第21話 朝顔

 理市りいちは陸軍病院に連れて行かれ、医師の手当てを受けた。こめかみの傷を縫合したほかは、目立った外傷はない。

 念のため検査をと言われたが、断った。もう誰かの世話になりたくなかった。痛み止めだけを受け取って、理市は夜更けに王立研究所に戻った。

 薄暗いままの部屋で荷物をまとめていたら、聡介そうすけが入ってきた。

「何やってるんですかぁ?」

 聡介は入口で、腕組みをして立っている。理市は背を向けたまま答えた。

「見たら分かるやろ。帰るんや」

「ええー? もう夜ですよぉ。怪我してるんだし、今日のところは寝たほうが良くないですかぁ?」

「オリヴィアが行ってもうた。俺ひとり、ここにおる理由がない」

 自ら行った報告は、すでに聡介の耳にも入っているだろう。ごまかしのない本当のことを話した。理市がマナセにあっさりと屈したこと、オリヴィアが理市を守るために、彼とともに帰ると決めたこと。

「俺のせいや。俺がもっと強かったら」

「無理無理無理無理」理市の嘆きを聡介が遮った。「相手は完全適合人間PAなんでしょ? 敵わなくても当然ですよぉ、ヒコボシさんは普通の人なんだから」

「……なら、俺も適合人間アダプテッドにしてくれへんか」

 立ち上がってじろりと聡介を睨む。睨まれた聡介が瞬きで困惑を示す。

「せや、ええ考えやと思わんか? 身体の中に異界鉱ミステライトを入れたら、あいつに勝てるようになるかもしれへん。神原かみつはら適合人間アダプテッド第一号や」

「冗談よしてくださいよぉ! 僕は医者じゃないですし、それに言ったでしょ、臨床どころか動物実験すらクリアしてないって」

「なら俺を実験台にしたらええ」

 理市はなおも詰め寄る。

 イルグリムが、脱走したうえレグラス軍に接触までしたオリヴィアを不問で済ますわけがない。彼女にどんな責めが与えられるか、想像しただけでも気が狂いそうだ。いますぐにでも助けに行かねばならないのに、理市にはそれができるだけの力がない。

「マナセもオリヴィアも成功してるんや、俺かていけるかもわからん。なあ……」

「いい加減にしてください!」

 聡介が理市を思いきり押し返した。ひ弱な聡介の腕力など普段ならものともしないはずなのに、理市はなされるがまま床にくずおれた。支柱を失った朝顔が蔓を伸ばす先を見失うように、彼もまた自分のなすべきことを見失っていた。いつか落ちた闇に、また落ちている。

「……今回のことは、僕にも責任があります」

 不意に、聡介がいつもと違う真摯な口調で言った。

「ヒゲのおじさんに頼まれたんです。今後の調査の役に立ちそうだから、異界鉱ミステライト探知レンズの眼鏡が欲しいって。でも本当は、おじさんは初めからマナセを狙ってたみたいです。諜報部の人に言ってたそうですよ、マナセを二年前にイルグリム島で見たって」

 ――戦場でひどい目に遭ってね。なんとか生き延びたけどもう嫌になっちゃって、配置転換してもらったんだ。

 理市はヒューの言葉を思い返した。あれは本当のことだったのだ。ヒューは、マナセと交戦した生き残りだったに違いない。もしかしてヒューは、マナセに復讐しようとしていたのではないか?

「僕が眼鏡を渡さなければ、ヒゲのおじさんは無事だったはずですし、マナセが中央病院の裏門でオリヒメさんを待ち伏せすることもなかった。オリヒメさんが連れて行かれることも、……あなたがこんなに苦しむこともなかった。あなただけのせいじゃありません」

 聡介はひざまずき、理市の手を握って続けた。

「ヒコボシさん、ごめんなさい。僕はあなたを適合人間アダプテッドにすることはできません。でもきっと、あなたがオリヒメさんを助け出せるように、僕は僕なりのやり方で全力を尽くします。だからもう少し、ここで待っていてください。お願いします」

 度のきつい眼鏡を隔てて、知性と意志を湛えた菫色の瞳が輝いている。その瞳を見て、理市も少し冷静さを取り戻すことができた。

「分かった。……すまん。俺、ほんまどうかしてるわ」

「無理もないですよぉ、立て続けにいろいろ起きちゃってるんですから」

 聡介に両肩をぽんぽんと叩かれた。また普段の口調に戻っている。

「とりあえず、今日はゆっくり寝てくださいねぇ! それじゃあ!」

 ぶんぶんと手を振りながら、聡介は陽気に出て行った。彼もつらいはずなのに、塞ぎ込むのではなく次の手を考えようとしている。理市よりも、よほど強い。

 こめかみの傷がじりじりと痛み、お前も強くなれと迫ってくる。でも、いまは休むしかないのだ。

 処方された痛み止めを飲み下した後、理市は深い眠りに落ちた。

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