第5話 絵葉書の中で夢を見る-後編①-
「さて、では依頼を始めたいところだが…その前に確認だ。先ほどし損ねたアンタの支払いについてだが」
男は先ほどと同じようにこぶしを強く握り俯く。ふるふると肩も震えている。
「あんたへ望む対価は、額縁を、“絵葉書の女ごと”手放すことだ」
店主が煙管を置く。部屋に独特な煙の香りが充満する。
「…だ」
「なんだって?」
「嫌だと言ったんだ!どうして彼女を手放す必要がある?!こんな寂れた店にわざわざ足を運んでやったのに!支払いが依頼品を手放せだって?!そんな馬鹿な話があるものか!帰る!」
男は椅子に立て掛けられていた私を乱暴に腕に抱え、客間から店へ突き進んでいく。そんな男の背をただ眺めながら店主は再び煙管を吹かす。なんとでもない、とでも言いたそうな顔をしてふう、と煙を吐く。
「なあ、兄さんよ。俺はアンタが帰るってんならその背を追うことはねえが、帰るならちゃんと風呂敷を被せてやりなよ。雨に濡らしたくはないだろう?」
雨?と小さく首を傾げる。雨など降ってはいない。聴こえるのは建て付けの悪い小窓から吹き抜ける風の音だけ。それでもその声に男は足を止めた。
「こういった類の店はなにも俺の店だけじゃない。四つ挟んだ隣町にも同業の男がいるし、県境にはベテランの食えない爺がいる。そっちに流れちまっても俺はなぁんにも言わねえ」
「…そういって、僕のことを面倒くさい客だとか言って垂れ流すんでしょう?」
「いいや。そういうことをする奴さんも確かにいるが、こういう仕事を本業にする人間にはそんな小細工必要ねえのよ。口にしなくとも判るからな」
店主が話をする間、店の奥の客間からパタパタと幼子が駆けてきて私を男から預かり、丁寧に風呂敷に包んでくれる。風呂敷からはあの先程までいた客間に充満していた独特の香りが染みついている。…嗚呼、いい香り。
「敏感なやつはな、依頼主がどの交通機関で来たか、何時何分にどの駅に降りたか。何時ごろ自分の店を訪れるかまで判るんだとよ。俺はそこまで敏感じゃあねえからよ、最寄りと時間くらいしか判らねえが。だからわざわざ口に出したりしねえのよ」
「はい、お姉さんをお返しします。お師匠様が仰るには三十分後には雨に遭われるそうなのでそれまでには屋根のある場所へお向かいください」
幼子が優しく私を男の手に戻してくれる。男は小さく頭を下げると店主を振り返ることもなく店を後にした。ちりんと店の扉についた鈴が鳴る。その音色はいつまでも、長く…長く店が見えなくなる迄鳴っていた。
「あーあ。帰っちゃいましたよ依頼主さん」
「そうだな。あー…四十分後に温かい茶を二つと熱燗。それになんか適当にアテも用意してやってくれ」
お師匠様はどこか遠いところを眺めながらそう口にした。
「それはいいですけど…タオルもご用意しておきましょうか」
「ああその方がいいだろうね。少なくとも一人はずぶ濡れの濡れネズミになって帰ってくるだろうから」
お師匠様はそういって灰皿にそっと灰を落とした。
「そういえばお師匠様。今夜はいつもと違う種を吸っていらっしゃいますね」
「いいや、種はいつもと同じさ。違うのは焚いているお香だよ。サービスだね」
彼は気付きもしないだろうがと小さく零してお師匠様は今のうちに、とばかりに背もたれにしていた薬品棚に隠していた饅頭にかぶりつく。甘味が大好物で匂いを嗅ぐだけで顔がふやけてしまうからと依頼中は自ら制限しているのだ。気が抜けた相手だと依頼主が舐めてかかってくることが多いからだとお師匠様は言う。確かにお師匠様は腑抜けと捉えられやすい柔らかなお人だし、普段ものらりくらりとされているけれど…とお茶と茶菓子、熱燗の準備をしていれば。急に店先が騒がしくなった。ドンドンと店の戸を大きく叩く音が響く。まるで地鳴りみたいだ。台所の灯を消して、はいはいと戸を開けてみれば二メートルはありそうな恰幅のよい大男がこちらを見下ろしていた。
「やあ坊主!ちょっとでかくなったんじゃねえか。ほれ、土産だ土産!鴇*¹の好物、お前さんも後で一緒に食え!」
鼓膜がビリビリするほどの大声で豪快に笑う大男を店に通すと、その後ろからまるで濡れネズミみたいに頭から足元までびっしょりと雨に打たれた先程の依頼主が店前に立っていた。
「お前さん達も入んな。そんなとこに突っ立っててもどうにもならん。なんならこの店の中が一番安全さ。おい鴇!お前の客も連れてきてやったぞ」
感謝しろと客間にドカッと腰を下ろして豪快に笑う彼はお師匠様の同僚で友人である。数か月に一度こうやって何の音沙汰もなく突然やってくるのだ。
「鳶*²さま、こちら熱燗とアテです」
ご友人の鳶さまの前には熱燗とアテ、お師匠様と依頼主さんの前には温かいお茶を。
「おう、ありがとな。あちち…ッカァー!美味いねえ!今回もお前の予想ぴったりの訪問だったみたいじゃねえか。流石だねえ」
「鳶こそ、今回はえらい久しぶりの訪問じゃあないか。忙しかったのか?」
「ああ、今回はちょっと大口の依頼でね。三月ほど山に籠ってたのさ。ところで眼帯の兄さんはまだいるかい?」
「ちょっと場所は移動してもらったがまだこの店にいてもらってるよ。なにか用かい」
「ならいい。今回の大口依頼主がちょろっとサービスしてくれてな、後で兄さんと楽しもうと思って」
「良いマタタビ酒でも手に入ったのか?」
ノンノンノンと鳶さまは指を振る。
「これはな、そのまま煙草みたいにして吸えるマタタビなんだとよ。それも極上の!猫又族たちの間では噂の代物でな、喉から手が出る程欲しいものなんだってよ。ヒヒッ、兄さんが喜ぶ姿が目に浮かぶぜ」
鳶さまはウッキウキのご様子で懐をポンと叩き、思い出したように視線を濡れネズミ化した依頼主へ向けた。
「そんで、この兄さんはなんだい。今回の依頼主かい?」
「私のになるか君のになるかは分からないがまあそうだ。ある案件を持ってきたんだがどうやら私に頼むのが嫌だそうでね」
困ったものだよ、とお師匠様はわざとらしく肩を竦めた。
「こんな良心的な対価で依頼を請け負うお前を嫌がるだってえ?!」
「…良心的?」
依頼主は眉間の皺を濃くして顔を上げた。
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鴇*¹(トキ) 店主の名前
鳶*²(トビ)
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