第23話 静かな毒
七月二十三日、イルグリム島東部、ロキサネル士官学校。
表向きは全寮制の士官学校で、幼児期からの英才教育によって一流の軍人を育てるという方針を掲げているが、その灰色の塀の内側で何が行われているか知る人は少ない。実情は
ここに預けられる子どもは、ほとんど国内外から連れて来られた身寄りのない子どもたちだ。成長期を迎える前に
これまで二百人近い子どもをを実験台にしてきたが、移植手術後の適合率はいまだ五割にも満たないという。成功してどうにか成長期を迎えても、心身に何らかの不調をきたしている者が大多数だ。オリヴィアも戻ってきてすぐ、頭痛の発作を起こして「女子寮」の自室で寝込んでいる。健康体なのはマナセひとりだけだ。
それでも力を使った後は、どっと疲れる。フレイドンで
脱走者には本来なら重罰が与えられるはずだ。しかしオリヴィアは一週間の自室謹慎を命じられただけで済んだ。彼女は比較的健康な
「先生」たちは、強大すぎる力を得たマナセを恐れている。この学校でマナセに逆らえる者はいなかった。
〈オリヴィア、大丈夫か?〉
マナセは痛み止めの注射を医務室からくすねてきて、堂々とオリヴィアの部屋へ向かった。寮の警備員もマナセの言いなりだから、オリヴィアの部屋の合鍵は預かっている。
独房のような狭い部屋だ。小さな窓は嵌め殺しになっているうえ、
オリヴィアは布団にくるまって、顔を見せてくれようとしない。布団を剥がすのは簡単だが、マナセはオリヴィアに決して乱暴なことはしない。
〈薬、持ってきた。腕、出して〉
オリヴィアは布団から腕だけを出した。マナセが注射を打とうとすると、オリヴィアはだしぬけにそれを払いのけた。ガラス製の注射器が音を立てて割れ、木製の床に透明な液体が染みた。
〈もう私に構わないで〉
苦しげな声が返ってきた。
〈もしヒューさんが助からなかったら、私あなたのこと一生許せない〉
マナセは確信した。やはりあの男が、オリヴィアと接触していたレグラス人だったのだ。イースト・ポンド・パークで待っていれば、オリヴィアの手がかりがつかめるかもしれないと考えたのは正解だった。
〈もう一回言う。オリヴィア、あの男に騙されてる。
〈それが何?
痛いところを突かれた自覚はあった。マナセはオリヴィアを探して闇雲にレグラス軍の駐屯地を当たり、無益な殺生をしてしまったことを後悔している。
〈俺は銃口を向けられた。他にどうしろと〉
その言葉に、オリヴィアが突然跳ね起きた。激しい痛みに頭を抱えながらも、真紅の瞳をマナセに向ける。
〈なぜ銃口を向けられたかは考えないの?〉
〈なぜって……〉
マナセはオリヴィアのこの目に弱い。小さな子どもの頃から、ずっとそうだ。こんな風にオリヴィアが怒るのは、いつもマナセが何かとんでもない間違いを犯しているときだった。
〈俺はイルグリム人で、レグラスの敵だから〉
〈どうしてヒューさんが、あなたを見て敵だって分かったの? 初めて会ったはずでしょう?〉
〈きっと、俺の噂をどこかで聞いたんだろう〉
〈なぜ噂になるの? 噂になるようなことをしたからじゃないの? ……ううっ!〉
〈オリヴィア!〉
オリヴィアが顔をしかめて、またベッドに倒れ込む。マナセは彼女の額に触れた。ひどい熱だ。
〈医者、呼んでくる。無理するな〉
〈……ねえ、マナセ〉
頭痛にあえぎながら、オリヴィアはなおも続けた。
〈あなたは普通の人にはない力を持ってるわ。だからこそ、その使い道は選ばなくちゃ〉
言われずとも、マナセも分かっているつもりだ。
〈俺は、
〈それだけで十分? マナセ、あなたは力を得たようでいて、本当は毒に蝕まれているんじゃないかしら。あなたの力が、いつか巡り巡ってあなたの身を滅ぼす日が来る。毒は静かに、でも確実に進行している。でも、あなたはそれに気づいていない〉
マナセは答えなかった。
医務室に戻ってオリヴィアの処置をするよう伝え、無許可で校門を出る。「学校」の裏手は、さっきレグラスから渡ってきた海だ。
東へせり出した崖の下に、かつてマナセの秘密の隠れ場所があった。
崖の下は岩陰になっていて、学校から死角になる。人を殺すことに思い悩んで眠れない夜は、こっそり男子寮を抜け出して、ここに隠れて星を眺めていた。
けれども二年前、そこで敵の一隊がキャンプしているのに遭遇してしまった。たくさんの
物心ついたときには「学校」にいた。お前たちはレグラスとの戦争に勝つためにここにいるのだと教えられた。みんなそれが当然だと思っていて、異を唱えると仲間はずれにされた。ただでさえほかの友達とは違う力を持っているせいで
それでも人殺しが嫌で、「
〈……他に、どうしろと?〉
マナセのつぶやきは、あの日マナセが流させた血と同じで、寄せては返す波にさらわれて消えた。
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