第16話 レプリカ

 昼前に聡介そうすけがやって来た。理市りいちとオリヴィアに研究室を案内してくれるという。

「ええんか、勝手にそんなことして」

「何がですかぁ?」

「曲がりなりにもレグラスの王立研究所やろ。極秘研究とか、あるんちゃうんか」

 理市が言うと、聡介はあははぁと大きな口を開けて笑った。

「そうですねぇ、一番の極秘研究対象は、オリヒメさんかなぁ?」

 すかさず鯉口こいくちを切った。異界刀いかいとうからあふれ出る紫の雷光で聡介を脅かす。

「わ、分かってますよぉ! オリヒメさんの嫌がることはしませんってば!」

「ならええけど」

 隣でオリヴィアが嬉しそうに笑っている。

「もちろん、レグラスと僕の間で秘密保持契約を結んでますんで、全部はお見せできないんですけどぉ、第三研究室ならオッケーでぇす。行きましょう!」

 第三研究室は、理市が寝室代わりに借りている談話室のひとつ隣の、八畳程度の小さめの研究室である。扉を開いてすぐ目に入ったのは、中央にある大きな機械装置だ。高低差をつけた支柱の上にガラス製のといが斜めに備え付けられており、樋の上流側には液体の入ったタンク、下流側にはたらいのような受け皿がついている。樋に何かの液体を流すようだとは推測できたが、理市にはこれが何の装置なのか分からない。

「じゃじゃーん! これが僕が発明した流しそうめんマシンでぇす! 僕、神原かみつはらからそうめん持って来たんでぇ、後で流しそうめんしましょうねぇ!」

「……このマシンも、わざわざ神原から持ち込んだんか?」

「そうでぇす。レグラスのみんなにも、そうめんの素晴らしさを伝えようと思って。本当はガラスの樋じゃなくて竹が良かったんですけどぉ、植物は国外に持ち出し禁止だって言われてぇ」

 聡介は妙に得意げだ。理市には流しそうめんの何たるかがいまだピンと来ていないが、久しぶりに神原の食べ物が食べられるのは純粋に嬉しい。

「聡介さん、あれは?」

 オリヴィアが流しそうめんマシンの奥の棚を指さした。

 近寄ってみると、ガラス棚の中にきらりと光るものがあった。黒い台座の上に、多角柱をいくつもくっつけたような形状の、ごつごつとした透明の塊が載っている。

 聡介が棚を開けて、それを素手で取り出した。

「これが神秘の鉱物、異界鉱ミステライトの結晶でぇす。レプリカじゃなくて本物ですよぉ。触ってみてください」

 オリヴィアは聡介から、恐る恐る結晶を受け取った。オリヴィアの手に触れると、うっすら虹色に光ったように見える。

「綺麗……それに、少し温かいです」

「結晶は反応が強いですからねぇ。ちょっと触っただけでも、オリヒメさんの体内にあるものと反応するんですよぉ。ヒコボシさんの異界刀は、製鉄の段階でこれを粉末にしたものが混ぜられていまぁす。通常、刀を作るときは原料の鋼から不純物を取り除くんですけど、異界刀は逆なんですよねぇ。本当に不思議な物質ですねぇ」

 聡介はすらすらと語り、オリヴィアから返してもらった結晶を再び棚にしまった。

「それじゃ、あとは適当に見学しててくださいねぇ! 僕は流しそうめんの準備をしまぁす!」

 第三研究室には異界鉱ミステライトのコンロがあり、鍋があり、聡介が神原から持ち込んだそうめんや、めんつゆの材料まであった。


***


 七月十九日、朝。

〈おはよう、ヒュー。どうした、イメチェンか?〉

〈ま、そんなところです〉

 黒縁の眼鏡をかけて出勤したヒューに、上官のゴードン少佐が声をかける。聡介に頼んでいた異界鉱ミステライト探知レンズ入りの眼鏡が出来上がったのだ。度は入っていない。執務室内で反応があるのは、照明とナンシーの手元にある暗号解読機、そしてヒューの背広の内側だけだった。

〈リコがいなくて寂しくないか?〉

〈そりゃ寂しいですよ。最近はずっと寝室も別でしたしねえ〉

 ヒューも冗談で返しながら、自席に着席する。まあ、あながち冗談でもない。よきカミツハラ人Good Kammy boy、リイチと暮らす毎日は、それほど悪くなかった。

 受付嬢のナンシーが、暗号文を解読しながら怪訝な顔をしている。レッドワース中尉――上官だが、ヒューはケヴィンと呼んでいる――が、大量の擬装伝票をこしらえながらナンシーに声をかけた。

〈どうしたの? また『本社』が無茶なことでも言ってきた?〉

〈中尉、これ……〉

 ナンシーがケヴィンに解読文を見せた。

〈何これ。送り主がどこかスペルを間違えたんじゃないの?〉

〈私もそう思って、何回も確認したんですけど……〉

〈俺にも見せてよ〉

 ひそひそ話す声が気になったので、ヒューも解読文を見せてもらうことにする。

〈「仕事」が嫌になったからみんなでグルになって、口裏を合わせてるんじゃないか? ……ヒュー? どうした?〉

 文章に目を通すにしたがって、ヒューの表情が凍りついていく。

 受け取った暗号文は、口頭符牒「魚市場」――西フレイドン港からの奇妙な連絡だった。


 七月十日の戦闘後に、全員無傷で帰還するも戦意喪失した一小隊あり。

 彼らは「銃で撃たれても死なないイルグリム兵に会った」と言い張っている。


〈ナンシー、すぐに『魚市場』に連絡を取ってくれ。俺が直接話を聞きに行く〉

〈ええっ、でもこんなのまともに取り合う必要……〉

〈見たんだよ、俺も! 二年前、イルグリム島で!〉

 思わず大声を上げてしまった。忌まわしい記憶が甦る。いつものヒューらしくない態度に、仲間たちの空気がひりつく。

〈……すまん。行ってくる〉

 ヒューは背広の内側にしまった銃の存在を確かめ、ぺリントン商会を飛び出した。

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