第百八話 朝鮮との戦

 1594年四月、秀吉は既に筑前の名島城に入り朝鮮軍の襲来の知らせを待っている。

 彼が上方から率いてきたのは彼の馬廻りのみであったが、数は八千を超えており馬廻りを任されるだけあって精鋭揃いで、それだけでも博多を守れるのではないかという陣容であった。

 それに加えて宇喜多勢一万が守りを固めていて、領主である持長は済州と対馬に兵を送った為に二千ほどの兵となっていたが、秀吉に付き従って若者らしく、はやる気持ちを必死に抑えつけていた。


 彼以上に戦を待ちわびていた福島正則は、本来麾下に入るべき宇喜多勢を待たずして筑前に入ると、秀吉に直談判までして四千の兵とともに対馬に向かい、最前線で侵攻に備えている。

 彼に巻き込まれる形で、宇喜多を待たずに筑前に入った戸田勝隆も、千の兵を率いて済州島に援軍として入ることになり、彼も既に軍勢とともに済州島に到着していた。

 肥前の鍋島直茂が率いる軍勢も肥前に侵攻してきた場合に備えて兵を動かしていて、長崎や佐世保などの防衛に兵を送っている。

 さらには大友改易後に豊後に入った前野長康が、多くの者が南方に送られていることから僅かな手勢しか用意はできなかったが、秀吉の麾下で戦場に立ちたいと馳せ参じた事は秀吉を大いに喜ばせた。


「小田原で殿下との戦も終わりと思うておりましたが、また馬前を汚す機会があろうとは、小六の義兄ぃに自慢話が増えましたわ」と豪快に笑い、秀吉も「小一郎もわしが朝鮮を成敗するのを見ておろう。わしが小一郎と小六に自慢話する時はそちもついて参れ、二人が悔しがる姿を見せてやるわ」と言って「楽しみですな」と二人して笑う。

「しかし殿下、市松や与右衛門(藤堂高虎)が相手では高麗侍がここまでたどり着けるか、殿下であってもあれほど固めた済州と対州を落とすは骨でございましょう」

 秀吉も「その通りじゃ。兵も鉄砲も十分に送っとる。並大抵の攻撃では揺るぎもせぬわ」と自信を覗かせる。

 筑前豊臣家からの援軍や、伊予勢が加わった結果、済州島には六千の、対馬には七千の兵が強固な城塞に守られて敵の襲来に備えていた。

 城攻めについて絶対の自信を持つ秀吉であっても、攻め落とすとなれば兵や時間を相当消費することを覚悟しなければならないと感じずにはいられない陣容を誇り防衛には自信を持っている。

 秀吉は敵がいががするのか見ものじゃなと思いながら、余裕の表情を浮かべて戦の報告を待ちわびていた。



 慶尚道の水軍司令官である元均は、荒い気性と勇猛果敢さを持つ将で、北方の女真族との戦いで名を高め、現在の地位に上った歴戦の勇士であった。

 ただ、海戦については全くの無知であり、今回の戦でも軍を運ぶ馬の役割しか与えられなかったと不満を持っていた。

 それでも、各地より大小の区別なく船を集め、二万もの兵を運ぶ船団を用意したことは称賛に値するものであった。

 彼は王命が下るとすぐさま出陣を直訴し、総司令である金命元も受け入れて、二万の兵を乗せて意気揚々と対馬へと向かった。

 この間、数隻の船を失う事になったが、ほとんど兵を失うことなく対馬に移動させることができたのは、朝鮮水軍の実力から言って奇跡というべきもので、称賛されて然るべき偉業と言えた。

 ただ、彼らの幸運はそこまでで、次に幸運に見舞われたのは日本の方だった。


 朝鮮軍の上陸作業中、福島正則を主力とする五千の兵は上陸を阻止すべく、散々に鉄砲で射かけると、瞬く間に混乱と被害が広がっていった。

 さらに、朝鮮にとって不運な事に、秀吉に命じられて水軍を率いて参戦した堀内氏善、九鬼嘉隆といった水軍の将が筑前豊臣家の水軍とともに対馬に兵糧を運ぶべく対馬に向かっていて、上陸作業中で動くことのできない朝鮮水軍に襲いかかったのだった。

 日本の船に積まれている大鉄砲や大砲は、弓矢が主力の朝鮮水軍の射程の外からの攻撃が可能で、反撃もできないまま多くの船が航海能力を失っていった。


 この攻撃で大混乱に陥った朝鮮水軍を目の当たりにして、元均が選んだのは退却であった。

 動けない中敵の水軍の攻撃を受け、なんとかしてほとんどの兵を下ろしはしたが、鉄砲が飛び交う中食糧や弓矢、軍馬を下ろすなどどれだけ時間がかかるか分からず、その間水軍の砲撃に耐え続けるなど不可能だった。

 上陸を行った陸兵たちは、軍事物資が荷下ろしされる前に水軍が退却したことで、今日口にする食料もないまま帰る手段を失うことになる。

 見捨てられる格好となった彼らは口々に水軍に対する呪詛を唱えたが、それで船が戻ってくる訳でも鉄砲が鳴り止むわけでもなく、兵たちには降伏を選ぶしか生き残る手段は残っていなかった。

 また、退却を選んだ水軍に対する追撃は、弾薬が尽きるまで執拗に行われ、拿捕された軍船も多数で、退却をしている間に船団から外れ、行方不明となる船も出るほど混乱したものとなった。

 結局何とか朝鮮に戻ることのできたのは三千程で、多くの軍船を失い、何よりも全兵力の三割を文字通り失うという大敗北だった。


 さらに朝鮮にとっての不幸は続く、少し遅れて済州島に攻め入った全羅道から六千の陸兵とともに李億祺が水軍を率いて攻め入ったが、悪天候に遭い済州島に辿り着く前に多くの船を失って、上陸したときには兵は四千ほどに減らしていた。

 これを見て敵の数が少ないと判断した藤堂高虎は、積極的な攻撃を行って朝鮮軍に勝利。

 この時水軍は、上陸を終わらせて退却していたことから退却することができず降伏が相次ぎ、あくまで抵抗したものは討たれていった。

 そして上陸を成功させた水軍も、おめおめと上陸させてしまった事を挽回すべく出陣した脇坂安治率いる水軍に発見されると、戦ったこともない完全な洋上で攻撃されて、大損害を受け李億祺を失いながら朝鮮に戻ることになる。


 結果、朝鮮は緒戦にも関わらず有力な軍船の殆どと、多数の兵を失い、日本は一万を超える捕虜を得たにも関わらず殆ど被害を受けていないという一方的な状況が出来上がっていた。

 筑前では太閤秀吉の高笑いが響き、李舜臣の苦悩はより深まっている。

 そして朝鮮にとどめを刺すべく、日の本の反撃が始まろうとしていた。

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