第百五話 朝鮮の憂鬱

 朝鮮国王宣祖が、済州島占領を受け日の本への進行を決意して軍船の建造と徴兵を命じてから約一年、1594年二月には済州島に向かう軍勢と対馬に向かう軍勢の編成も終わり後は国王からの出陣命令を待つだけとなっていた。

 この戦に参加する総兵力は約四万を数え、軍船の数は約五百と朝鮮の力を示すべく過剰とも言える戦力での外征であると、国王宣祖は容易に日本を降す事ができると自信を持って家臣に話している。


 軍勢は済州島を取り戻す軍勢と、対馬を占領する軍勢の二手に分かれて侵攻し、両島を占領した後は明の援軍を待って九州に上陸した後、豊臣秀吉の軍勢を打ち破り日の本を占領すると漢城の宮廷では気炎が挙げられていて、宮廷内では国王の話に尾ひれがついて夢物語のような話がそこらかしこで語られている状態だった。

 宣祖とその官僚たちによって作られた戦争計画は、その慢心が形になったのか、どれほどの間二つの島を占領し続けるのかも明確でなく、いつ明の援軍が来るのか、いつ九州に攻め込むかというものがないまま進められていた。


 この戦争の計画を作っていた柳成龍は、明の援軍が来るかもわからない中では倭国への侵攻などできないと考え、済州島を取り戻すことで王の溜飲を下げるに留めたほうが良いと考えていたが、政敵の存在がその実現を阻んでいる。

 今の宮廷でそのようなことを言えば、明日には官職を解かれて追放されるだけであるからだった。

 王はそのような言葉に耳を貸さず、佞臣に支配されつつある宮廷で甘言に浸ることを選ぶに違いなかった。


 実際用意された軍勢の実態はひどいもので、十分に与えられたはずの予算はいつの間にか目減りして、結局奴婢たちも加えざる得ず、さらには集められた者たちの多くが武器も持ったこともないものたちだった。

 外征を行うのであれば十分に用意すべき兵糧も、取り繕うために農民から略奪をして集められたもので、全軍が数ヶ月動けばなくなるほどのものしか用意されていない。

 このような状況に柳成龍は頭を抱えてはいたが、それは軍を動かす者にとっても同じだった。



 李舜臣は同郷の柳成龍の推薦を受け、朝鮮南西部の全羅道に所属する水軍の司令という重役に抜擢され、この戦では済州島に侵攻する水軍の指揮を、同じく全羅道の水軍司令である李億祺とともに任される立場にあった。

 ただ彼も李億祺も女真族との戦いで軍功を得て今の立場を得たものであり、陸戦はともかく海戦は全くの門外漢であり、僅かな海賊との海戦の経験も全てが近海でのもので、外洋に出ての戦闘など全く考えたことがなかった。


 幸いにも、全羅道の水軍は倭寇から朝鮮を守るために、訓練は十分に行われていて、軍船の数も倭寇への対策としては不足のないものであり、大きな戦争から遠ざかっている朝鮮にとって最精鋭であることは間違いはない。

 しかしながら長年の平和が装備を旧式化させていることも否めず、彼らの主力は板屋船と呼ばれるガレー船で、弓矢での攻撃と乗船しての白兵戦という伝統的な攻撃手段しか持っておらず、鉄砲やましてや大砲など装備されてはいない。

 そもそも、近海での戦闘を主眼に作られた水軍で、渡海しての戦など考えられてはおらずその様な訓練もされていなかった。


 それに対して、彼らは全く預かり知らぬことであったが、南蛮船を参考に作られた日本の軍船は、参考にしたナオを少し長くして速力を高めた日本版南蛮船を作り出していて、明の侵攻に対抗すべく姫路から職人を招いた佐世保の地で次々と軍船を就航させていた。

 偶然にも、ガレオンとナオの中間といった形になった彼女たちは、当然多数の鉄砲と大鉄砲を装備していて、当然外洋に出ることにも不安なかった。


 しかも済州島は藤堂高虎によって僅かな間に要塞化されていて、三千の兵によって守られ、貴重な大砲すら配備されている。

 これは対馬も同じで、兵数は二千と済州島よりも兵は少なかったが、豊湖諸島での築城を終えた桑山重晴によって島内の防衛施設は整備されて大砲も運び込まれていた。

 この大砲は秀長存命時、戦争になったときに備えて播磨から無理を言ってまで融通させたもので、研究用として播磨に残されていたものを運んだものだった。

 それ以外にも、一年は戦える程の弾薬や食料も運び込まれていて、対明戦が起きた場合の前線基地として重視されているだけあって防衛に余念はなく外敵を一歩も通さぬと待ち構えている。

 李舜臣が攻撃しようとしている場所はそのような場所だった。


 しかも朝鮮の侵攻計画はこの時期、明国から豊臣政権に漏らされてもいて、確度の高い情報と判断され宇喜多秀家に福島正則ら伊予勢をつけて援軍としていつでも派遣できるよう準備が進められていた。

 万が一にも朝鮮の外征が成功した場合、朝鮮から再度援軍を求められるであろうが、当然縮小しつつある水軍を再整備してまで日本と戦う気は明にはなかった。

 であるならば援軍を拒否して朝鮮に恨まれるより、日本に情報を渡して外征を失敗させるほうが、日本に恩も売れ朝鮮も諦めるであろうという判断からの意図的な情報漏洩であった。


 そのようなことは露知らず、李舜臣は今もこの外征を成功させるべく、李億祺そして全羅道の陸兵を指揮する権慄を交えて侵攻計画を練っていた。

 口には出さないが彼には全てが足りていないのではという感情が渦巻いている。

 対馬に二百年程前に侵攻してからは外征を知らない水軍、数は増えたが加わったほどんどが奴婢を中心とした武器も持ったことがない者たちで数だけ揃えた陸兵、彼の抜擢を不満に思い協力体制の取れない対馬侵攻軍と済州島侵攻軍、足りない兵糧に無計画な宮廷。

 何一つ光明になるものがなく、暗闇を歩いている感覚に襲われながら、それでも勝利のために精力的に働いている。


 だがそれも大きな成果を上げることができずに、勝利のための準備も整わないまま、王からの勅命が下された。

 済州島を朝鮮の元に取り戻すべしという以外に何も書かれていない勅命と使者の横柄な態度に血圧を上げながら、それでも軍人として出陣に取り掛かる。

 彼が救国の英雄となれるかは、誰にも分からなかった。

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