第百十七話 侵攻の準備

 1595年を間近に迎え、呂宋では新たな侵攻作戦の準備が次々と進められていた。

 今回の侵攻では、前年の戦で多くが待機を命じられていた播磨勢が主力となって進行する予定となっている。

 旧大友勢も加えた播磨勢一万と先鋒として森家五千を加えた一万五千の兵がまずはスールー諸島を目指し、その後一部をスラウェシ島に上陸させて香辛料諸島への中継地を建設し、残りの兵でミンダナオ島西部に上陸するといったものが、第三次侵攻作戦として立案された。

 ミンダナオ島東部への攻撃は、立花勢二千がレイテ島南部の島を鎮圧しながらスリガオの地を、長宗我部勢三千がブトゥアンの地を占領する以外は行われず、小規模なものとなっている。


 これは、早期の香料諸島占領のために西部の占領を急いだためで、各地に屯田兵の役割を与えて兵力を分散させていることで、実際に動かすことのできる兵力が減少しているという事情もあった。

 初期の侵攻を支えた九州勢のいくつかは、南方に領地を与えられて率いてきた兵と共に領地の開発に取り組んでいるし、日の本から統治の為の送られてきた者たちも、領地の防衛のためにいくらかは兵を必要としていて、それが南方軍から兵を引き抜く形を取って、兵力を減少させていた。

 これは今後も領土が広がる度に拡大していくと考えられ、未だその様な言葉はないが攻勢限界点に近づきつつあることを否が応でも意識させられている。


 官兵衛の考えや、真田の兄を始めとする南方軍の主要な者たちもそれに近く、主なものを集めた場では日の本からの援軍の要請や現地人から兵を募ってはという意見まで、様々な方策が検討されていた。

 今回のスールー諸島占領も兵力が不足しつつある現状を踏まえて、イスラム諸国家の海上勢力を担うスールー王国を撃破し、東南アジアでのイスラム勢力の連絡を寸断し抵抗を弱める狙いがあった。

 そしてミンダナオ島の占領はこれまでの様に一気に占領するのではなく、西部を占領したあとに東部の重要拠点を点で支配して他勢力から孤立させた後、東部の諸勢力を各個撃破していくという方針に切り替えられている。

 スラウェシ島やニューギニア島も点の支配から始めるという方針は同じで、スラウェシ島は再来年に予定されている香料諸島侵攻の前にマナドに拠点を作り、その後時期を見てマカッサル侵攻を行って南北から徐々に支配圏を広げる予定で、大規模な侵攻は予定されていない。

 ニューギニア島に至っては開発が困難であろうことから西部に交易拠点を作って、原住民との交易を行うに留め遠い未来に領地に加わればいいとさえ考えられていた。


 この様な方策を取らなければならない最大の要因は兵力不足であったが、秀持が完全な領地化を後回しにしてでも日本への帰国を急いでいるという事情もあった。

 後数年後に迫っている父豊臣秀吉の死までには日本へ帰国し、先延ばしにしていた関白への就任を終えて、国内を安定させたいと考えているのがその要因だった。

 その為に一刻も早く和平交渉を行いたいのが秀持の本音であったが、スペインからすれば現在の状況はあまりに一方的で、このまま小さな勝利も抵抗も見せないまま和平を結べば、和平の条件は別にして対等な関係を結ぶことが難しいのではないかという思いが和平交渉に二の足を踏ませていた。

 領地を失うのであれば、せめて制限されている交易を再開して、香辛料を始めとする産物を不利のない条件で手に入れたいというのがスペインの本音で、このままではその交易さえも圧倒的に日本が有利な条件を提示されるのではという恐怖が、日本の疲弊や自国の勝利を我慢強く待つという現状を生み出している。


 その様な事を知る由もない秀持ではあったが、スペインを外交交渉の場に引きずり出すために、香料諸島への侵攻準備を行うだけでなく、こちらから使者を送り込むことも検討していた。

 しかしながら南方に付いてきている者の多くは軍人であり外交に明るいものは少なく、その上で将来的に豊臣の手で欧州との交渉を独占したいという思惑から諸大名が連れてきている者たちを除いてしまうと候補者は大きく絞られ、人選は難航して進んではいなかった。

 だがそのことに意外なところから助け舟が出されることになる。

 きっかけは妻である更級との第二次侵攻が終わった頃にした手紙のやり取りで、フィリピンの諸勢力に帰順を求める使者を送り、フィリピン南部のイスラム国家にも使者を送っているが、漢文に明るいものも少なく、使者として送れるものに苦慮しているという、世間話のつもりで書いた愚痴であった。


 それを見た更級は、師匠である虎哉宗乙に相談して、師匠は自らの縁を頼りに有能と評判の学僧を送り込んでくれた。

 師匠は天下を継ぐ自分の師として有名ではあるが、多くの豊臣家臣の師でもありその影響力は大きい。

 さらに、尼子の遺児を救い出したことでも有名であり、父上でさえ一目置いていることがその影響力をより大きくしていた。

 そんな師匠が、自らの伝で集め人物眼で厳選した十名程の中にスペインとの交渉を任せてもよいと思える人物がいた。

 その人物は、京にて生を受け一色という名家の出身ながら、幕府の滅亡で出家を余儀なくされたという経歴を持つ臨済宗の僧で、名を以心崇伝という。

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