第百十一話 朝鮮の戦後

 朝鮮と日本の戦争は1594年八月突如終わりを告げた。

 そこに朝鮮の意志は一切なく、日本が戦争の終結を宣言し、明がそれを認めただけであった。

 朝鮮は敗北を認めない事はでき、未だ負けていないと口に出すこともできたが、実際に行動に移すことはできない。

 攻め込むために必要な水軍は壊滅し、船を作る造船所の殆どは灰になり、そこで船を生み出す者たちはどこかに消えてしまっているからだった。

 水軍の司令部も壊滅しており、水軍を再建せよと命令を出す場所すら今の朝鮮には存在しなかった。

 少なくとも十年以上の時間をかけなければ、再建など不可能であったし、仮に再建したとして日本の水軍に伍する水軍を作ろうとするのであればどれほどの時間がかかるか分からなかった。


 流民も頭の痛い問題だった。

 日本によって略奪にあった都市から、何も持たず逃げてきた民は流民となって蝗の様に食料を求めて農村を襲い、それがまた流民を生み出していた。

 その中には、動かすべき船を失った水兵や、食料が届かず略奪する以外生きるすべを失った兵が加わっており簡単に討伐が行えるものではなくなっている。

 宮廷内の現状もひどいもので迷走を続けて有効な方策を打ち出せていない。

 明の行動を裏切りと感じた者たちは反明を掲げたが、明に従うべきだと説く多数を占める親明派による反明派の粛清が行われ、政情の不安定さから後継者問題も発生しそれが混乱に拍車をかけていた。

 宮廷内は勢力争いに終始して政治には目が向いておらず最も優先すべき戦争の復興には手がつかないままであった。


 戦争は終わりを迎えたが、日本への恐怖と不信感から軍の再建に傾倒していて、後回しにされているというのが正しい表現かもしれない。

 比較的被害が少なかった陸軍の将たちは、日本から祖国を守るには上陸してきた兵を打ち倒す陸軍が必要であると主張し、賊兵を鎮圧するためにも陸兵が必要であると主張して再建を急かしている。

 そして水軍の再建には時間がかかることから、朝鮮の上層部は日本への恐怖を少しでも早く和らげるために、陸軍の言葉に傾倒し軍備を急がせている状況を生み出している。

 彼らにとっては自らの財産を守る存在だけが必要で、それ以上に求める物などなかったからであった。


 早急な陸軍の整備は、民に負担を強いてそれが民の反抗につながり、鎮圧のために兵を動かしてそれがまた民の反抗に繋がるという悪循環を産み、さらに水軍の再建と復興が後回しにされることになり、少しづつその事は忘れられていった。

 軍備にかけることのできる資金には限りがあり、一時的にでもそれを独占した陸軍の将兵はそれを手放そうとしなかったし、長く放置された都市はいつの間にかそこに存在しないのが普通となったからだ。

 例外的に旧都である開城は復興が図られたが、漢城から目に映るのはそこ以外になく、開城が一定の復興を果たした事が宮廷にとっての復興の全てとなった。

 そして、それを正すべき人材は朝鮮には残っていない。


 李元翼は開城の防衛に向かい討ち取られており、柳成龍は済州奪還作戦失敗の責任を取らされ官職を解かれて下野したが、さらに死罪とすべきとの意見が出て多くのものが賛成していた。

 日本に対する怨讐を誰かのせいにして少しでも晴らしたいという気持ちは宮廷の全ての者が程度の差はあったとしても等しく持っているもので、失敗を犯した有能な人物は、多くの無能な者たちにとって生贄とするのに都合がよかった。

 朝鮮の日本への恨みは根深く李氏朝鮮の旧都である開城が、焼け野原という表現が最も相応しいほどに破壊され、虐殺にあった人々の死体が打ち捨てられた光景は怒りを抱かせるのに十分で、それが日本という蛮族とみなしていた者たちによってもたらされたことは彼らの敵愾心に油を注いでいる。


 しかもこの光景は、釜山や麗水といった日本の攻撃を受けた全ての場所で共通している光景で、彼らは兵と民の区別も老若男女の区別もなく、立ちふさがるもの全てを殺害し全てのものに火を放って立ち去っていった。

 特に釜山と麗水、そして巨済島は、一度の襲撃に飽き足らず襲撃が繰り返され徹底的に攻撃を受けて、今は人の暮らす場所ではなく死肉を求め獣が徘徊する街となっている。

 それに対して日常を奪われた者たちが憎悪を抱かないはずがなく、政治指導者たちは戦争を始めた自らの失敗を糊塗するために日本への憎悪を声高に叫んで、それがさらに憎悪を固定化させ、いつしか行動を支配されていった。


 ただその様な感情を抱いていたとしても、現実はそれを許さず、いつしか朝鮮を見放したはずの明に対しての奇妙な姿勢を生み出していく。

 それは日本に報復するためには明の力を借りる必要があり、そのためには明への忠誠を示すべきであるというもので、報倭奉明なる言葉が親明派を中心に叫ばれて、それに賛同するものを増やしている。

 その結果が反明派の粛清であり、さらには援軍が送られてこなかったのは明への忠誠を示せなかった事が原因であると、小さな齟齬を探しての粛清さえ始まりつつあった。

 これは悪しき伝統となり、時の権力者が不都合な人物を廃するときにも中華政権への不忠は使われ、その対象は王やその親族ですら例外ではなかった。


 そしてこの過剰な中華重視は、後に自国の文化も破壊し訓民正音など朝鮮が生み出したものは中華のものではないと徹底的に弾圧されて自国文化の発展を阻害し、後にいくつもの技術の受容を遅らせる結果をもたらすこととなる。

 余りにも短い戦争は、朝鮮に余りにも長い暗黒をもたらし、そして日本への根深い憎悪の根源となっていくのだった。

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