第百十三話 秀持の焦燥

 1594年九月朝鮮との戦の顛末と秀次の敗北を聞いた秀持は、何度も官兵衛や小西行長、真田信繁、森長可、加藤嘉明そして志賀親次といった面々と協議を続けていた。

 官兵衛以外は未だ若く、次代の豊臣家を支える者たちで、大友家から直臣として誘われた志賀親次は新参者ながら、噂通りの軍略を発揮して軍功を重ね、僅かな間にこの様な場に呼ばれる程の信頼を得ていた。


 特に官兵衛から同じく伴天連を信仰していたのをきっかけに、同じく軍を率いるものとして目をかけられ、自分の後継者として育てるべく様々な教えを受けている。

「今、公方様の元で軍勢を任されているのは、鹿之助殿と義兄の源次郎でございますが、公方様の世となれば大名としていずれかの地を任されることになりましょう。公方様は戦争はできますが、戦はできませぬ。豊臣五百万石の兵を訓練し指揮をするお役目を果たして貰わなければなりません」と脅しましたと笑顔で報告を受けた。

 それが骨身に染みたのか、官兵衛の側をついて回って、少しでも何かを得ようとしている姿をよく見る様になっている。


 そんな親次と義兄の活躍もあり、呂宋島のほとんどの者たちは豊臣の威に服し、第二次攻勢も作戦目標を達成して、あこ様の子秀俊を始めとする者たちも日の本から呂宋に到着して、手勢を率いて各地の統治に向かっている。

 懸念であった秀政の死は、父の功に免じて弟秀成に家督を継がすことが許されはしたが減俸処分が決まり、それならばとボホール島の統治を任せて転封として解決している。

 この様に南方の戦自体は順調で、統治も進みつつある今、首脳陣が集まって協議するのは日の本本土の情勢だった。


 朝鮮が攻めてきたと聴いた時には、泥沼の戦になるのではと心配したものだが、短期間に敵主力を撃破して和平が結ばれたことはその心配を吹き飛ばす物で、大きく安堵したものだった。

 となれば話題の中心は秀次の高砂での敗北となっていく。

 高砂にほど近いマニラには、戦の様子が目に浮かぶような精度で入ってきている。

 戦で反対の声を退けて深入りし、敗北したのは事実であったが、戦争の目標である平野部を占領し原住民を退けたこともまた事実であった。

 また多くの将兵を失ったのも事実であったが、こちらばかりが一方的に討たれたのではなく、手痛い反撃も行えていて、全く何の意味もない戦闘というわけではなかった。

 助命嘆願の書状も何度も送っており、時間を置いて父上が少し冷静さを取り戻せば死を賜ることはないだろう。

 母上も助命に動いてくれているようで、その部分に大きな心配はしていない。

 ただ、報告を聞いた時の父上の様子を伝え聞くに何の処罰も与えられないということはなさそうであった。


 官兵衛もその事には同じ意見であり「どの様な処罰がくだされるかですな」と話しており、その後の口ぶりからして減封の可能性が一番高いと考えているようだった。

 今回の戦で、父上は秀次の軍事的な能力に大きな疑問を持ち、豊臣の本拠である大坂を守る盾としての役目を任せられないと感じているはずであった。

 であるならば讃岐という大坂の対岸の地を任せ続けることはないだろうと予想している。

 そして何よりも秀次に対する信頼を失ったことが痛かった。

 南方への渡海前は大坂に近い秀次が一門として父上を支えてくれると期待していたが、その様な事を期待できる状況ではなくなっている。


 九州の持長は、朝鮮での戦いで軍功を挙げてさすがは前大納言様の子との評判を得たであろうが、その朝鮮の戦があったことで九州からは動けなくなるはずで、とても一門として父上の補佐を行えるとは思えなかった。

 そしてその事を示すように、日の本では五大老の原型となるような体制が整備されつつあり、父上を支えるのは彼らとなることが予想される状況が作り出されていた。

 政治に携わる有力なものが外様に集中するという、豊臣が滅びの道を歩んだ体制が出来上がりつつあった。


 一刻も早く和平をまとめ上げ、日の本に舞い戻りたいという思いは募っていたが、未だ交渉すら開始されていない中、日の本に戻るわけにはいかず南方作戦の方向転換を迫られていた。

 これまでは戦が進めばいずれ交渉が行われるであろうという考えであったが、今後は交渉の場に引きずり込む事を優先し、彼らが東南アジアで求めている香辛料を日本が握り、彼らが日本との貿易を望む状況を作り出すべきであると協議の結果結論付けられた。

 来年予定されていたミンダナオ島侵攻は、東部では将来の本格的な侵攻のため北岸にいくつかの拠点を作ることに留めて、西部とスールー諸島に戦力を集中させて香辛料諸島占領するための準備に主眼が置かれることとなった。


 日の本へは、海上戦力増員のために朝鮮で軍功をあげた九鬼水軍の援軍を要請しており、父上に認められれば彼らにスールー諸島を与えて制海権を強化しようと考えてもいる。

 その他にも、姫路から船大工を呼び寄せて呂宋での造船能力を引き上げる必要にも迫られていた。

 スペイン人によって残されたものだけでは、船の修理だけで手一杯で、今後いくらでも必要になってくる商船の建造や修理を考えると全く足りていなかった。

 戦費の圧縮のために農業を振興し自給自足に努めてはいるが、増えつつあるとはいえ兵糧全体の一割ほどを賄えているに過ぎず、ほぼ全てを日本からの輸送に頼っている状況に変わりはなくそれも改善すべきものだった。

 移民を広く募集し耕作地を増やす以外にも、豊臣に従う意思を見せた原住民を日の本の民として扱い、日の本の言葉を教えて農業を教えている。

 その役目は、農学校のものが担っていて、呂宋に訪れる者たちは増え続けていた。


 統治や侵攻に時間がかかると予想はしていたが、実際に南方に来てみるとその時間が重くのしかかり、その距離が日の本に対して何も出来ないことへの苛立ちを生みつつ、南方作戦は続いていくのだった。

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