絵葉書の中で夢を見る

第3話 絵葉書の中で夢を見る-前編①-

夜も更けて人通りの少なくなった路地裏。日中よりはいささか気温も下がったものの、じっとりと汗が衣服を濡らす。そんな暑さの中、男が独り立っていた。男の手には風呂敷に包まれ大事そうに抱えられた大振りな荷物がひとつ。

「もし…もし。夜分に失礼致します。ここは骨董店 黄昏屋*¹でしょうか」

冴えない男は街外れ、寂れた店の戸を叩く。

「依頼がございます。この“額縁”の女性の顔が見たいのです。」

冴えない男は開いた戸の奥で店主に語り掛ける。風呂敷の中には古びた額縁に入れられた絵葉書が一枚。絵葉書の中には新緑の森に佇む白いワンピースの女がひとり。広いつばの帽子で顔が隠れている。男はこの女の顔が見たいという。

「彼女は四季が移り変わるごとに衣を変え僕に会いに来てくれるんです」

男はそう顔を綻ばせながら額縁を優しく撫でる。その手は恋人の髪を撫でるように優しい。

「彼女の顔を一度で良いから見たいのです。ここはそういう願いを叶えてくれる店と伺いました。お願いです、僕の願いを叶えてください」

男は深く深く頭を垂れて店主に希う。しかし、店主はそれには答えず、ひとつ質問を投げかけた。“彼女はそれを願っているのか”と。男はその問いに少し戸惑ったような顔をしてふるふると首を振った。

「いいえ、これは僕の願いです。彼女はそれに関しては何も…」

店主はそうか、と呟くと絵葉書の女…である私に問いかけた。“あなたは彼に素顔を見せても構わないのか”と。私はそれにそっと首を振った。私はあくまで素顔の見せない女として描かれた。作者の意思を尊重したい…けれど。

「けれど、私は彼を思い慕っております。季節ごとに衣を変えて自分の美しい姿を見せに行きたくなる程、私は彼を愛している。作者の思いを尊重したい、けれど私の顔を見たいという彼の意思も尊重したい。好きな人のおねだりに甘いのは惚れた弱みですから…」

「彼女は一体なんと…?」

店主は私の思いをそのまま伝えた。彼は少し困ったように笑いながら、それでも喜びを我慢できずに溢れさせていた。可愛らしい笑顔で私を見つめている。ああ、なんて…なんて愛おしいひと。店主はその様子をまじまじと眺めていた。まるで私という存在を隅々まで理解した上でこの後どう動くべきか悩み、観察しているようだった。

「彼女も僕を想ってくれているんですね。だからこそ、僕に会いに来てくれる。嗚呼、美しいひと、僕にその麗しい顔を見せておくれ…」

彼は熱のこもった瞳を私に向けて愛おし気に額縁をなぞる。

「店主様はなにを考えていらっしゃるのですか。私が彼に何かするとお思いですか?」

店主はそれに何も答えず彼とただ向き合っている。何を言うでもなくただ静かに煙管をふかし、部屋に煙が揺蕩う。

「それでどうすれば、彼女の素顔を見ることができますか?いくらかかりますか…金なら、いくらでもとはいきませんが可能な限り出しましょう」

店主は小さく首を横に振る。

「金…じゃ駄目なんですか?」

店主はそうじゃないと首を振り、“本当に後悔しないか”と問うてくる。

「後悔なんてしません。これが僕の長年の願いなんですから」

店主はその解答を聞いても尚、“本当に後悔はしないのか”と重ねて聞く。

「どうしてそんなに聞くんですか!まるで僕が後悔することが目に見えているかのようだ!僕は後悔なんてしません、何度聞かれてもです。僕は彼女の顔が見たい!」

店主様はその解答を聞いてそれはもう大きく息を吐いた。その場の空気を一新してしまう程大きなため息である。本当に心から呆れたようなどうしようもない人間を目の当たりにしたような顔で私を見た。


「お前は代わりに何を差し出す?ここは骨董品店だ。特別な依頼請負は言わば副業。お前がこの店に売り物として並んでくれるのか?」

男の依頼とは別に、私自身の願いも“依頼”としてカウントされるようだ。

男はそんな店主の言葉を聞いて男は悲痛な叫び声を上げた。

「そんな馬鹿げた話があるものか!依頼品を売り物として店に並べるだって?!彼女をこんな寂れた街外れに置いていけるはずないじゃないか!」

「寂れたねぇ……」

店主は男の失礼な物言いにも眉ひとつ動かさず煙管をふかす。

「お前さん、噂を聞いて此処に来たと言ったね?どんな噂だった」

噂、噂、と呟きながら男は思案を続ける。そんな様子を見ながら店主はふぅっと煙を吐き出した。嗅いだことの無い香りが部屋に充満する。

「“なんでも”願いを叶える店だったか?いいや、そんな甘い噂じゃなかったはずだ。よーく思い返してみろ。その噂の主は一体なんと言った?」

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