第百十五話 秀次の処分

 1594年十月、失意のまま三好秀次は日の本の大地を踏んだ。

 これから戦に敗北した責任を取らされ、自らに課せられる処分を決めるための詰問が始まろうとしている。

 だが叔父秀吉はその場におらず、何度か面会を願い出たが多忙を理由に全て拒否されており、それが彼の心をかき乱していた。

 詰問には、秀吉の奉行衆から前田玄以、養父となった事もある縁から播磨豊臣から宮部継潤、譜代の大名衆から堀尾吉晴、中村一氏、山内一豊が選ばれて大坂の播磨豊臣家の屋敷で行われることが決まり、自分の屋敷でないことも彼にとっては負担となっている。


 秀次は自らの失態に、どの様な処分がいい渡されるのか恐れおののいていたが、詰問に訪れた者たちの言葉は問い詰めるものではなく、確認に終止するといった内容で数刻の後「それでは後日の沙汰をお待ちくだされ」と何事もなく帰ったことに、拍子抜けしたほどであった。

 秀次は屋敷を管理している古くから木下の家に仕えている見覚えのある老人に謝意を告げ、三好の屋敷で沙汰が下るまでの間謹慎生活に入った。


 秀吉からの処分が伝えられるまでの間、考えることは自らの今後についてであった。

 最大の擁護者であった叔父の小一郎は既に無く、後継者は殿下の子である公方様に一本化されている。

 その公方様は、小一郎様や木下の家のもの、東殿の娘や豪姫など、岐阜や長浜で共に暮らしたものとの関係が深く、その縁者を含めた者たちが中心となって公方様を支えており、長浜の頃彼と共に机を並べた当時の小姓たちを加えて、次代の豊臣家が運営されていくと秀次は考えていた。

 彼らの忠誠は疑いようがなく、領地が隣で何かと会うことも多い福島市松などは「わしは、元服前から公方様の家臣じゃ。佐吉の奴は気に食わんところが多いが、そいでも奴も元服前からの公方様の家臣じゃ、気には食わんが勘弁してやらねば公方様が心配されるでな」と酒を飲むたび零していて、元服前から家臣であることを誇りにしている。

 公方様は家臣について多くを語られないが「市松はやはり豊臣の忠臣であった」と嫡男誕生の折に言ったとの話が流れ、酒の席ではその噂を聞いた市松が気を良くして、嫡男誕生の際の大返しの話をするのも恒例となっている。


 ただ自分のようにそこから外れたものにとっては、市松が語る話を聞くたびに、公方様の天下に自分の居場所は無いのではなかろうかという思いが頭をよぎり、見せる表情とは裏腹に不安に苛まれてきた。

 公方様とは幼い頃僅かな間机を並べたが、すぐに宮部の家に養子に出されたことで離れ、実家に戻った後は偶に師のもとで顔を合わせる程度の関係性に落ち着いた。

 当時は幼いながらにどこか家督を争う関係であるという意識があり、近づくことを避けていた部分もどこかに持っていたことから親しい関係になろうとは考えもしなかった。

 先に元服を行い中国攻めにも参加して、軍功をと気負っていた徳川との戦で、公方様に変わり毛利との交渉を任されたことは恨みに思うこともあったが、讃岐統治では養蚕や造船の技術に大いに助けられ、今も殿下に助命を願う書状を出していると聞いては公方様に含むことなど一切できなかった。


 ただ今回の件で自らの名に傷が付き、豪姫を娶った宇喜多は別にしても、小一郎様の娘を娶った尼子や島津といった者たちより下の立場に置かれ、その者たちの様に公方様と共に暮らした関係を持たない三好の家が再び日の目を見ることはないだろう。

 そして自分は朽ちるまでその思いを胸に抱きながら、その立場に甘んじなければならないと考えて、眼の前が真っ暗になるのを感じた。

 その様な事を考える日々がしばらく続き、叔父秀吉からの使者が自分に対する処分を伝えるためにやってくるとまたも本心を隠してうやうやしく迎える。


 叔父からの処分は、淡路と伊予の領土の返還と、讃岐からの転封、転封先が決まるまで讃岐の地は豊臣からの代官が収め、それまでは三好の屋敷で謹慎を続けることと伝えられた。

 讃岐の地は誰かのものとなり、僻地に飛ばされて中央の政治に関わる機会は大きく減るなと感じる。

 叔父小一郎から頼まれていた「兄者を一門として支えてくれ」の言葉も果たせなくなった。

 伊予の領土は朝鮮で軍功を挙げた福島市松に与えられ、淡路は豊臣の直轄領となるとも伝えられたが、全く頭に入っては来ず後で教えられることになる。

 済州島で病を得て跡継ぎのないまま死んだ戸田は改易となり、その領土は長宗我部に南方の功として与えられるらしい。

 彼らのような華々しい功を打ち立て、三好秀次ここにありと示したかったが、そのような機会は二度と訪れないだろう。


 北政所様が訪問されて、処分を軽く出来なかったことを謝られたが、嘆願の礼を述べただけで長話にはならなかった。

 謹慎を続けているうちに、政治への興味を失いひどく疲れていることに気がつく、まだ子は幼く家督を譲る訳にはいかないが、何かをしようという気にもなれない。

 いずれかの僻地で豊臣の事を忘れ、過ごすのも良いかと思えて、やはり自分は終わったのだと改めて感じた。


 このまま出家して隠遁生活を送りたいとすら思いながら日が過ぎていく。

 この生活は、弟が死に代わりに関東へ向かう事が決まる翌年まで続くことになる。

 そしてこの秀次の脱落は、五大老体制への確立につながり外様の力を強める要因となっていくのだった。

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