第百二十七話 変わる風景
1595年秀吉が始めた奥の整備は当然の様に姫路に影響を与えていた。
更級にとってはいつか来る未来ではあると覚悟していたものの、幸せな日々が終わりを告げたと感じられるものだった。
武家の娘として育ってきたからには家名を残す意味も十分理解していて、何度も側室を取るように言ってさえいたが、その度に「更級だけでよい」との言葉を返され、それに甘えて後回しにし続けた結果、どこかで遠い未来の事の様に思ってしまっていた。
播磨豊臣家の宿老で、自らの娘を側室にあげよと命じられた鹿之介は、主君がその言葉通りの態度を示し続けており更級もどこかでそれを望んでいるにも関わらず、自らの娘がそれを壊す役割を与えられたことに「御台様の心中を思えばなんと酷い事をと思わずにはいられません」と更級の前で詫び、かつて嫡男瑞雲丸の乳母を務めた福島正則の姉で鹿之介の妻である結殿も「ただただ申し訳なく」と言ってその後は涙を流すだけだった。
瑞雲丸の三つ下である彼らの末娘は未だ七つとかわいい盛りであり、それをよく知る鹿之介夫妻から奪うように感じられる事も更級にとっては辛い事であった。
南部との婚姻が決まっている姉と年齢を勘違いをしたまま秀吉が話を伝え、当初の狙いとは全く違うものになっているにも関わらず、それを言い出せないまま話が進んでいることを更級が知ればさらに苦悩は強くなったの違いないが、幸いそのことは秀吉と三成の胸中に留められ更級も知らぬままでいれた。
だがそのせいでこのままでは当分子が望めぬと焦った秀吉は、武蔵から家康に命じて松姫を下向させ、彼女が養育を行っている武田勝頼の娘を側室に送り込もうと画策までしたのだが「旧主の姫を送るとは御台所にどれだけ苦労をさせる気ですか」と自らの経験から北政所に一喝されて、仕方なく松姫の養女としたあとで織田秀信に嫁がせることにしたのだった。
松姫が義理ではあるが信忠の息子の母になれたことで、松姫はついに信忠と結ばれることが出来たと民衆から美談として語られる結果を生んだりと予想外の出来事も起きている。
ただ秀吉にとってはあくまで偶然であり、そのようなことは気にもならない程に餅の側室をどうするかのみの秀吉はまたもや前田と小早川の二人に相談して、前田からはまつとの末娘千世を、小早川からは大友宗麟の孫で小早川秀包の養女となっている娘ではどうかとの提案がなされ、多くを送り込めば餅が怒るのではないかと以前とは違う形で頭を悩ますことになったのだった。
結局近頃大友旧臣を配下に取り込んでいること、更には可愛がっている豪の妹では心苦しかろうと、小早川の言を選び側室に差し出すようにと命じる事となる。
更には室町の幕臣であった伊勢家の、菊という名の娘に目をつけた秀吉はこれも側室にあげるように命じて、秀持の側室として仕えることとなる者は四名とすることになった。
伊勢家は室町で代々政所執事を世襲し、武家の礼法を伝える家としても高名であり、奥に礼儀作法を伝えることを目的としての指名となっていた。
更級は側室を取って下さいと口にしつつも、それを夫が拒否をして「それではいけません」といつかは自分が側室を用意するといった様な未来がやってくると心の何処かで考えていたから、それが義父によって突然のようにその様な未来が閉ざされることになって、突然現れた現実にどうにか折り合いを付けるべく日々を過ごしている。
ただ義父秀吉が自分のことも考えながら、気を使って奥の制度を整えたことも感じられたから横暴であるとの思いは浮かばなかったし、自分たちが目を逸らし続けた結果、義父が泥を被った事も理解できていた。
総じて側室に選ばれた娘たちは、自らの子供であると言っても違和感のない程若く、義父が心の整理がつくように時間を与えようとの意図が感じられさえしている。
更級にとっては派手好きの秀吉が嘘のように、予想外にも堅実な作りとなっている事も驚きの一つだった。
大明国であっても後宮が国家の財政を圧迫させている事を何度も聞いたせいなのか、奉行衆が入ったことで縮小されたのかは分からないが、長く豊臣の世を続ける為との言葉通り、その先鞭たる禁裏の制度を参考に武家としての制度と姫路の現状を取り入れたものとなっている。
今更級に伝えられている秀吉の考えた奥は大きく三つに分けられており、一つはカタリナの夫であり奥の差配を任されている木下延俊が長となる部署で、奥の財政を含めて全体の管理や奥の者に与えられている土地(更級であれば化粧代として播磨に三千石が与えられている)への代官の派遣などが主な仕事となっていた。
当然殆どのものが男性であるが、奥に出向く者は女性である必要があるとされたことから、一部女性も在籍しておりここにあこも名目上所属することになる。
二つ目は御台所である更級が長となる正室に与えられた部署であり、奈古を長として奥全体の警護を司り、扉や火の管理を行う部門、カタリナを長として書類や正室に与えられた財産の事務を行う部門、えいを長として子の養育と奥のものの身の回りのことを行う部門がその下についている。
代が変われば、部門の長それぞれが正室について行く十名ほどの者を選び共に正室について行って、残ったものは新たな正室に仕える事となるとされていた。
三つ目は名目上は秀持が長となる部署で、奥全体の作法を司り第二の正室として対外的にも振る舞うことを許された一名の上臈と最大四名の側室によって構成されている。
上臈は後に制定される高家と呼ばれる典礼に携わる名門とされた家の娘から選ばれ、側室は本能寺以前から豊臣に仕えた譜代とされる大名家の中から二名、それ以外の外様大名から一名を迎えることが秀持の例から慣例となっていく。
残りの側室一名は秀持自らが選べるとされるものではあったが秀持の今までの行動からみて実際増えるかは未知数であった。
側室自体は、側室の力を弱め後継者争いを避ける目的から、子をなした場合は正室のもとで養育され、相手の死後は落飾することが定められてもいた。
それぞれの側室が持てる侍女の数も制限されていて、実家から連れてこれるのは僅か四名で、正室から与えられる六名を加えたものが全てであった。
上臈も実家から連れてこれるものの数は変わらなかったが、正室から与えられるのが側室の護衛のもの二名、右筆として一名、身の回りのもの三名から、護衛四名、右筆二名、事務を行うもの四名、礼法に詳しい者を補佐として二名、身の回りのことを行うもの四名と側室たちの管理も職務となっている立場上、侍女の数は多くなっている。
それでも奥全体の侍女の数は以前よりも増加したとはいえ二百に満たず、将来的に北政所が大政所となって奥に加えられたとしても二百を超える程度に収まるようになっており、将来的に奥の領土を定めてその収入の範囲内で奥を運営すればよいのではないかという意見も出てもいた。
正室の権限が強いことも特徴で、更級に秀吉が配慮していることが見て取れるが、だからといって全てに納得できるわけでもなかった。
それでもある時あこが悲痛な表情で訪ねてきて「わたしがもう少ししっかりしていれば、すいません」と謝罪させたことに「あこ様だけのせいではありません」と答えた後、お互いの胸を内を吐き出せたことで受け入れる決意はできた。
あこは娘のように思う更級が、奥のことは餅丸と相談しながら考えていけば良いと思っていたから、もっと守ってやれなかったのかと後悔していたが、更級にとってはその言葉だけで十分だった。
次々姫路にやってくる側室になることを定められた幼子の養育もまた更級の役目であったが、豊臣の母になる決意をした更級によって姫路の風景もまた少し変わっていくのだった。
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