3.変異

「変異株……?」


「が、見つかっちゃったみたいなんだよねェ」


主任の言葉に全員が顔を曇らせた。

メディアに発表されるより早く届いたその情報は、ずっと恐れていたことだった。

新しく発見された鬱ウイルスの変異株は、感染力、症状共により強い。

これまでのウイルスに対してさえ、私たちは満足な武器を用意できていないというのに。


「とにかく症状が重いみたいで、患者から薬が効かないだとか処方を増やして欲しいとかって訴えが凄く多いって医療機関から報告があるんだ……」


「けど今出してる薬は大前提、麻薬なのよ。ハイわかりましたーって増やせませんよ」


「そ、そんなこと言われてもさァ……」


「アタシは別に、主任に言いたいってワケじゃなくて……」


それ以上は誰も発言できないまま、一旦ミーティングは解散した。

横目で奥のデスクを見れば、各所からの報告を受けている主任の顔色は悪く疲れがありありと伝わってくる。


自分のデスクで改めて変異株についての資料に目を通す。

基本は変わらないが感染力が高く、これまでと比較してより重い抑うつ状態、無力感や自己否定感、強い不安から自傷や自殺が絶えない。

そして今までの抗うつ薬や安定剤どころか、リスクと秤にかけて選択した薬でさえ対抗できなくなり始めている。


メディアからは増加する感染者数と医療現場の惨状、民衆の悲嘆の声が聞こえてくる現実。

状況は深刻で、例えどんなものでも早急な対応策が求められていた。

私たちにできることは……


「ねェ、例のキノコマンのやつって今どうなってる?」


主任の声がした。

その声の意図すること、そして導かれることはチーム全員が瞬時に理解したことだろう。

私も含めて。





「キノコくんの胞子を使った薬、もうすぐ承認されると思うよ」


「……そうですか。白衣さん、大丈夫ですか?」


「え。どうして?」


「少し疲れているように見えたので」


変異株の報告を受けたあの日から、私達はとうとう新薬を作り上げてしまった。

鬱ウイルス感染による諸症状に対して最強の効果といっていい薬。

しかしリスクに関しての問題は、ほとんど残ったままである。

それでも間もなく承認される――世界はそれほどに、追い詰められているのだ。


「……大丈夫だよ」


実際、疲れている。

私も自分の研究は棚上げして新薬の開発に携わった。

この薬が世間に渡った時の危険性を感じながらも、自殺者数のニュースが聞こえる毎日の中で手を止めることはできなかった。

とても自分のデスクに戻れる暇は無いまま、新薬は完成したのである。


「それより、キノコくんの方こそ大丈夫? 胞子の取り過ぎで体調が悪くなったりしないの?」


「はい。僕の負担は特にありませんので、気にしないでください」


「そう……」


もし、キノコくんが胞子の採取は苦痛だと訴えたなら。

そもそも監禁生活が不満だと暴れ回るようなタイプだったなら。

私達がこんなにあっさりと薬を手に入れられなかったら。


――なかったら、世界が終わるだけだ。


感染していく速度も、私が理想の薬を作る速度も何も変わらないのだから。


「白衣さん?」


「……ありがとう、またね」


採取袋を持って立ち上がる。

あまり眠れていないせいか、少し頭痛がした。

戻ったら一旦お茶でも飲もう。

キノコくんは頭痛とか無さそうだな、なんてことを考えながら部屋を出た。





『先週、警察は市内の薬局からの窃盗事件を報告しました。現在鬱ウイルスの症状に対し処方される新型抗うつ薬を入手するために行われたものとされています。また、同様の薬を入手するために市内で発生した強盗や押し入り事件も相次いでおり――』


メディアからは連日、新薬を求める人が犯してしまったニュースが流れてくる。

当然と言えば、当然の結果だと思う。

私達は、私はこの結果を予測していた上でなお、キノコくんの胞子を使った薬を出したのだ。

わかっていた……


「白衣さん」


キノコくんの呼びかけで、私は持っていたラジオを止めた。

薄暗い部屋の隅に座り込んだまま、顔だけを彼に向ける。

どこかへ逃げ込みたい気持ちだけでここに来た私をキノコくんは黙って受け入れてくれていた。

ラジオが消えて急に静かになった耳へ彼の声が響く。


「……僕を使った薬は、本当に世の中に出すべきだったのでしょうか?」


「…………」


少なからず報道規制されるメディアよりも、自分で確かめられるキノコくんの方が今の現状をよく把握していることだろう。

キノコくんの胞子を使った新薬は、その劇的な効果から人々の希望として光を集めた。

薬として加工したとはいえ危険性が高い為、医師の厳正な判断により処方が定められる。用法用量を厳守するように、と。

しかし間もなく、それをめぐっての犯罪が少しずつ増加していった。


「どうしてああなるんですか? 薬で症状は良くなって、それで終わりにならないんでしょうか」


「……今、薬欲しさに罪を犯したりしている人は、まずまだ鬱ウイルスの症状が完治していない患者さん」


「鬱ウイルスの症状は無気力や倦怠感だと聞きました。この薬を処方されるのは重症患者で、体が動かせない人も多いと……」


「治療途中の、薬の効果が一旦切れてくるタイミングが最も大変なの。心はうつ症状による強い不安感が押し寄せて、けど薬の効果が残っているから体は動く。結果、攻撃的になりやすいし自殺の危険性も高い」


薬は麻薬と同じ作用がある。不安や落ち込みに効くと同時に、多幸感や高揚感も現れる。

どんなに重い症状にも効く程に強いからこそ、それらも凄まじく忘れられない。

例え以前と比べて症状が軽快してきたとしても、薬の効果で得られていた気分や体の軽さには敵わない。


"幻覚キノコ"その名の通り、現実を夢で上書きしてみせる魔法。


夢から醒める恐怖、心が重く沈み体が動かない現実に戻る恐怖に支配されていく。

少しでも薬が切れてくることが不安になり、より多くの薬を手元に置いておきたくなる。

しかし医師からの処方は厳しく管理される為、時に多少は我慢しなければならない瞬間もある。

そんな時、きちんと見守り支えてくれる人が必要なのだが――現実、それを完全にすることは難しい。


理想はいつも、うまくいかないな。


恐怖や欲に負けて過剰に服用してしまい、足りなくなり、薬のことで頭がいっぱいになる。

離脱症状も激しくなり、自身の免疫が鬱ウイルスに打ち勝ったとしてももう薬を手放せない。

正常な判断力は失われていき……辿り着く先は、薬物依存。


「つまり今薬関連の犯罪が起こってしまうのは、治療途中で不安定な人、ウイルス自体は完治したのに薬の効果が忘れられない人、そんな人達に高額で薬を売ろうとしている人などが後を絶たないから……が、最終的な回答かな」


「白衣さんは、こうなることをわかっていたんですよね」


「……可能性は高いだろうな、とは思ってたよ。まだリスクを充分に軽減できないまま出しちゃったから」


「やっぱり出すべきじゃ……白衣さんの作っている薬の方を、」


「しょうがないじゃない! キノコが無いと、みんな死んじゃうんだよッ!!」


つい払いのけたラジオは床を滑っていき、キノコくんの足元で止まった。

私は……

私は大きな声を出したことで何かが外れ……視界が滲んではこぼれていく。

ずっと抑えていた心が、こぼれていく。


誰も待ってはくれない。手を止めて考える時間なんか、私の薬を待つ暇なんか、世界には無いのだ。


「白衣さ……」


「私のお父さん、昔うつ病で自殺したの」


涙と共に、無意識に言葉もこぼれた。


まだ私が子供の頃だった。

その当時には鬱ウイルスなんてものはなく、父は自身のストレスによって発症した。

幼かった私には父の詳しい事情を理解できなかったし、後に母に尋ねることもなかったので未だに具体的な原因は知らない。

聞いたところで、もう父を救うことはできないから。


ただ、父は生真面目な人で自分の状態を自分が一番許せなかったようだった。


「……白衣さんはそれで、うつ病の人を救いたい、と思ったんですか?」


「結果的にはそう、かな。けど……」


当時の私を取り巻いていたのは、飲み込めない困惑と、父がいなくなったショックと、母のやつれた顔、葬式、声、涙…

たくさんのものが、ぐるぐると渦を巻いて暗い濁流の中に居るようだった。

ようやく落ち着いて目を開けて、残っていたのは父の居ない現実と寂しさ。

記憶としては薄れた今でも、事実として自分の中に在り続けている。


「私は、私を救いたいんだよ。父のような人を救うことが手段で、その結果あの頃の私と同じ気持ちになる人が居ないようにして、そうして自分を救えた気持ちになる。これが目的」


「そう……だったんですか」


そう、だから――

世界の在り方が変わってしまうような禁断の手だとわかっていても。

目の前にある解決が、短絡的な夢だと思っていても。

自分の影が現れる想像をすると、どうしても、見殺しにするような選択は取れなかった。


「医師になる道は選ばなかったんですね」


「うん、なんでかな。ああ、魔法の薬があればいいのにって、思ったんだった気がする……」


こぼれたついでに、少しだけ思い出す。

久しぶりに押入れを開けたような気持ちだった。

医者、カウンセラー、ただ傍に居てくれる人…うつ症状を支えるには、薬以外の方が重要なこともある。

でも私の小さな脳みそから最初に出てきた願いは、お父さんを治す魔法の薬、だったんだ。


「でもだめだね。結局、なんにもできない子供のままで……」


「そんなことは――」


「ちょっと。アンタ大丈夫?」


声へ顔を向けると、既にドアは開いていて人影がそこに立っていた。

一瞬遅れてコンコンとノックされる。

順番が全部間違っているその人は、いつもの顔で私を見ていた。


「センパイ……」


なかなか戻ってこない私を心配して来てくれたのだろう。

立ち上がり、ラジオを拾い上げてセンパイの前に立つ。

泣いたことはバレバレの顔だと思うが、いつもの表情を返した。


「ごめん。だいじょぶ」


「そ。じゃ、顔洗ってこっち戻ってきなさい」


「うん……さっきはごめんね、キノコくん」


キノコくんの短い返事を背に、私はお手洗いへ向かった。



「……あの、本当に大丈夫なんでしょうか?」


「なに、アンタあの子の心配してんの?」


「はい」


「ふぅん。キノコも人の心配とかするのね」


「僕に、何かできることはあるでしょうか」


「さあね……そんなの、アタシも聞きたいわ」

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