第百七話 朝鮮軍対応

 上方に戻った秀吉は、謁見の為の部屋に入るなり、政務を任していた家老と奉行に対し座ることもせずに「どういう事じゃ、誰か説明せよ」と大声を張り上げた。

 それぞれが、日の本で知らぬ者のいない大大名ではあるが、この様な状態の秀吉に答えられるものは多くはない。

 殆どの者が返答に窮する中、幼い頃より側に仕え続けて沈黙を嫌う事を誰よりも知る佐吉が口を開いた。


「明国より、朝鮮から送られた書状が手に入りましてございまする」

「なんと書いておった」

 怒りが冷めやまないといった口調で詰問すると「春に済州と対州を攻めるゆえ明国に援軍を願うとの内容でございました」の答えが返ってくる。

 秀吉は鬼のような形相となって「クソたわけどもが」と吐き捨てた後「明の動きは」と短く問う。

「島一つのために援軍を願うなどと相手にしなかったと聞いております。明にいるものからも動きがあるとの知らせは参っておりません」との報告を佐吉は感情を込めずに伝えた。

 これを聞いて、秀吉は最悪の事態ではないと冷静さを少し取り戻したが、それが分かるのは長年付き合ってきたものだけであり、多くのものは未だ言葉を発することが出来ずにいた。


「筑前には、朝鮮に動きがあるとの報せを送り、兵を集め警戒するようにと伝えておりまする」と佐吉が再び感情のない報告を行うと秀吉は息を吐き「そうきゃ」と脱力した様に言ってから音を立てて畳に座る。

 そして周りを睥睨すると「八郎よ南方の援軍として用意しておる兵があろう、市松ら伊予の軍勢と共に筑前へ赴き後詰に入れや」と指示を出した。

 宇喜多秀家の了承を伝える声を聞いて、ふと秀吉は「明はどういうつもりであろうな」と呟いた。

 この言葉に冷静さを取り戻したと感じた小早川隆景は「殿下、日の本が乱れるのは明にとっても迷惑千万。日の本に恩を売り、戦を早く収める算段やもしれませぬ」と発言する。

「なるほどの、では恵瓊坊を送り明に和議の仲裁を願おうかの」と気楽そうに答える。

 そこには先程までの怒気は含まれていなかった。


「されどまたこの様な事があっては、朝鮮は誅を与えねばなりますまい」

 この家康の言葉に、室内は緊張に支配された。

 秀吉の決断によって全てが変わってくるからだった。

「殿下、朝鮮への出兵は……」佐吉の言葉に「分かっておるわ、南方が片付いたならまだしも、とてもその様なことできんわ。和議を結ぶこととなっても済州以上は望まん。何度も言わすでない」と再び怒気をあらわにする。

 それでも「それでは朝鮮は」という家康に「たわけが、ならばそちに切り取り次第許す。そちの兵と兵糧で誅して参ればよかろう」とまで口にした。

 言葉を失った家康ではあったが「しかし何もなしというわけにもいきますまい」と浅野長政が助け舟を出したおかげでそれ以上の叱責を受けずにすんだ。

 だが「そう言うからには何か策はあるのであろうな」と睨みつけられると助け舟を出したはずの浅野長政も言葉を失い、またも室内は不穏な空気に包まれる。


 それを打ち破ったのは小早川隆景であった。

「朝鮮は倭寇を恐れていると聞き及びまする。なれば我らが倭寇となりて湾岸を襲い、街を焼いて港や造船所を破壊すればしばらくは動くことも防げ、朝鮮への誅にもなり、朝鮮は日の本に恐れ慄きましょう。恩賞は乱取りとすれば負担も少なく、同じく倭寇を恐れる明への脅しにもなりまする」と普段温厚な彼とは思えない策を口にする。

「悪くはないが、明がそれではどのように動くか分からぬな」との秀吉の言葉に、隆景は「そうでございますな」と気にする様子もなく答えた。

 彼としても受け入れられないことを承知で、敢えて過激なことを言った様だった。

 ただこの言葉を聞いて、兵站をよく知る長束正家が「なれば、釜山、麗水、巨済といった水軍の拠点のみとするのはいかがでございましょうか?これらが灰燼に帰せば日の本に攻め込むことは難しくなりまする。殿下が朝鮮を望まぬのであれば、徹底的に打ち壊しても問題はありますまい。明も再度の侵攻を防ぐためと申せば納得し、港を使えぬようにすれば朝鮮への出兵の意思のないことも示せましょう」と提案する。


 秀吉は思案顔となり、周りのものに反対する者がいないのを確認してから「よかろう恵瓊坊にはその事も伝えさせよ。ついでじゃ職人や学者などなど能のあるものは連れて参れ、餅が長崎でしたようにな。朝鮮の技術とて日の本の役に立つものもあろう」と長束正家の言を受け入れた。

「されどそれも済州と対州で勝ってからじゃ。松丸には両国に援軍を送るように申し付けよ。脇坂甚内にも水軍をすぐさま動かし、済州に兵を向かわせるよう伝えい。松丸はまだ若いゆえわし自ら指揮を取る。旗本衆のみでよい筑前に向かう準備をさせい」

 佐吉の応える声が終わらぬうちに、秀吉はさらなる指示を出す。


「安芸中納言は国許に戻りいつでも兵を動かせるように差配せよ。又佐よ留守は任す。江戸大納言は国許に戻り東国に睨みを効かせておいてくれや」

 家老衆に指示を伝えた後は、奉行衆に指示を行う。

「佐吉は今まで通り南方の差配じゃ。弥兵衛は又佐について政務を助けよ。長束宰相にはこの戦の兵站を差配任すことにする。始めは守りの戦じゃ、鉄砲弾薬はいくらあっても足りん。山となる様筑前に送りつけよ。増田右衛門はわしに付き従い陣中の兵糧弾薬の管理任す。玄以坊には変わらず朝廷との折衝任せる。それと朝鮮との戦となれば住吉の加護一層であろう。祈祷申し付けよ」

 重なるような「はっ」という声を聞いた後、秀吉はもう一度口を開いた。


「わが日の本に害をなすたわけどもを蹴散らし、朝鮮の者どもに愚かな決断をしたことを知らしめよ。帝も追って防人の任を果たせと命じよう。よいか太閤の命に背くは逆賊であると心得よ」

 一斉に平伏する家臣達の姿を一瞥し、部屋を後にすると大声で「出陣じゃ」と声を張り上げた。

 こうして天下を手にした英雄の最後の戦が始まった。

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