心が死ぬ前に
私は人よりも様々な能力が劣っている人間だ。「普通」と言われることがまるで出来ない。普通が出来るからこその悩みを抱えている人間を見ると、そのスタート地点にすら立てていない自分が何とも情けなくなる。
人の目を見て話せない。人の心が分からない。数人のグループに入れない。人と分かち合うことが出来ない。就職もままならない。それなのに個人の才能なんてものは痛々しいほどにありはしない。出来ることならば静かな暗い部屋で誰とも関わらずに生きていきたい。
ふと心に隙間ができた時にこれらの負の感情に苛まれる時がある。それでも、自分より恵まれない人がこの世には居るんだと言い聞かせて、今の状況に満足しようとしている。でも、この状況に満足しようとするならば、それは心を殺すことで成り立つわけであり、豊かな心のままそれを受け入れることは到底できそうにないことに気づいてしまう。
ならばどうすればよいのか、何年悩んでも答えは出てこない。無いものは無いのだと、残酷だが当たり前の結果だけが脳内を巡って支配する。
誰か教えてくれとせがんでも、その誰かさえいないのであっては話にならない。多分、私のような人間はこの世に沢山いる。沢山いるのに、出会わない。そもそも出会えない。分かち合えない。出会ったとしても現状は結局のところ何も変わらないから、出会わないようにできているのかもしれない。私のような人間に唯一出来ることは、知覚出来ない隣人を想像してお互いに慰め合うことだけなのである。これほど惨めなことがあろうか。
私に必要なものが分からない。必要なものが多すぎて最も必要なものが見いだせないという方が正しいかもしれない。人格か、人脈か、人情か、人当たりか、人懐っこさか、人という字がつくものは大抵私に足りていないのかもしれない。
必要なもの全てを持ち合わせていそうな人間がいる。そういう人は大抵、箸の持ち方が汚かったり、服のセンスが絶望的になかったりするものだ。ただ、それすらも天才だからというセリフで大いに認められてしまう。こんなものを私は妬まずにはいられないのだが、それがますます哀れに拍車をかける。
人と比べていては幸せになれませんよ。誰かがこう言った。もしかすると正しいのかもしれない。いや、正しいと思う。でも、全ての正しさがまかり通るようにこの世は出来てはいない。孤独や憎悪や嫉妬や、その他諸々の黒くどろどろした感情がその下には蔓延っていて、それを隠して皆生きている。醜い自分をさらけ出してしまわないように、どこかで折り合いをつけて生きている。未練に背を向けて歩こうとしている。でも、不意に、その未練の残り香に惑わされそうになる時がある。前触れもなくやってくるその瞬間というのは、いくら探しても就職先が見つからない時かもしれないし、飲み会の後のやけに静かな帰り道かもしれない。夕方に歩いた道路で、歩道が途絶えたその先の道を見て思うのかもしれないし、学校生活最後の部活の試合に負けた時かもしれない。私たちの意図せぬ時にやってくる仄暗い感情は、瞬く間に私たちの心を蝕んで覆ってしまう。自分には何も無い、運も才能も無い、と自らを社会の天秤にかけて独り苦しむのがオチだ。
醜く矮小な心はあらぬ方向へと加速し、もとある形すら分からなくなる程に歪んでしまう。才能のある人の育った環境を知るやいなや、恵まれていたからだ、親の経済力のおかげだ、チャレンジできる機会があったからだ、もともと持って生まれた才能のおかげだ、と次々と毒を吐き、何をやっても上手くいかない、何なら始めることさえままならない自分に対して保険という言い訳を積み重ねていく。これは事実である場合もあれば、ただの己の力不足な場合もあるのだが、後者の割合が増えれば増えるほど、もうその人間は取り返しのつかない程に落ちぶれているのだと思う。
根底から心が死んでしまう前に私に出来ることは何だろうか。しなければならないことは何だろうか。命を懸けて夢に挑むことか。己の持ち合わせる善を全て世に与えることか。社会に蔓延る悪を虱潰しに消していくことか。そんなことは出来そうにない。唯一出来ることと言えば、死ぬまで己と向き合って、悩んで、苦しんで、叫んで、もがいて、もがき続けて生きていくことだと思う。それが、何の取り柄もない私に出来る唯一の人間らしい行いなのかもしれない。
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