第百二十四話 姫路の嫁取

 1595年六月下旬太閤秀吉が発表した国替えの詳細は姫路の地にも伝わっていた。

 木下勝俊を京の地においていることもあり、庶民の反応に加えて公家の反応も入ってきており、奈古の義父である角倉了以が集めた情報や、木下利房が懇意としている大名からの情報、更級が親しくする女房たちからの情報に加えて、紀之介は佐吉と連絡を取り合っていたし、義父である真田昌幸から送られてくる東国の情報、鹿之介が集めた東北勢の情報など姫路が有する様々な伝手からの情報によって、手に取るように状況が伝わっている。


 その情報を吟味するのは留守を任された紀之介ら三家老の役割であり、まとめられた情報はその職責に応じて共有されていく。

 三家老に次ぐ立場だと見なされているのは、大谷吉継や真田信繁と義弟の立場にある竹中重門、小田原の役での勇名と甲斐姫の縁で発言力を高めている成田氏長、あこの嫡子で大名の応対役を任されている木下利房といったところで、本人は高齢を理由に辞退したがっているが相談役の虎哉宗乙に、更級とその筆頭女官のカタリナを加えたものが協議を行い播磨豊臣家の意思決定を行っていた。

 カタリナからすれば、私でなく事実上奥を取りまとめている自分の義母が出ればよいのにと思ってはいたが、本人は「私は無位無官ですから」と役職を与えられていないことを盾に逃げ回り、公方様からも御台様からも母と慕われ、殿下からも家族と認められている彼女が振るう権力といえば「明日はあそこの茶菓子が食べたいですね」というくらいで、それすらも「あこ様を余り甘やかさないように」という公方の命令で叶えられることのほうが少ないという本当に権力を持っているのか疑わしい姿を見せている。


 そもそも、姫路の奥は役職や職責が整備されているとは言い難く、綺羅びやかな大坂の奥とは対象的に次期天下人の奥とは思えないほど質素なものだった。 

 御台所は元々田舎大名のお転婆娘で、未だに高い衣を与えられるより同じ金子で駿馬でも買ってくれればと思うような質であったし、その側近たる者も身寄りのない中伴天連の教会で育てられたもの、幼い頃から男に混じって剣を振っていた道場の娘、農家の娘で奥の下働きをして過ごしてきたものとなれば贅沢の方法すら知らないのも無理はなかった。

 役職なども曖昧で、北政所生母の朝日やその義娘にあたるあこは、秀持から更級を助けて欲しいと言われて奥に携わっているという立場を守り、奥でなにかの役職を得ているわけではなく、実務上はどうであれ御台所が全てを差配していることになっている。


 その御台所を支えるカタリナ、奈古、えいといった面々は、カタリナが事務作業や右筆をする女官の管理、奈古が御台所やその子女たちを護衛したり警備をする女官の管理、えいが日常の世話や料理洗濯裁縫掃除といったことを行う女官の管理というふうに分けてはいたが、そもそもその三人が何でもするので、事務作業や料理、護衛といった専門性の高い事以外は皆がしており、誰が何をするということはほとんど決められていなかった。

 そもそもが全員を合わせても五十を少し超える程の規模であったから、それでも全く問題は起きていない。


 そんな姫路の奥での近頃の話題といえば、えいが遂に婚儀をあげたことが中心であり全く平和なものだった。

 えいは更級から何度も結婚を勧められていたが、その内容は大名の子弟を含んだものであったので「私などが恐れ多い」と辞退し続けていた。

 自分のことを大した教養もなく、大政所様が同郷のよしみで目をかけてくださっただけと考えているえいにとっては余りに分不相応に感じられ、言葉通り恐れ多くて辞退していただけではあったが、同僚たちはこれほどの良縁をなぜと不思議がって幾度も話題となっていたから、姫路の奥にとっては重大事だった。

 えいは幼き頃からの働き詰めであったので、近頃は五日に一度ほど町医者に通って針など受けていたのであるが、ふと自分の主人から私の身分よりも上の婚儀を勧められ困っているという話をしてしまい「それならえい様より少し若いですが私の息子などはどうですか」と言われて、更級が勧めてくる武士よりは町人の息子の方が自分には釣り合っているであろうし、義父となるこの町医者の人柄も悪くないからと何度か誘われてついに了承したのが始まりだった。


 ただそこからはひと騒動で、えいから事の次第を聞いた更級は、えいに相応しいか、えいが騙されていないかを自ら判断すると言ってろくに話も聞かず町医者に乗り込んでいった。

 町医者は着ているものからある程度の身分であろうとは思っていたが、えいをみて働き者である事はわかったし、息子より年上であり人柄も悪くないことから息子を支えてくれるだろうと嫁に来てほしいと言っただけで、彼女が何者かは詳しく聞いていない。

 知っていることと言えば近江の生まれであること程度であったが、その手を見ただけで働き者である事はわかったから、どこぞの武家や商家に女中として雇われて奥方に気に入られたのであろうという程度に考えていた町医者の前に、更級が現れたのだから町医者の反応は想像を絶するものだった。

 女中として雇われたどこぞの武家が豊臣家で、えいを気に入った奥方が御台所であること以外は町医者の予想通りであったのだが、あまりの出来事に言葉を失っている。

 何事かと二重三重に見物客が取り囲みそれを屈強な武士たちが抑えている中、顔を青白くしている町医者とその奥方に更級が問いただす。

 えいは何故このようなことになったのかとおろおろするばかりで何もできずに、大勢が見ている中更級が納得するまで問答が続いたのだった。


 後に事の次第を知った秀吉は、大笑いに笑って「流石は御台所よ、やはり面白きおなごよな。そちの弟子も厄介なおなごに目をつけられたとあっては気苦労が絶えぬのう一翁」と声をかける。

 曲直瀬道三の孫婿であり弟子でもある曲直瀬正純は「初めて話を聞いた時は私も聞き直したものでございます。ですが何事かあれば御台様に叱られるとあっては学問にも身が入りましょう」と笑う。

 紆余曲折あったが最終的に婚姻は許されて、彼の門人でもある町医者の息子はえいと結ばれることとなった。

 だが更級は「婚儀は許しますが、えいを悲しませるのであれば私が叱りつけに参ります」と町医者に宣言して恐れおののかせている。


「姫路などでは町医者の嫁取といえば、迂闊に動くと大事となるという意味で使われとるようじゃわ、わしも気をつけねばならぬのう」と言って秀吉はまた大笑いする。

「御台様を待たせては一騒動起こるやもしれませんし、一度里に返して婚儀をさせてから私のもとに戻そうと思っております。噂の町医者の見物に私も参列しようと思うておりますが、殿下はいかがされますか?」と笑いを堪えて問う。

「それは楽しそうではあるが、町医者があまりにも哀れじゃ、故にわしから祝いの品を送ることとする。一翁よ姫路から戻ればまた話を聞かせろや」と言って悪い笑みを浮かべる。

 こうして古林家にえいは嫁いでいった。

 太閤秀吉からの祝いの品に、町医者がどの様な反応を示したかは言うまでもない。

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