第百十四話 各国の反応

 朝鮮と日本の戦が起きて、朝鮮が敗北したことは多くの明の者たちによって何の影響も与えなかった。

 実態はどうであれ、明が一兵も送らずに戦を収めたことは皇帝の徳を示すものだと喧伝され、国内の統制に使われたがそれだけであった。


 この間、明は異民族の引き締めに力を入れて、四方の監視を強化して、軍勢も少しづつ火器の導入が進められている。

 火器の導入に関しては、耳聡い者の中には朝鮮の戦で鉄砲の有効性を感じて導入を推進するようになったものもいて、進みはしても後退することはない情勢となっており、その需要も高まっていた。

 だが、鉄砲生産国である欧州と日の本が現在は戦争中で、スペインやポルトガルは明に鉄砲を売る余力はなく、日本で新たに作られた物はまず自国に配備されて、旧式となった物が密貿易で流れてくる以外の流通はなかった。

 それでも、自国で生産した鉄砲と組み合わせて、少しづつ数を増やしている。

 ただ中国に伝えられている技術は、ポルトガルから伝来したままの技術で日本の旧式銃にも及ばず、朝鮮半島に残された僅かな鉄砲をまでも買い集めているといった状況だった。


 宮廷では相変わらず皇帝は後宮に籠もり、浪費する以外に政治に影響を与えていないが、進んだ官僚制度と国力が国を曲がりなりにも持たせていて、建国以来数世紀を経てたまり続けている不満や歪みになんとか対応している。

 世界の中心だと自負するものたちの中には、海の彼方にあるかつての朝貢国が日本の支配圏となりつつあることに不満を持つものもいたが、まずは国内を安定させてそれから討伐すればよいという現実論には勝てず、何度も起きた異民族の反乱や民の反乱を監視、懐柔することに力を入れて、敵対勢力になり得る者への弱体化工作も始まっていた。


 その政策の一つとして、親明勢力であったヌルハチに力を与えて女真勢力をまとめるという方針は破棄され、女真勢力の分裂を画策して大勢力を作らないという方針に戻された。

 そして、異民族を統治する立場にあるものへの統制も始まっていた。

 楊応龍もそのうちの一人で、度々明朝への反乱の疑いありと訴えられ、一度は帰順する態度を見せたが、再度の詰問の使者に対しては会うことを拒否しており、強硬な態度を見せていた。

 明はこれに対し、討伐軍の派遣も含めて対応することを決め圧力を強くしている。

 彼の判断によっては、明国内で新たな戦いが始まる可能性すら孕んでいた。



 朝鮮の敗北は女真の地に、食料を求めて流民が流れ込み、朝鮮の民が耕作地を求めて女真の民と小競り合いを起こすといった変化をもたらして、ヌルハチはその解決のために何度も兵を率いる羽目となっていた。

 そんなヌルハチを悩ませているのが、弟であるシュルガチへの対応であった。

 ともに辛苦を過ごしてきた弟に対して、ヌルハチは領地の一部を任せて、彼もそれに応えて兄を支えてくれていた。


 しかし、彼の地位に目をつけた明は弟に近づき彼を優遇し、彼の領内で馬市を開くなどあからさまな離間策を仕掛けてきていた。

 初めは離間策と考えていた弟も、明の後押しで自領が豊かになることは止めることが出来ず、次第にその恩恵に預かりたいと近づいてくる者たちに囲まれて、次第に兄弟の仲は険悪なものに変わりつつある。

 彼に帰順したはずの勢力も、ヌルハチが明との関係を仲介する立場でなくなったことを察知すると徐々に独立色を強めて距離を取り始めている。


 この状況が続けば、今までの全ては灰燼に帰し、いずれ女真はかつてのように分裂するだろうとヌルハチは考えていた。

 それを避けるためには、大きな賭けが必要であり、ヌルハチはその機会を待ち続けるしかなかった。



 マニラの陥落はその重大さから、またたく間にスペイン王宮に伝えられ、さらにこの時期になるとフィリピンからのスペイン軍撤退すら王宮に伝わり、大きな混乱が広がっていた。

 カトリックの盟主としてフランスへ介入し、国王のカトリック改宗には成功したものの、スペインの影響下に引き入れることはできずに、逆にフランスとの敵対が表面化してきている。

 またネーデルランドはスペインの統治を拒否して、新たな国家としての道を歩みだそうとしていた。

 膨大な戦費をかけたにも関わらず、得られたものの少ない戦いが続いている中で、新たに入ってきたアジアでの敗北の知らせは、多くの家臣たちを落胆させるものであった。


 フェリペ二世はマニラ陥落の知らせに反応を示さず、アジアをどうするかの問いに対しても「アレッサンドロに任している」とだけ答えて何も対策を取ろうとしなかった。

 なおも食い下がった者に対しては「スペインはヨーロッパにあるのだ」と言ってそれ以上この問題に触れようとしなかった。

 ただし改めてアジアでの外交を委任するという、書状を甥に発行し、その中にはカトリック教徒の利益のためであればアジアでのスペインポルトガル両王国領の割譲を神は許すであろうとすら書かれていた。


 スペインの王宮ではアジアを切り捨てたとの噂が流れたが、それに対しても王は何の反応もしてしていない。

 だがこの戦いの前後で大きく変わった事もあり、それは国王のイエズス会に対する対応であった。

 カトリックの尖兵としての信頼を得て密接に結びついていた関係は冷え込み、日本から書状が送られてきた頃はともかく近頃は王宮にイエズス会の者が来ることはなくなっている。

 多くの援助は打ち切られ、いくつか送られてきているイエズス会からの要請も無視され続けている。

 あからさまな弾圧を行っているわけではないが、その姿がイエズス会の力を弱めている要因の一つになっていることは確かだった。


 フェリペ二世は老境に入り、かつてのような果敢な決断を取ることはなかったが、彼の心がイエズス会から離れていることは確かで、彼らの言葉を取り入れることは無くなっている。

 そして果敢な決断を取らないのはアジアも同じで、彼の甥に任せた以上関わるつもりはないように家臣の目には写っていた。

 彼の言うように、ヨーロッパでさえ多くの問題を抱え王の決断を必要としており、悪化する財政が動きを阻害して、アジアに手を出すことなど出来はしないことも家臣たちにはわかっている。

 それでもこの偉大な王であればという淡い期待と、老境に入った王が決断しなければ、次の王がどの様な決断をするか分からないという不安が彼らの中で広がっていた。

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