第14話 お下がり
七月十三日夜。
オリヴィアは二週間過ごしたモリス家を発ち、
人目につかないように、出発は夜十時を過ぎてからになった。すべての手配は聡介が行ったことになっている。ヒューとリコの正体は、オリヴィアには明かしていない。
着替えに困らないように、リコはできる限りたくさんの洋服をオリヴィアに渡した。
「お下がりばかりで、ごめんなさいね」
「いえ、むしろいろいろとありがとうございます」
服はあっても下着は持ち合わせがなかったので、リコは前日のうちに衣料品店に足を運んでオリヴィアのための下着を購入しておいた。どんな下着がオリヴィアの気に入るものなのか、またサイズが合うものなのかが全然分からずに辟易したものだ。まさか自分が、ブラウスとスカートの下に
結局、リコはオリヴィアが着ていたのと似たシンプルなものを選んだ。女子の下着を洗濯していたことにいまさら気づき、急に恥ずかしくなった。オリヴィアのためにリコ・モリスを演じ続けて二週間、ときどき自分が
「またいつか、会えますか?」
オリヴィアの問いに、リコはすぐ答えられなかった。否定と取ったのだろう、オリヴィアは表情を曇らせ、しかし強いて笑顔を作った。
「本当に本当に、お世話になりました」
ためらいもなく、リコの胸に飛び込んでくる。背中に回された腕から、やわらかな温かさが伝わってくる。リコは男の身体だと気づかれないように、恐る恐る抱き返さなくてはならなかった。
通りの暗闇を、タクシーのサーチライトが切り裂く。諜報部が手配した擬装車だ。「イルグリムの軍事機密に関する情報提供者を保護した」と伝えると、仲間たちは迅速かつ協力的にことを運んでくれた。運転席に座っているのは、またも男装したナンシーだった。護衛も二人同乗している。
車に乗り込んだオリヴィアは、見えなくなるまでヒューとリコに手を振り続けていた。
〈行ってしまったねぇ……〉
ヒューが吐き出した長い息は安堵の息だった。首をポキポキと鳴らしながら客間に戻った後、彼は本音を口にする。
〈ほっとしたよ。これで家の中でまで、演技を続けなくてすむ。ま、一杯やろう〉
表情を緩めて、サイドボードからいそいそとウィスキーとグラスを取り出す。理市は台所から水を入れた瓶を持ってきた後、かつらを脱ぎ捨てた。愛らしいフリルつきのブラウスやスカートとはちぐはぐな軍人の顔つきで、ヒューから酒を受け取る。
〈君も日がな一日女装し続けなくてよくなったし、少しは気が楽になるだろ?〉
ヒューはそう言うが、理市の心は曇ったままだった。
〈……ときどき、ほんまに俺がリコやったら良かったのにと思うことがある〉
〈ええっ、本当に僕と結婚したくなったのかい?〉
〈んなわけないやろ〉
理市は自分が本当のリコ・モリスでないのが残念だった。オリヴィアは隠し事をしていたと謝罪したが、リコのほうこそ彼女を騙し続けていた。オリヴィアが家族の安らぎを求めていると知りつつ、母親代わりを演じ続けるのには罪悪感があった。
〈俺はどないしたって偽物や。あの子の母親にはなられへん。それが、なかなかしんどうてな〉
今度はヒューが表情を曇らせる番だった。
〈リイチ君、君はずいぶんあの子にほだされてしまったみたいだな〉
〈男の格好のままで、昼間仕事に出てたお前には分からんやろ。こっちは一日中、ひとつ屋根の下におって母親の真似事をしてたんや。そら情も湧くし、守ってやりたいとも思うよ〉
酒のせいかいつもより饒舌になっている自分に気づき、理市はむっつりと押し黙った。
ヒューは何かを言いかけて、しかし一度グラスを口に運んでから、こう言った。
〈明日からは守ってやるといい、本来の君のやり方で。どうか気をつけてくれ、つい先日フレイドン市内の駐屯地がひとつ全滅させられたばかりだ。敵の正体もまだ分かっていない〉
〈……ああ〉
理市はグラスの中身をすっかり飲み干した。
***
翌七月十三日朝。
オリヴィアはレグラス軍本部に一晩預けられ、軍に協力する旨の宣誓書を書かされた後、聡介が待つ王立研究所に移送された。
王立研究所は最近建てられた建物だった。綺麗で清潔で、イルグリムの士官学校とは全然違う。あれは士官学校とは名ばかりの牢獄だったと、オリヴィアは思っている。
「いらっしゃぁい、オリヒメさぁん!」
エントランスホールで待ち構えていた聡介が、ぶんぶんと手を振っている。変な名前で呼ばれているのに気づかなかったのは、その隣に立っている人の姿を認めたからだ。
「改めまして、こんにちはぁ! 僕が仲妻聡介でぇ、こっちはぁ」
「……理市、さん」
聡介が紹介する前に、思わず彼の名を呼ぶ。
「
その軍人は、挙手の礼の後でかすかに表情を緩めた。
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