本当に求めている時に限って既に遅い
小学生の頃、私はいじめられていた。殴る蹴るの暴力的ないじめではなかった。よく話していたグループの中で私だけを無視したり、ありもしない悪口を言われたりしていた。
今思えば私にも原因があった。いじめを肯定する訳では断じてないが、あれはあれで仕方のない出来事だったな、というふうに捉えている。元々そこまで人間のことが好きではなかったので、仲間はずれにされて一人で過ごすのは特に苦ではなかった。ただ、そのいじめ自体よりも深く印象に残っていることがある。
放課後の掃除の時間での出来事だった。クラスを仕切るタイプの活発な女子たちが、私に掃除を全て任せて先に教室に帰ってしまった時のことだ。その時は家庭科室の掃除担当で、教室には家庭科担当の女性の先生がいた。その先生は先に帰っていく生徒を特に咎めることはなく、皆がいなくなって私一人になった時にそっと声をかけてきた。
「(私の名前)、最近元気ないけど大丈夫か?無理せんとなんかあったら私に言いや」
こんな気遣いの言葉がさらっと口から出るなんて凄いな、なんて思いながら、私は先生になんと返事をしたらいいのかよく分からなかった。多分無愛想に、はい、とだけ言ったのだと思う。返答に困ったらとりあえず返事だけをする癖がある。
それから卒業まで、その先生とは特に何も話さないままだった。
高校の時にも同じようなことがあった。私のリストカットの傷跡を見た男性の担任教師が、わざわざ廊下を追いかけてきてまで声をけてきたことがある。なんと言われたかはっきりとは覚えていないが、悩んでいることがあるなら俺に相談しろ、というような内容だったと思う。そこでもやはり私は返答に困った。何故なら、特に具体的な悩みなどなかったからだ。
小学校の時も高校の時も、別にこれといった悩みなどなかった。いじめられていたり、将来に希望が持てなかったりしていただけで、何がそんなに辛いのか当時は分からなかった。ただ、物心ついた時から、漠然とした希死念慮が心の中を支配していたことは覚えている。
だが、今になってようやく分かった。ずっと私を縛り付けていた正体不明の苦しみが何なのか。もはや私に手を差し伸べてくれる人など居なくなった今になって、ようやく分かった。
それは多分、普通になれないことに対しての苛立ちや焦りだったのではないかと思う。いじめられたならば、それ相応に深く傷つき、助けを求める。将来が不安ならばそれを誰かに打ち明け、解決の糸口を共に探る。そういう人との繋がりを欲せない自分に対しての嫌悪感や居心地の悪さを感じていたのだと思う。何をされても何も感じない。将来は不安だが、正直に言ってしまえば、もはやそれすらどうでもよい。自分の内側にある恐ろしいほどの無感情さと、周りの人間の持つ人間らしさとのギャップに戸惑っていたのだ。それを幼いながらにも感じ取って、本当の意味で周りと馴染めない自分に嫌気がさしていた。もしくはそう思わせる環境に対して不平等さを感じていた。
私はただ人間らしくなりたかった。人の気持ちに共感し、分かち合い、誰かに興味を持ち、好意を持ってもらうことに対して喜び、友情や愛情を共有する。そういう人として当たり前の現象が私の内側に湧き起こることはなかった。
果たして今の私が、こういった人間の営みの中で生きていくことはできるだろうか。強制的に人間社会に参加されられていた学生時代はもう終わってしまった。手を伸ばせば届く距離に希望があった頃など、とうの昔に過ぎ去っているのだ。
全てにおいて、何故こうもいたずらに私から遠ざかっていくのだろう。今置かれている状況に絶望してばかりで、目を凝らせば見えてくる一筋の光を幾度となく逃してしまうのは何故なのだろう。そして気付いた時にはもう全て終わっていて、戻りたくても戻れない。凍りついた時間の中で独り閉じ込められしまう。
どうせこんなことになるのならば、あの時縋っていればよかった。例え彼らの言葉が偽善であったとしても、私にはそれを確かめる術などない。何故もっと早くにこんな単純なことに気付けなかったのだろう。
大抵のことは本当に必要な時に限って手が届かない。これを世の理というのか、単なる理不尽というのか、私には見当もつかない。
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