第百二話 年の終わり
1593年は秀吉にとっても豊臣家にとっても特別な年になるだろうと、秀吉は決して喜びのみに彩られたわけでない一年を振り返っていた。
呂宋での戦果を知り、茶々の懐妊を知り、豊臣への降嫁が決まり、この年は豊臣にとって栄光に満ちた一年になるはずであった。
呂宋の最重要拠点であるマニラを手中に収め、周辺の島々を手にした後、その勢いに乗ってさらなる追撃を行わなかったのは多少不満に思わなくもなかったが、信濃や高砂の例を見ても、入念に準備をしてから戦を仕掛けるのが息子の戦であろうと思ったし、豊臣がここまでの大身となれば、それも王の戦のように見えそれでもよかろうと思っている。
相変わらず遠慮もなく様々なものをねだってくるのは変わりないが、親としては可愛く思う部分が大きくできるだけ叶えてやろうと思うし、望んだものは豊臣の益となっているので断る理由もなかった。
息子がねだって来たものは、呂宋の統治に譜代のものを送って欲しいというもので、息子の希望していた通り木村重茲を送ることにし、幼い息子には長旅は辛かろうと、小姓となるべく姫路で養育されている。
それに加えて、加藤光泰の子貞泰も送ることとした。
更には奉行となれるものをと、糟屋武則の派遣を求めても来ており、その他にも太田一吉と福原直高、熊谷直盛の三人も佐吉が豊後にと推していたが結果自分の案となったことから、その代わりとして南方に領地を与えるつもりであるから南方に送ってほしいと文で伝えて来ていた。
佐吉には「そちが親しきものを押せば、いかに能あるのもであったとしても、佐吉が私で豊臣を思うがままにしていると考えるものも出てこよう、南方で地を与えるゆえ今後は改めよ」と文が来て、生真面目な佐吉はすぐにわしのもとに参って「申し訳ございません。いかようにも処分を」と言ってきたので「よいわ、じゃがその代わり、豊家が餅のものとなればわしと同じく仕えよ」と言っておいた。
佐吉は「もとより」と短く答えたが、忠誠を新たにした様子であった。
その他に小田天庵の大名復帰を望んだことは意外ではあったが、息子からの文には納得できる部分もあり、大きな影響もなかろうと一族郎党を集め南方へ向かう事を命じている。
これまで息子は西国大名との関わりが深く、今麾下にあるのも西国勢で、近頃になって東北勢と縁を結んでいるが、東国の縁が薄いのは確かであった。
元服して最初の仕事が毛利との交渉であり、その後は西国の取次を任せたことから仕方のないことではあったが、関東の名門を支援するとなれば東国の民どもの評判も悪くはなるまい。
とはいえ、関東取次である家康と自らの跡取りである息子との関係の希薄さは、徳川を息子の後見にと考えている秀吉にとって気にしている部分であり、どうにかして縁を結ぶことができないかと考えてもいた。
更級と関係の深い茶々の妹である江を、後継ぎである秀忠と結ばせ、おなごの同士の繋がりで二つの家を近づける事も、茶々の妹を徳川へ嫁がせ豊臣と徳川の縁を強める事と同じく期待している。
昨年産まれた日寿丸に徳川の娘を嫁がせることができればと考えてもいたが、流石に養女や側室の子を迎えるわけにもいかず、江が娘を産むのを待つしかなかった。
茶々が男子を産んだことは、そんな両家を取り持つ意味でも大きく、早くも秀吉は将来領地を与える事を思い描き、かつての小一郎のように東国の窓口として兄を支えて欲しいと願っていた。
そんな中取りざたされているのが、高砂の豊湖諸島対岸の寺沢領と高砂の北部にある尼子領の間にある原住民たちの連合国の存在で、これを降して高砂を安定させ新たな開拓地を手に入れるべきではないかという商人たちの意見であった。
これほど南方開発に力を入れているのに、さらなる開発地を求めるとは欲深いことよと思いながらも、秀吉は認める気でいる。
順調に進んでいる高砂開発が原住民の反乱で立ち止まっては敵わんし、東国の国替えも考えていたから転封の候補地を確保しておきたいという思いもあったからだ。
そういえば秀次は南方の予備として兵を集めておったなと思い当り、秀次に総大将を任せて田中吉政や木村重茲、小田天庵ら南方に領土を与えられる予定のものを加えて軍とすれば、後は秀次のみ戻せば面倒も少なくよかろうと右筆に文を書かせることにした。
この秀吉の決断によって、秀次は春にも軍を率いて高砂を攻めることが決定し、ついに軍功の機会が来たと秀次は意気揚々と高砂に向かうこととなる。
そして秀吉は、次に姫路のことを思い返す。
更級からの文を見るに、降嫁してきた娘は更級を母のように慕い、明石とも仲が良くなってきた様子であった。
歳のせいか瑞雲丸と婚姻したという意識は全く無いようだが、秀吉も時間が解決することだと問題とすら思っていないし、報告から姫路に馴染んでいる様子が伺えて、時が経てば良き婚姻になりそうだと考えてもいる。
そして最後に、一度しか読んでいないねねからの文に目を移す。
といっても、もう一度読む気にもならない。
そこには小一郎の病状が急変して、ここ数日まともに目覚めることもなく、典医からはいつ亡くなっても不思議でないと記されている。
小一郎の病は秀吉の心に大きな影を落とし、この一年の彩りを色のないものに変えていた。
*
小一郎が伏せる姿を前にして、かつてあれほど騒がしく過ごした三人は言葉を発することもなく、ただ小一郎の姿を見守っている。
これが岐阜であれば、三人の誰かが何かを言いだしてそこから他愛のない話が始まり「姉さ勘弁してくれや、わしゃあ疲れとるんじゃ、せめて場所を変えてくれや」と小一郎が起き上がり、ねねが「小一郎殿申し訳ありませんでした」と詫びて、あこが「申し訳ありません。ですがせっかく盛り上がっておりますし小一郎殿もどうですか」と誘い、柊が「疲れておると言ってるであろう」と溜息混じりにそれに答えるという景色となっていたのかもしれないが、ここは岐阜ではなく、小一郎はここ数ヶ月起き上がることもできていなかった。
柊が「姉様、あこ殿お休みください」と声を掛け「柊殿こそ少しは、私とあこ殿で小一郎殿は見ておきます」と北政所に返されても「小一郎殿との約束ですので」といつも通りの言葉が返されるだけであった。
典医から「いつ亡くなってもおかしくございませんお覚悟を」言われてから二十日余り、ほとんど眠る事もせずに一時も小一郎の傍を離れることなく過ごしている。
誰が見ても柊が憔悴しきっているのは確かであったが、例え殿下や餅丸であっても止めることはできない事は自分を含め皆が分かっていて「せめて殿下への報告は私が、公方への報告はあこ殿にお任せください」と言って僅かに負担を和らげることしかできていなかった。
高砂から尼子に嫁いだ桐が嫡男の長久を伴って城に入っていたし、姫路からは更級も嫡男と筑前豊臣家から娘を貰う予定の次男を連れて城に入っている。
殿下は相変わらず、聚楽第にいるが弟の死を見ることに未だ決心がついていないのだろう。
師走も残り僅かでもうすぐ年が変わるが、皆が暗い表情で新年を迎えることは確かであろうと、北政所は考えていた。
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