第百一話 再攻撃準備

 1593年も十二月となり、呂宋では第二次進行の準備が着々と進められている。

 作戦の目標はミンダナオ島以北のフィリピンの占領で、陣触れは既に発表されていて、出陣する軍勢は三つに分けられて、小西行長の指揮のもと必要な物資が運び込まれていた。

 参加する兵は水軍を除くと三万に届かない規模で、昨年の第一次攻撃よりもかなり縮小されていたが、集められた情報からフィリピンには多くの兵はいないと判断されていて、それならばと防衛や開発に回した結果だった。

 小早川の兵たちは参加していないし、総大将の秀持はマニラで指揮を取るという形で、新たに加わった大友の旧臣たちを加えて五千ほどの兵を出しただけで、播磨兵のほとんども参加していない。


 最大の目標であるゼブ島を攻撃するのは真田信繁で、播磨隊の副将に志賀親次を置いて、肥後勢から中川秀政と相良頼房を加えて、立花宗虎を先鋒とする部隊となっている。

 総勢は約九千程と十分な兵力ではあるが、兵力はかなり抑えられている。


 ネグロス島へはパナイ島を大友勢の退却にも関わらず占領して名を上げた長宗我部を大将に、伊東、高橋らの日向勢と旧大友勢を加えて六千の兵で攻め込むこととなっている。

 長宗我部家は九州征伐で嫡子を失い、元親は後継者として四男盛親を、次男の香川親和を秀吉が後継者として推していたこともあり、親和が病死したあとも後継者として認めるとも認めないとも言わない中途半端な状態となっていた。

 元親への恩賞として、正式に盛親を後継者と認め土佐守の官位を授けることを約束し、長宗我部への恩賞としては、父上に加増を求める文を送っている。

 父上からも『南蛮での比類なき働き、公方の言、至極もっとも必ず加増あるべき』との文が返ってきており、既に盛親への土佐守への任官も併せて、文は長宗我部家に渡されている。


 最後に、ナガから出陣しサマール、レイテと占領する予定となっている島津勢は、島津豊久が六千の兵を率いての出陣となる。

 余談ではあるがナガも日本名に改名されている。

 ナガ川を見たあるものが「こりゃあ、長川じゃのうてななわだじゃ」と言ったのが広まり、元のナガという地名と合わさって、長曲と書いて「ながわだ」になったらしい。

 そんな長曲から出陣する島津ではあったが、大きな問題が発生している。

 島津の後継者であった久保が、南方で病にかかり先日病死し後継者問題となりかねない状況に陥ったのだった。


 島津家中では、小一郎の娘と婚姻し武芸にも優れることから密かに豊久を世継ぎにという動きもあったが、豊久の父家久が正室ではなく側室の子であること、更には豊久自身が久保を支えると公言していることもあり、表面上は後継者問題は発生しておらず、久保が後継者であることは豊臣も認めていた。

 しかしながら、その久保が病死し、順当に行けば世継ぎとなるはずの忠恒は、父義弘から行状を改めるようにと言われるほどであったので当然家中からの評判も良くなかった。

 島津には南方へ伊東家に転封を行い、その領地を豊久への加増とすることで、恩賞とすることを伝えられていて、その事は当主である義久にも伝わって家中の者も知らぬものがいないほど広まっている。

 義久は名門意識の高さから豊臣を軽視するところがあり、豊久を後継者とすることは決してないであろうが、上方からは豊久を後継者にすべく圧力がかけられるだろうことが予想され、大きな後継者問題に発展することは避けられない状況であった。


 久保の死後、義弘は酷く疲れた表情で国許に戻して欲しいと訴えてきて、それを許した経緯もある。

「だが、又七は戻さん。そちが戻れば兵を率いてもらわねばならんし国許に戻せばどうなるか分からん。柚は叔父上の看病に筑前に行くように伝えて決して国許に入れぬように」

「そいでは大将が」

 島津の大将を豊久とすることで、後継者問題に影響が出かねない抗弁するが「今更島津の出陣を取りやめる事はできんし、島津の兵を全て戻しては南方に影響もある。又七に従わぬものを連れ国許に戻る様に、加増もかわらん。それでも家中をまとめてもらわねばならん」と義弘に伝える。

 あまりの難題に俯くが、それでも国許に戻らねばと南方を後にする決心を固めたようで「わかりもした」と言った後、戦場を去ることを詫びる言葉を残して国許に戻っていった。

 ただその後、義弘に官兵衛が「公方様は島津宗家を又七郎殿に継がせよとは仰っておりませぬ。又七郎殿とて宗家を継ぐのは憚れると申されるでしょう。それをお忘れくださいますな」と更に混乱させることを口にしたらしく「酷く悩みながらの帰路となるでしょうな」と楽しげに言う官兵衛を見てやはり人が悪いと感じたものだった。


 そしてもう一つの問題となっているのが「なぜわしが留守番なんじゃ」とやってくる勝蔵様の対応で、毎日のように来ては同じ問答を繰り返している。

「暴れ過ぎた罰にございます。少しは大人しくして下され」と言っても納得せずに「日の本の言葉をしゃべらず理由の分からぬ事を言って参ったゆえ仕方なかろう。だがらと言って戦場に出さぬとは卑怯ではないか」と言っては、なぜか行くところ行くところついてくる。

「町の見回りをお任せしたはずですが」と聞いても「やってはみたが退屈でな、じゃが任せておるゆえ問題ない」と答えて、知らぬ間になぜか用意されている膳を食しては「日の本の味が懐かしいのう」などと話しかけてくる。


 初めのうちはなぜ居るのかと思っていた者たちも、いつの間にか気にせぬようになって、最近では勝手に部屋を占領して寝泊まりすらしても誰も何も言わなくなっていた。

 今日も「相変わらず餅は囲碁も将棋も弱いのう、張り合いがないわ」と勝手に出して誘ってきたにも関わらず文句を言っているし、部屋に相談にやってきた官兵衛に対しても「そのようなことどうでもいいであろう、そんなことより一局どうじゃ」と誘っていつの間にか自分を放って、二人して囲碁に興じている。

 あまりにもいつもいるもので、誰にどこを任すかの領地分配の話にもいつの間にか参加して「この二人が隣国であればいづれ争いになろうどこか他の地はないか」などと意見も出し「治水ならやつが得意じゃ任せてみてはどうじゃ」などと九州にいたからか官兵衛の知らぬ大名の細かなことまで把握している。

 官兵衛は「これほどでありながら、なぜいつもああなのでしょうか?」と疑問を口にするが、それが勝蔵様だ答えるしかなかった。


 ただこのようにしていたのは理由があったようで、柊様に『義兄上のご病状聞き及びました。公方様も心配の様子。幸いにも出陣は他の者の役目となりましたゆえ、そばに仕え公方様がお役目果たさぬ時は勝蔵めが一喝する所存。それゆえ南方のことご心配無用と義兄上、関白殿下、政所様にもお伝え下され』と文を送っていたと後から知ることになる。

 そのような事も知らずに、戦を外したせいで暇なのであろうなと思いながらも、次の戦の準備は順調に進められていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る