第百十六話 蠢くもの達
1594年の終わりを間近にして、徳川家康は関東の地で雌伏の日々を迎えていた。
朝鮮の戦の前に東国に睨みをきかすために、関東へ舞い戻った家康が行ったことは戦の準備であった。
といっても大した事は行っていない。
各大名に手紙を出して、殿下の命があればすぐさま高麗へ参るゆえ、皆も戦の準備は怠らぬようにと伝え、鉄砲弾薬や兵糧の数を家臣たちに調べさせ、御用商人に物資の値段を調べる様に伝え、どれほどの動員ができるのかを調べただけで、それ以上の事は行わなかった。
豊臣の家を戦で疲弊させるべく、秀吉に朝鮮への出兵を求める直言を行ったが、それを豊臣への忠義からの言葉であり、朝鮮への怒りからの言葉で徳川家康は実際に朝鮮を誅する覚悟であると宣伝するためのものであるからだ。
実際に兵や物資を集めることは「殿下の命がなければ兵を集めることはできん。命が下ればいつでも動けるように用意しておけ」と言って行っていない。
それでも、朝鮮との戦の話を聞いて家督への不審を抱きつつある黒田長政は、軍功をたてるべく上方に使者を送って参戦を懇願したが奉行衆からにべもなく断られた後、参戦すべく家康に使者を送ってきた。
迷惑とは内心思いつつも『武士とは甲斐守の事なり、高麗征伐となれば坂東武者の先手を任せたい』との言葉を与えておいた。
結局豊臣方の一方的な勝利で戦は終わり、豊臣の疲弊は最小限で抑えられてしまったが、その分その戦に加われなかった東国勢の西国への羨望は拡大している。
そしてその東国勢の繋がりは意外なところから生み出されようとしていた。
小田原の役で知己を得た秀吉の側室で奥でも大きな権力を持つ京極殿は、秀忠と茶々の妹江との縁組の推進派で秀吉の内諾も取り付けて、来年には婚儀が行われることが内々には決まったのだった。
京極殿は側室の中では年かさながら未だ秀吉の寵愛を受けていて、茶々とは従姉妹同士という関係と先に奥に上がっていた事から、彼女の後見人のような立場となっており、北政所とも良好な関係を築いていることから、茶々と北政所を繋ぐ人物としても名がしれている。
彼女は、東海道を将来茶々の子が得た場合、徳川と佐竹を縁者であれば心強く思いましょうと説いて、秀吉の考えとも合致したことから驚くほど早く婚姻が決められてそれが家康にも伝わっていた。
さらに、秀吉の肝煎りで家康の娘と、会津の蒲生、そして池田家との縁組も組まれることとなった。
この内蒲生との縁組は、京極殿が蒲生家出身の三条殿と共に秀吉を説得して実現したと噂されている。
噂の真偽はともあれ、北部の蓋をしている蒲生との縁組は家康にとって願ってもないことであり、婚姻政策によって周囲の敵が自然と減っている現状は歓迎すべきことであった。
先日高砂の地で敗北したという、秀次の動きも家康にとって意外な効果を生み出していた。
彼は出陣に際して、自らの力を示すべく兵糧や弾薬を豊臣家に頼ることなく自家で用意することとして、その準備を行った。
讃岐の地は、石高が少ないながらも播磨で必要とされている養蚕を積極的に行っており、丸亀での造船は漁船が中心ではあったが、高砂や済州島さらには南方でも食料の確保のために漁船は飛ぶように売れて、その結果経済的に裕福な状況であった。
そのことに目をつけた細川忠興は転封先の地で、領地の開発に必要になるであろう資金を秀次から借りることを思いつき、秀次に借金をしていたのだった。
しかしながら、秀次の予想以上の長陣となり、しかも戦に敗北したことで見舞金などの出費もかさみ、忠興は急な借金の済を求められて、その返済に憂慮していた。
忠興の家臣は借金の返済に奔走したが、なかなか返済の目処が立たず、そこに手を差し伸べたのが家康だった。
このことに忠興は深く感謝して、両家の関係は深まっている。
しかも、借金のことを奉行の一人である石田三成に相談した所「越中の自業自得であろう」と言ったのが忠興の耳に入り激怒したという話も聞こえて来ていた。
そんな関東で影響力を強めつつある家康のもとに一人の僧が訪れていた。
彼の名は南光坊天海といい、武蔵の国で天台宗の僧として住持の立場にあり、その智謀は家康の耳にも届いている。
比叡山焼き討ちにも遭遇した経験を持ち、伝教大師以来絶大な影響力を誇ってきた天台宗に陰りが見えていることを憂慮している彼の願いは比叡山の再興と天台宗の隆盛であり、それを叶えるのは家康の庇護が必要であると考えていた。
今は豊臣の世ではあるが、織田の家臣として長年過ごしてきた秀吉にとっては比叡山の再興は重視する事業ではなく、朝廷との関係から一部を再建したに過ぎなかった。
完全な再建には豊臣を動かすことにできる有力者が必要であり、天海の見るところ家康が最もそれに近いように思われた。
朝鮮との戦を終えた秀吉から家康への上洛要請は出されており、残り少ない時間を割いての面会は家康の天海に対する期待の大きさの表れでもあった。
「もうすぐ上方へ赴かねばならぬ、その前に良き知恵を授けてもらいとうてな」
そういう家康に対し天海は「南方に加え朝鮮との戦で豊臣の蔵はたいそう寂しくなっておりましょうな。さすれば金銀を増やさねばなりますまい」とだけ答えた。
それはそうであろうと思い、ではどこからと考えて悪い策ではないなと思う。
金の切れ目が縁の切れ目と言うが、金を生む地を奪われれば如何になるかと思い当たったからであった。
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