第九十九話 姫路の変化

 更級は姫路の城で、いつもとは違う冬を迎えていた。

 小一郎の病の知らせは当然姫路にも入ってきており、奥の番人のようにいつもいたあこ様が、看病のために筑前を訪れていて奥を留守にしている。

 そして、いつもは部屋の端でよくわからない文字を見ながら、筆を走らせているはずのカタリナも婚姻して数年が経ちついに子宝に恵まれたようで、城の中にある自らの屋敷で過ごすことが多くなっている。

 とはいえカタリナは、度々話しにやってきてはいつもの机で何やら書いて過ごすことも多いので、その事は大きな変化ではなかった。


 奈古はつい最近まで、姫路の地で過ごしていた誾千代様と散々侍女たちを鍛え上げたあと、これまた妊娠が発覚して今は休みを与えている。

 妊娠を知った侍女たちは、これで厳しい訓練から開放されると夫の素庵に感謝して、多くの贈り物を送りつけたものだった。

 そのことに奈古は「厳しく鍛えて恨まれていると思うておりましたのに、これほど皆が喜んでくれるとは」と勘違いして涙していた。

 まあお互いにとって悪いことでもないし、そのままにしているが、戻ってくるときっと「これほどたるんでいるとは」と気炎をあげて、素庵殿に精のつくものが大量に送られるのだろうなと想像して可笑しく思っている。


 そして誾千代様は宣言どおり、渡海の準備を終えて姫路にやってくると、仲良くなった奈古との縁で瞬く間に商船を確保して乗り込もうとしたが、流石にそれは心配になり最も腕の良いものを紹介するようにと命じて、少しの間滞在してもらうことになった。

 その間、しばらくは大人しくしていたが突然「少しは船のこと知らねばなりませんね」と言い出したかと思うと、水兵たちの訓練所に顔を出して学び始め、そして少しすると城でまた過ごし始めた。

 気になって訓練を任せている管達長殿に事情を聞いてみると「御台様、誾千代様は宗像の女神様の生まれ変わりですかい」などと逆に聞かれることとなった。

 何でも瞬く間に操船を理解して、既に十分に船を任せられるほどに上達し、海戦についても舌を巻くほどの知識を見せていたがばったりと来なくなったらしい。

 誾千代様に事情を聞けばきっと「船のこと少し知りたかっただけですので」などと言うのだろうなと思ったが、聞いてみるとその通りだった。

「海戦についても詳しいのですか?」と聞いたが「いえ、ですが軍法は父に教えられましたから、後は陸と海の違いを考えればあまり変わりません」と当たり前のように答えられた。


 そんな彼女が次に目をつけたのはカタリナで、何かと南蛮の話を聞いては何かを考えている様子を見せている。

 そんな彼女も渡海の日を迎え最後に「御台様お世話になりました。御台様には大きな恩を感じております。立花の家にはいかようにもお申し付けください。御台様の命であればどのような命であろうとも果たして見せまする」と言ってきた。

「では柳川侍従殿と仲良く、そして私に誾千代様の子を抱かせてください」

 そういうと照れながらも「必ずや」と言って誾千代は旅立っていった。


 そのようなことを思い出していると「おたあさま」と呼ぶ声が聞こえてくる。

 新しく家族に加わった姫宮様だった。

 殿下が予定していたよりも少し遅れて降嫁してきた彼女は、まだまだ甘えたい盛りで、都言葉で母と呼んでは抱きついてくる。

「姫宮様よく来てくださいました」そういうと顔を膨らませて「おたあさま、さやがいい」と言ってまた抱きついてきた。

 子供ながらに様付されることを嫌って、沙弥と呼ばれることを求めてくる姿が可愛く、つい彼女の言う通りにしてしまう。


「わかりました沙弥。何か用があったのですか?」そういうと何もなかったのだろう考え込んで「きれいな花があったのを、おたあさまに見てもらいたくて」と思い出したように話し始めた。

 その間も、体にひっついてはたまに頭を撫でると笑みを返してくる。

 最近は少し重くなって、姫路に来たときよりも肉付きが良くなってきている。

 姫路についた頃は線が細く、心配した更級が人参まで買い求めたり、膳につきっきりで食べる姿を見守ったものだった。

 朝鮮とは交易が絶えているが、博多や鳥取などの日本海側の商人が、朝鮮の北東にある女真の地に人参を買い求めているらしく、多少高くなったが手に入れることは難しくなかった。


 御上といえども決して豊かな生活を送っているわけではなく、この娘も幼くして両親と離れ寺での生活を送る予定であったと聞いている。

 瑞雲丸の妻になる事が決められて姫路に来たが、ついてきた僅かな供は下級公家の娘を急遽集めて何とかつけたという有り様で、見知った者もおらず最初は武家の雰囲気に飲まれて回りを伺う様子を見せていたものだった。

 だがそんな様子を見せても、戸惑う時間すら与えられず、嫁入り道具の荷解きも終わらぬうちに花嫁衣装を着せられ、何も分からないまま妻となり、知らないうちに奥の住人となってしまった。


 その様子を見せられては、これからはひもじい思いや寂しい思いはさせまいと誓わぬわけにもいかず、もう自分の子であると心に決めて「これから母になる更級でございます」と言ったのを聞いてからは、頼りとすべき人を見つけたと思ったのかずっとこの調子で、合間を見つけては甘えに来ている。

 明石がこの様子を見つけると母を取られまいと思うのか、明石も同じ調子になってしまうが、最近は仲も良くなって共に遊ぶ姿も見られるようになった。


 ただ肝心の瑞雲丸に対しては、瑞雲丸もどう扱っていいのか分からず、沙弥も夫というものを理解しておらずで非常にぎこちない。

 そもそも夫婦ではあるが、寝室は別というか同じなのだが、夜になると沙弥がやってきて私や明石とともに眠りたがり結局別になっている。

 一応朝日様に相談してみたのだが「今さら姫路の事について言うても仕方ありませぬ。子ができる年でもなし御台所の思う通りにすれば良うございます」と言われてしまい、あこ様に文を送るも『義姉上も笑っておりましたし、更級に任せます。それよりも聞いてください……』と延々と看病の苦労話が綴られていた。


 結局は折れる形で、沙弥がくればともに眠ると決めて、それが今も続いている。

 大きくなり、姫路に慣れてくれば自ずと変わっていくだろうと思い、今は存分に甘えさせればよいかとも思っていた。

 何より夫のいない寂しさを埋めてくれる存在を、手放したくないと無意識に考えていたのかも知れなかった。

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