのが医者の見立てだ。病室にはいま理市と二人きりである。
「二年前、俺はあいつに仲間を殺された。諜報部への転属を願い出たのは、いつかあいつを見つけ出して、復讐するためだった」
蘇る苦しみを堪えるかのように、しばしヒューはきつく目を閉じた。
「でも結局はこのザマだ。そのうえオリヴィアまで連れて行かれるとは……僕の独断専行が招いた結果だ。本当に申し訳ない」
深々と頭を下げるその姿は、理市の知る陽気で冗談好きなヒューの姿ではなく、誠実なひとりの軍人そのものだった。
「ひとつ、聞いてええか」
理市はヒューの青い瞳を穏やかに、真っ直ぐに見つめた。
「お前にとって、オリヴィアはどういう存在や?」
「情報源だよ。昔の仲間の仇に近づくためのね」
即答だった。ヒューの境遇を考えれば仕方のないことだ。理市の心に諦めとかすかな失望とが萌したそのとき、相棒は言葉を継いだ。
「同時に、オリヴィアはいまの仲間にとって大切な存在でもある。もちろん君のことだ、リイチ君。君の大切な人は、僕にとっても大切だよ」
そう言ってヒューは微笑んだ。
「俺には、……マナセもオリヴィアと同じに見える」
理市はためらいながら言葉を繋いだ。守ってくれる親もなく、
「その『士官学校』には、二人と同じような立場の子がおるやろうし、きっとこれからも犠牲は増え続ける。野放しにはしておけん。任務の範疇外なのは分かってるけど……」
「僕には、まだそんな風には割り切れないな」
ヒューは伸びすぎた顎髭を撫でながら答えた。彼はマナセに仲間を殺されたのだ。そう簡単に許せるはずがない。
「ただ、『士官学校』を見過ごせないのは僕も同じだ。兵力を投入して潰しにかかれたらいいが、難しいだろうな。諜報部になら、どうにか協力してもらえるかもしれないが……」
長引く内戦のせいで、レグラスは金がない。いまの内閣はイルグリムとの関係修復を望んでいる。国民も重い税負担にうんざりしていて、いい加減終わらせてほしいと考える人が増えているそうだ。海軍の船でたくさんの兵士と一緒に攻め込むのが一番いいが、表向き「士官学校」でしかない施設を攻撃するために艦船や兵隊を動員できるとは思えない。人体実験が行われているというのもオリヴィアがそう証言しているだけで、いまのところそれを立証する証拠がないのだ。
「まずは俺ひとりで密航して、潜入調査する。証拠を持ち帰れれば、軍も動かせるやろ」
「無茶だ。マナセ以外にも、
ヒューがすかさず言ったが、理市の決心は固かった。
「ほかに方法がない。やるしかないやんか」
「君ひとりでは行かせられない。僕も行く」
「それこそ無茶やないか。怪我人のくせに」
「もう治ったも同然さ。痛いところもない」
頬の絆創膏をつついてやったら、案の定ヒューは〈
「お二人さぁん、いちゃいちゃしてるとこ失礼しまぁす!」
いつの間にかドアの側に聡介が立っていた。
「なんや、来てたんか」
「さっきからいましたよぉ。ノックしてるのに全然気づいてくれないんですもん」
ふくれっ面をしてみせる聡介は、目の下の隈の色をさらに深くしている。
「できましたよぉ。適合人間に対抗するための秘策が」
ふふふふふ。不敵な笑い声が聡介の唇から漏れた。彼の手には拡声器に似た白いラッパ状の器具が握られている。これが「秘策」なのだろうか。
詳しい説明をする前に、聡介は床にへなへなと座り込んだ。
「おい、大丈夫か?」
理市が抱え起こす。きっとあまり寝ていないのだ。
「うーん、次はもっと平和な道具を発明したいでぇす。子どもが遊べるものがいいでぇす。例えば今日みたいな暑い日に、海や川まで行かなくてもおうちの庭で泳げるプールとか、全自動すいか割りマシンとかぁ……」
そこまで言うと、聡介は大の字になってぐうぐう寝てしまった。ヒューが自分の枕を差し出してくれた。これでは、どっちが患者なのか分からない。
「ソースケ君は、意外と夏をエンジョイしたいタイプなんだねえ」
「すいか割りの何をどう自動化すんねん……」
理市にはどうしても、そこが気になって仕方なかった。
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