第百九話 豊臣の蛮攻
1594年四月下旬、済州、対馬両島で朝鮮に対して壊滅的な打撃を与えたことを聞いた秀吉は、すぐさま朝鮮半島に対する攻撃を指示した。
外征への被害のより大きい慶尚道水軍の拠点がある釜山と巨済島に対する攻撃を行い、両都市を完全に廃墟として継戦能力を奪うことを目的としている。
「八郎よ、太閤の命じゃ。日の本を虚仮にした者の末路を見せつけよ。価値あるものは奪い取り、技術あるものは連れて参れ、それ以外はことごとくを燃やし、ことごとくを殺せや」
宇喜多秀家は額に汗を流し、短く了承の言葉を返すことしかできなかった。
養父と自らの名は、今後数百年にわたって朝鮮の民から悪鬼のごとく語られるだろう。
「九鬼、堀内、脇坂らの船にそちの兵と市松の兵を乗せ朝鮮に参れ、毛利からも又四郎殿が毛利の婿殿(毛利秀元)と共に一万の兵と船団を率いて対馬に向こうとる。そちが大将じゃ対馬で合流し、又四郎殿の知恵を借りるがよかろう」
水軍も合わせれば三万を超える兵力となる事を知り、他人事のようにひどいことになるなと感じる。
今回の襲撃は戦で起きる乱取りとは違い、婦女への暴行は禁止されてさえいた。
あくまで軍事行動であり、その様な事をしている暇があるのであれば、職人とその家族を捕らえ、田畑を焼き水路を破壊することが求められていた。
それ故に組織的であり、かつての比叡山の様に無慈悲に朝鮮の民は殺され、住む場所を奪われることになる。
そして何よりも、秀吉は朝鮮に対しての興味を失っている。
明との緊張と引き換えに朝鮮の地を得るよりは、南方に力を入れたいと考えており、将来攻め込む気も統治する気も持っていない。
その事が、次の戦のために利用するためにこの建物は残しておかねばと考える必要もなければ、民に恨まれて統治が難しくならないかと心配することもなく、ただひたすら朝鮮の力を削ぐことに専念できる要因となっていて、過激な作戦内容に繋がっている。
そして彼は如何に過激な内容であろうとも、養父であり義理の父でもある秀吉の命に一切手を抜く気はなかった。
朝鮮にとっての悪夢が始まろうとしていた。
*
秀吉にとってこの戦は望まぬ戦であり、豊臣の致命傷となりかねない戦であると捉えていた。
南方の開発と戦に大量の金銀を費やしている豊臣政権にとって、この予想外の出費は財政を破綻させかねない危険性を孕んでいたからだった。
それ故に、姫路での日々を投げ売って陣頭指揮をとってまで事態の収集に努めている。
そういう意味で緒戦の大勝利を最も喜んだのは、秀吉だったかもしれない。
捕虜だけで二万近くを得て、討ち取ったものも多数、さらには敵の水軍にも大打撃を与えたことで、早期の戦争終結が視野に入ることとなった。
九州征伐や小田原の陣で示された通り、豊臣政権が全力を出せば二十万程の兵力を用意することができ、天下を制した今であれば三十万近い兵が用意できると秀吉は考えている。
秀吉は日の本全体で二千万石程であり、それに対して朝鮮は、民の貧しさを聞くに五百万石程の国であると予想していた。
日の本では一万石で二百人の兵役も可能ではあったが、戦から長く離れている朝鮮ではそれも難しかろう。
つまり、此度の戦で大半の兵を失っていて、さらに未だ鉄砲にも対応できていない。攻めるなら今であった。
相手の混乱の収まらないうちに、大打撃を与えて和平に持ち込む。
それが、被害を最小限に抑えるための唯一の方法だと考えていた。
そのために動かす予定のなかった毛利まで動かしてまで、朝鮮への攻勢を急がせ戦を決定づけようとしている。
そしてこの戦の戦費を補填するために、東国の国替えも急がねばならん、秀吉はそう考えていた。
*
李舜臣のもとには、倭国の攻撃による被害と中央からの悲鳴のような命令が絶え間なく届いていた。
五月に入ってから、倭国の反撃が始まり、巨済島とその対岸にある馬山と熊川が攻撃を受け慶尚右道水軍は壊滅、水軍司令であった元均も戦死し、街は倭人の略奪によって大きな被害を受けた。
さらに十日と日を開けずに次は釜山に現れ、同じく略奪の限りを尽くして慶尚左道水軍も壊滅させたことで、次は全羅左道水軍だという憶測が広がっている。
慶尚道水軍よりはましとはいえ、全羅道水軍の被害も大きく、何より全羅道右道の水軍を指揮すべき李億祺失ったことで、全羅道水軍の全てを指揮せざる得なくなった李舜臣には、被害を受けた軍船の修理、軍勢の再編成、防衛計画の立案とすべきことが無数にあった。
だが余りに悲劇的なことに、倭人がここに来るまでの僅かな時間にできることは何もなかった。
水軍が敗北した最大の理由は近海用の船で外洋での戦を行った事であったが、射程外から延々と行われる鉄砲と大砲の攻撃で士気が崩壊したことも大きな理由であった。
次の戦いは防衛戦であり、近海での戦いを選べば外洋という不利はなくなるが、装備という点に関してはどうにもならない。
せいぜいが盾となるものを持たすぐらいが精一杯の対策で、専用のものなど短期間で作れるはずもなく、使えなくなった船を壊して木の板を配っている。
そして李舜臣は絶望的な戦力差を埋めるために非情な決断を行おうとしている。
それは、町や民を犠牲にして彼らが対馬でしてやられたように停泊中の艦隊に攻撃を仕掛けるというものであった。
身動きできないのであれば、機動力では圧倒的に有利であり、彼らの船に乗り込み船を燃やしてしまえば、当分は手出しすることもできなくなる。
彼らが船から降りて、略奪に勤しんでいる間であれば船員の大半が陸に上がり大きな抵抗なく勝利できるはずだった。
そして倭国が艦隊の再建をしている間に、明の援軍を迎えることができれば倭国に勝利することも不可能ではない。
ただ李舜臣にとって誤算であったのは、鍋島直茂率いる軍勢が援軍として加わり、さらに長崎をはじめとする肥前の豊臣直轄地で船を集めた事で日の本の軍勢がさらに大きな規模になっている事。
そして何よりも、明と日本の間で朝鮮での戦争の和平交渉が始まりつつあり、援軍など望むべくもない情勢であることは知る由もなかった。
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