第17話 砂浜
ヒュー・ハーヴェイ・モリスが諜報部に転属する前のこと。
彼が相棒のリイチに語った話には、真実と嘘が混ざっている。たとえば、「筋金入りのスパイじゃない」「去年転属になるまでは、銃剣を担いでイルグリム島に攻め込んでたよ」は、真実だ。
一方で、次の戦友――つまりリイチ――が
両親の祖国へ帰ることになったのは、父親が突然病気で他界したためだ。母はもともと病弱で、長時間働けなかった。暮らし向きは急激に悪化し、長兄だったヒューは母と幼い弟妹を養うために働かなくてはならなかった。
ちょうどレグラスとイルグリムの内戦が始まった頃だった。街中に貼られた兵士募集のポスターを見て、ヒューは家族に相談せず願書を出した。
〈戦争をしてお金を稼ぐだなんて! あなたが死ぬかもしれないのよ!〉
息子が軍隊に入ると知って母は怒り、嘆き悲しんだが、ヒューはそれほど深刻に考えていなかった。むしろ食うや食わずの生活を送るくらいなら、軍隊でまともな食事にありつきたい。給料も出る。――死ぬかもしれない? 仕事がなければ、それこそみんなで飢え死にするだけだ。
実際、ヒューには兵士としての才能があった。機敏で体力があり、射撃も同期入隊の中で一番上手かった。入隊してしばらく訓練を受けた後、ヒューは前線に送り出された。ヒューが新兵だったころのレグラスは、現在よりもイルグリムに対して強硬だった。いまイルグリムがレグラスにしているように、イルグリム島東岸の街を断続的に襲撃しては撤退することを繰り返していた。
ヒューは、イルグリムのことが好きでも嫌いでもなかった。イルグリム兵を殺せば殺すほど軍の中で評価が上がり、給料も増える。だから殺す。それだけだった。多くの兵士が持つ殺人への躊躇を、ヒューはほとんど持ち合わせていなかった。
もちろん、人を殺すのは悪いことだと知っていた。人間らしい感情は持ち合わせているつもりだし、敵にも自分と同じように守るべき家族がいるのも理解していた。それでも「仕事だ」と割り切ると、ヒューは心が全く動かなくなるのだ。若い頃は「仕事」をやり遂げるのに精一杯で、良心の
もうひとつ、明確に嘘をついたわけではないが、ヒューはリイチを騙している。
〈今度は長い付き合いになるといいなと思って〉
まるでリイチの前の仲間とは、短い付き合いで終わってしまったかのような言い方をした。けれども実際は、ヒューは実に十年以上も同じ仲間と一緒に過ごした。
レグラス陸軍特殊武装隊。一進一退を繰り返す戦況を打破するために結成された少数精鋭部隊である。ヒューは二十二歳のときに選ばれた。実戦での冷静さと度胸、射撃の腕を買われたのだ。多くは経験を積んだ兵士が選ばれる部隊だったから、ヒューは最年少だった。
そこで出会った仲間たちのことを、ヒューはひとときたりとも忘れたことはない。スミス隊長は厳格だが温かい人柄で、ヒューのことをよく〈いい子だ〉と可愛がってくれた。ブライトン少尉は元水泳選手で、レグラスとイルグリムの対抗戦で勝利したときのメダルを肌身離さず持っていた。読書家のブラウン曹長は普段は無口なのに好きな本の話になると途端に饒舌になり、ヒューにあれこれと本を薦めてくれた。二歳しか違わないのにやたらと兄貴分を気取りたがるトミーとはケンカばかりしていたが、結局のところ一番の親友だった。隊員の入れ替わりはあったが、この四人はヒューが入隊してからずっと一緒だった。
訓練は一般兵の倍以上も厳しく困難だったが、仲間たちのおかげでヒューは毎日楽しかった。新しい家族ができた気がした。父を亡くし兄を持たなかったヒューにとっては、自分が甘える立場になれることが新鮮で嬉しかった。ヒューにとって仲間たちと過ごす時間は、単なる「仕事」を超えていた。
「特殊武装隊」の任務も、一般の部隊と同じくイルグリムの海辺を攻撃することだった。違うのは、攻撃目標が一般市街ではなく基地や港といった軍事拠点であること、そして彼が与えられた武器には
一般兵よりはるかに意気軒昂で、破壊力の高い武器を持っている特殊武装隊は、存分に活躍した。それでも、レグラスが戦線を推し進めることはできなかった。特殊武装隊はまだ一部隊しかなく、
五年前に政権が交代してからは、レグラスはイルグリムに対して態度をやや軟化させている。国民感情の変化というより、
二年前の出撃が、ヒューにとって――そして、特殊武装隊にとって最後の出撃だった。
真夜中に上陸したイルグリム島の東岸、あの美しい砂浜で起きた惨劇が現実だったのか、ヒューはずっと自信を持てずにいた。
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