第20話 甘くない

〈やめてくれ〉

 マナセはゆるゆると首を振った。

〈俺、殺すの、嫌い。その剣を抜くなら、殺さないといけない〉

〈黙れ!〉

 ヒューを痛めつけた敵だ。引くわけにいかない。

 理市りいちは抜刀するや否や、異界刀いかいとうを十文字に薙いだ。怒りのせいか、理市の放つ波動はいつもより赤味を帯びて鋭かった。地面が削れてつぶてが散る。普通の人間ならひとたまりもない威力だ。

 けれどもマナセは、腰に帯びた二本の短剣すら抜かず、ただ右手を掲げただけだった。

 マナセの手前で雷光が弾ける。その衝撃で理市は逆に吹き飛ばされた。

 マナセは悠々と理市へ歩み寄ってきた。地べたに尻をついて見上げたその顔貌は穏やかで幼かった。彼は理市の傍にしゃがみこむと、恐るべき握力で異界刀を奪い取った。

〈マナセ、やめて!〉

 冷たい汗が頬を伝う。異界鉱ミステライト探知レンズを持ち合わせていなくても、理市にはマナセの身体にみなぎる力を直感した。桁違いの戦闘能力だ。異界刀を持ってさえいれば太刀打ちできるのではと考えていたが、そう甘くはなかった。

〈オリヴィア、俺と一緒に帰ろう。帰らないなら、この人を殺す〉

 マナセは異界刀を目の前の理市に向けて言った。言葉とは裏腹に殺意は感じられない。

 オリヴィアはマナセを睨みつけて言い返した。

〈どうして公園でヒューさんを攻撃したの? 私たち約束したわよね、一般人は攻撃しないって〉

〈一般人?〉

 フ、とマナセが憐れむような笑みを漏らした。

〈オリヴィア、あの人は一般人じゃない。異界銃ミステライト・ガンを、持ってた。やらなければ、俺が殺された〉

〈え……?〉

 オリヴィアの声に動揺が走る。まずい展開だ。理市は奥歯をきつく噛みしめた。

〈オリヴィア、きっと君は騙されてる。ここにいるの、良くない〉

「オリヴィア、こいつの言うことに耳を貸すな!」

 理市はわずかな隙を突いて、マナセに飛びかかった――つもりだった。

 マナセから異界刀を奪い返したかった。呉尾さんからもらった大切な愛刀だ。けれどもマナセは軽くそれをかわし、柄で理市のこめかみを殴った。

 理市は再び地面に突き倒され、背中を強打する。痛みで息が止まり、吸ったときに土埃を吸い込んでしまった。激しく咳き込む理市を、マナセが見下ろす。

〈あなたも、刀がなければ、一般人と同じだ〉

 その言葉は、理市の胸を深く突き刺した。

〈もうやめて!〉

 オリヴィアが決然と言った。

〈分かった。一緒に帰りましょう、マナセ〉

「あかん」と叫びたかったが、声が出なかった。苦しまぎれに手を伸ばしても、オリヴィアは悲しげに見つめ返すだけだ。

〈これ、返す〉

 マナセは理市の足下に異界刀を丁寧に置いた。それがかえって、理市の屈辱を煽った。

「理市さん、ごめんなさい……さようなら」

 オリヴィアの真紅の瞳から、涙が散った。彼女がマナセの手を取ると、二人はふわりと宙に浮いた。これも適合人間アダプテッドの力なのか。敵うわけがない、生身の人間では。

〈何事だ!〉

〈おい、人間が宙に浮いているぞ!〉

 騒ぎを聞きつけて研究所の警備隊が出てきた。彼らが上空を見て銃を構えるべきかどうかためらっている間に、少年少女は彗星のように西の空へ飛び去ってしまった。

〈モリス中尉、大丈夫ですか?〉

 警備兵のひとりが理市を抱え起こす。殴られたこめかみは切れて流血しているが、大した傷ではない。大丈夫だと分かっているのに、答えられなかった。

 護衛対象を逃がすなんて、またしても軍人としてあるまじき失態だ。辰巳宮たつみのみやのときと同様、何らかの処分が下されるに違いない。だがいまの理市には、そんなことはどうでもいいことだった。

「オリヴィア……」

 もう何も見えない西の空を見上げて、虚ろにつぶやく。

 まただ――また大切な人を、守れなかった。


***


 同日、南フレイドン港。

 島国であるレグラスにとって、南フレイドン港は古くから外国に開かれた国内随一の国際港である。しかしながら内戦が始まってからというもの、外国からの旅客はめっきり減った。入国審査官のゲイリー・ホルトも、欠伸あくびをしながらいつこの職を失うかと戦々恐々としている。

 今日の旅客は、白髪交じりの東洋人男性ひとりだけだった。

〈カミツハラから? ずいぶん遠くからお越しですね。お仕事ですか?〉

〈こっちに息子がいましてね、会いに来たんです〉

 流暢なレグラス語が返ってくる。こないだ通した金髪の神原人もレグラス語が上手だった。きっと神原国は同盟国だから、みんなレグラス語を勉強してくれているのだろう。そう思うとなんだか嬉しかった。

〈ようこそレグラスへ。楽しんでください、ええと……ミスター・モリス〉

 旅券の名前は、森州清もりすきよし――その旅券が亡き友人の名を借りた偽造旅券であることを、ゲイリーは見抜けなかった。

 神原からの客は、にこりと笑い返した。

〈この港は禁煙ですかな?〉

〈いいえ、大丈夫ですよ〉

〈そうですか、ありがとう〉

 彼は煙草に火を点けて咥えると、旅行鞄を抱えて颯爽と歩き出した。

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