第18話 占い

 擬装車を走らせて西フレイドン港に急行したヒューは、召集した兵士たちに聴取を行うとすぐにまた車へ飛び乗った。

 ――両手に短剣を持った、真っ黒い長髪の若者でした。まだ十代じゃないかと。

 ――オリヴィアという白い髪の少女を探していて、東に向かっていきました。

 リイチとオリヴィアがイースト・ポンド・パークでデートしていたのをたまたま目撃していた隊長が喋ってしまったらしい。彼はそのとき一緒に見かけたレグラス人が目の前にいることに、まったく気づいていなかった。ヒューの心に怒りは起きない。むしろ、感謝の念が湧いた。

〈よく話してくれました。ありがとうございます〉

 隊長にはにこやかに礼すら言ったが、いまハンドルを握るヒューの表情は険しい。

 間違いない。彼らが見た少年も、ヒューが二年前に見た少年も、おそらくは先日第三駐屯地を全滅させたのも、同一人物だ。

 黒髪の少年は、オリヴィアがレグラスの軍人、すなわちリイチと会っていたと聞いて、すでにオリヴィアがレグラス軍と接触を持っていると考えたのだろう。手がかりを探して、イースト・ポンド・パークに最も近い第三駐屯地を襲った。次に少年が向かうのはどこだろう。ペリントン商会は、レグラス軍の中でもあれが諜報部だと知っている人間はごく限られているから安全なはずだ。

 近辺の駐屯地や軍のオフィス付近を巡ってみた。王立研究所や軍本部はいつも通りの警備が敷かれていて、騒ぎになっている様子はなかった。少年もオリヴィアと同じ適合人間なら、異界鉱ミステライト探知レンズに反応があるはずだが、車中からは感知できない。午前中なのに通りの街灯が灯っているように見えるだけだ。

 苛立ちが募る。絶対にまだこの近くにいるはずなのに、見つからない。一度ペリントン商会に戻るべきかと考えたそのとき、突然ヒューの視界が真っ白に輝いた。太陽を見てしまったのか? ――いや、北へ向かって走っていたはずだ。

 ヒューは車を路肩に止め、眼鏡を外した。何もない、いつもの平和なフレイドン市街だった。天気は曇りで、いまにも雨が降りそうだ。けれども眼鏡をかけると、眩しくて目が開けられない。

 眼鏡を取ったその先にあるのは、イースト・ポンド・パーク。

 灯台下暗しだった。ヒューの視線の先に、彼はいた。

 腰まで届く長さの黒い髪、黒いブレザーと赤いネクタイ。少年は池のほとりに立ち、鴨に向かってパンをちぎって投げている。

〈動くな〉

 ヒューは彼に素早く接近すると、その背に銃口を押しつけた。

異界銃ミステライト・ガンだ。いくらお前がイルグリムの適合人間アダプテッドでも、この距離で撃たれれば死ぬ〉

〈そうだな。死ぬ〉

 穏やかな声で返答があった。

〈でも、ごめん。自衛する〉

 次の瞬間、ヒューは自分の身体が宙に舞っているのを感じた。

 激痛。血の臭い。驚いた鴨が飛び去る慌ただしい羽音。通りすがりの人々の悲鳴。地面に叩きつけられる衝撃で意識を失うまでの間、二年前の記憶が脳裏を駆け巡った。


***


 手漕ぎのボートで密航し、イルグリム島東岸の砂浜に上陸した特殊武装隊の十五名は、岩陰の死角にテントを張っていた。翌早朝から行軍し、近くの港を攻撃する予定だった。

 ヒューは仲間たちから少し離れた場所で夜空を見上げていた。

〈なんだよ、星占いでもしてんのか?〉

〈うるさいぞトミー。クソして寝てろ〉

 軽口を叩いて笑い合う。入隊当時は若者だった二人も、いまや熟練の兵士になっていた。スミス隊長はこの任務を最後に引退することを決めており、少尉から昇進したブライトン大尉が後任の隊長になる予定だった。ヒューが星を見ていたのは、いくらかセンチメンタルな気分だったからだ。読書好きのブラウンはヒューと同じく准尉になっていて、今日もやはりたき火の明かりを頼りにペーパーバックを読んでいた。

 いつもは北の空に見える古代の英雄の星が、その日は見えなかった。スミス隊長のために輝いてほしかったなどと詩的なことを考えたのは、ブラウン准尉の影響に違いない。

〈敵襲だ!〉

 その叫びは、あまりにも唐突だった。みな素早く武器を取ったが、銃声よりも先に次々に悲鳴が上がる。仲間たちがばたばたと倒れていた。砂浜が、海水ではない黒い液体で湿っていく。

〈みんな落ち着け、まずは敵を――〉

 いち早く立ち上がったブライトン大尉の言葉は途中で途切れた。さっきまで元気だった大尉が、おびただしい量の血を流して倒れている。

〈逃げろみんな、敵は人間じゃない……! 怪物だ!〉

 叫んだブラウン准尉は、もう腹部を斬られていた。

 敵が、たき火の傍に立っている。黒髪の男だった。

 ――子どもじゃないか?

〈畜生!〉

 怒りにまかせて飛びかかっていったトミーは、銃剣を軽くいなされて首を掻ききられた。

 いままで当たり前にともに過ごしていた仲間が、あっという間に死んでいく。凄惨すぎて、まるで現実感のない光景だった。

 敵はヒューに向けて短剣を振りかざしていた。スミス隊長が身を挺してそれを止めた。

〈お前だけでも逃げろ〉

 肩口に刃を突き立てられたまま、隊長は敵の手首を握り締めた。

〈でも〉

〈もう残っているのはお前だけだ。フレイドンに戻って、ここで起きたことを報告するんだ!〉

〈……申し訳ありません、隊長〉

いい子だGood boy

 結局、隊長に従うしかなかった。ヒューは銃剣を投げ捨て、ひとりボートへ飛び乗った。背後に隊長の断末魔の声を聞きながら。

 涙にあえぎながら必死で船を漕いで、明け方にレグラス海軍の船に救助された。

 傷は負わなかったが、第二の家族を目の前で全員惨たらしく殺された。精神的なダメージがひどく、ヒューは丸一年軍務から離れざるを得なかった。

 何があったのか何度も医師に説明したが、妄言だと診断された。常識的に考えれば、ナイフを持っているだけの子どもに精鋭部隊が皆殺しにされるわけがない。やがて自分でも、あれは幻だったのではないか、病んだ心が記憶を捏造したのではないかと思うようになった。

 いまなら分かる。あれは何もかも現実だったのだと。

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