第2話 1日目

 1日目

 「凄い・・・、街の近くに、こんな建物があっただなんて」 

 私の口から、そんな感嘆の言葉が漏れる。視界に映り込んだ建物の美麗さに。

 住み慣れた街を離れて、電車とバスを乗り継いで、私と静留は、とある田舎の街に辿り着いた。

 街の外れは、田園と、雑木林が広がる里山の風景が広がっている。地図を片手に二人で歩き続けて、森に入り、廃棄された道を歩いていくと、深緑の切れ目から、その建物は現れた。

 立ち入り禁止の看板を無視して、校門の、外れかけた鉄の門戸の隙間を潜り抜けて、静留はその建物へと近づいていく。

 「全寮制のミッション校の廃校舎だよ。見ての通り、周囲は草だらけだけど、建物の保存状態は意外といいんだ。ネットで偶々見つけてからずっと、私の頭から離れない場所だった」

 かつては校門から校舎までの道の両脇を、綺麗に刈り込まれた芝生が囲んでいたのだろう。しかし、石畳で舗装されたその道も、石の隙間のあちこちから草が飛び出しており、道の両脇の芝生も、雑草が生い茂り道を侵蝕している。しかし、全く道が見えない程ではなかった。

 食料や、着替え類などの荷物でパンパンになった、大きなリュックを担いできたせいで、私の体中の筋肉が悲鳴を上げていた。

 ただし、この校舎がある場所が、森の中の為か、私達が住んでいた街中よりは明らかに風が涼しい。アスファルトから立ち昇る、蒸されるような熱気もないのはかなりの救いだった。

 学校の近くには、渓流もあるとの事だった。自然豊かな場所なのだろう。

 校舎は森に囲まれているが、森の中を少し歩けば先程通った街に出られ、小さな雑貨店で生活に必要な品物も購入出来る。街の銭湯もあり、入浴にもこっそり行ける。近くにはキャンプ場もあるらしく、そこの外れのトイレも使える。立地的には大変良い場所だった。見た目程には、人里離れた陸の孤島という訳ではないらしい。

 「私達の学校は、コンクリート製の檻みたいで息が苦しくなるけど、この学校は綺麗だね・・・」

 辿り着いた場所が場所だけに、かけおちというよりは、テレビ番組の企画にあるような、サバイバルでもやっている感覚だった。

 テントを、見よう見まねで何とか、校庭の、草の生えていない一角に設営した。そして、テントの中、二人で横になってしばらく休んだ。

 静留がこう言った。

 「あの息が詰まりそうな学校じゃなくって、今日から、この場所を私達の学校にしよう、葵。まずやるのは、1日目だし、入学式だね。ここから、私達の人生の、一週間への短縮版を始めるって意味を込めて」

 「でも、先生も誰もいないじゃない」

 「大人なんか必要ないよ。言ったでしょう、私達はここで学校も、人生も『先取り』をする。ここは、私と葵だけの世界なんだ。誰にも立ち入らせたりはしない。」

 静留は、そう言って、リュックから一冊のノートを取り出す。そして、そこにボールペンを走らせて、何かを書き込み始めた。

 静留の言う、「入学式」とやらをやる前に、この広い校舎の中を歩いてみる事にした。

 真っ先に目についたのは、礼拝堂だった。シャーペンの先を思わせる、鋭角の尖塔、その頂点に取り付けられた十字架。そうしたものを見つめていると、在りし日の、この学校の生徒らの礼拝や、聖歌の声が蘇ってくるようだ。

 扉を開けて、中を覗き込む。両脇には、木製の長椅子が並べられていて、奥には、窓のステンドグラスが見えた。色彩豊かに、キリストやその弟子達の姿が描かれている。

 そのステンドグラスは、眩しい夏の日差しを受けて、祭壇の上に、天国の世界を作り出していた。

 神秘的、という月並みな感想が浮かぶ。礼拝に来る生徒らが途絶えてから、何年の月日が過ぎたかは分からないが、人の目に触れる事が無くなった事によって、この場所は、その神秘性をかえって、増しているように思われた。現世に生きている人間は、誰も入って来ない、地上の天国。ステンドグラスを照らす日が沈めば、すぐに消えてしまう、儚い天国。

 「神秘的だね・・・」

 私の脳内の言葉を読み取ったように、隣の静留がそう言った。

 「きっと、このお祈りの場所は、ここの生徒さんがいなくなって、私達が来る今日までの間、何度も、日が昇って、そして沈むまで、あんな風に、天国をこの場所に作り出していたんだろうね」

 私も静留もクリスチャンという訳ではなく、宗教によらず、神様を信じた事はなかったけれど、この場所の聖性、地上に生み出された天国、というのは、本能で感じられた。

 そうして、静留は何か意味ありげな言葉を呟いた。

 「天国に近い場所・・・ここなら、きっと、私達に相応しい」

 

 そして、礼拝堂を離れて、校舎の方に行ってみると、その中は意外にも普通の校舎だった。

 校舎の中は、ところどころ壁が剥がれて、鉄筋がむき出しになっている。足場が悪いのに注意しながら、1階の廊下を、静留の後ろを歩いていく。廃墟探検の末、一つの教室らしい空間に、私達は立ち入った。そこは、厳密には教室だったもの、という表現が正しく、廊下と教室を隔てる壁はとうに撤去されている。窓ガラスもカーテンもなくなり、窓の外には草が生い茂っている。

 しかし、未だに、教室の片隅には、古い机が何故か、三つ程残されていて、教室の壁には木製の、荷物入れらしいスペースが並んでいた。こうしたところは、私達のいた教室と何ら変わりはなかった。黒板もそのまま残っていた。静留は手袋をすると、黒板の前に机の一つを運んでいく。そして、先程、何やら書き込んでいたノートを取り出すと、ページを2枚破って、机の上に置いた。

 「これは、何?」

 「この、二人だけの学校に、入学した事を示す紙だよ。これをお互いに渡し合おう。ここに入学した証としてさ」

 その紙に書かれている文を見ると、見慣れた、静留の丸文字で、私の名前と、「今日から、この学校の生徒になった事を証明する」という、適当な文面で、それらしい事が書かれていた。静留は、私の名前である「葵」が書かれた紙を、私は、静留の名前が書かれた紙を、手に取った。

 「葵、読み上げて、それを私に手渡して」

 静留にそうお願いされて、私は、咳払いをすると、声を整える。

 「静留。貴女は、今日から、この学校の生徒になった事を、私が、証明します」

 こんな調子で良かったかなと思いつつ、私は、破られたノートの一ページに過ぎないそれを、机を挟んで真向いに立っている、彼女へと渡す。彼女は、それをさも、大事な証明書であるかのように、仰々しく受け取る。

 そして、静留の声で、私の名前が読み上げられ、私の前に、ノートの一ページが差し出される。私はそれを受け取り、大事に胸に当てる。私達二人しかいない、この学校の生徒になった事を噛み締めながら。

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