第九十八話 大陸の轟き

 明の首都北京にも日本とスペインの戦争が伝わっていたが、海の外での戦争に興味を持つものは殆どおらず、それは明の朝廷に仕える高官にとっても同じであった。

 彼らが今憂慮していることは、昨年起きた異民族の反乱であり、その対策をいかに行うべきかで、誰もが倭寇への興味を失っていた。

 豊臣秀吉なるものが、海賊の取り締まりを表明してから倭寇の被害は大きく減少しており、日本への根強い不信感は払拭しきれていないが、彼らを評価するものも出てきている。


 彼らは目ざとく昨年の反乱を聞きつけて火縄銃を南蛮人よりも格安で売りに来てすらいた。

 公式には交易を認めていないので密輸ということになるのではあるが、安く手に入ることは確かなので目をつぶっている。

 売り込みに来た杭州や福建の商人を調べてわかったことであったが、日本製の火縄銃はかなりの数が入ってきており、彼らの主な輸出品となっているようであった。

 彼らは預かり知らぬことであったが、刀狩りで手に入れたものや、天下統一によって不要となった旧式の火縄銃を豊臣家が買取りそれを明に売りつけていた。

 その売り主は、御用商人となっている者たちで、豊臣家にも利益の一部が流れている。


 ここ数年の明は、異民族の反抗を受けて陸軍の整備が進んでいた。

 万暦帝は相変わらず、後宮にこもり朝議にも全く参加していないが、官僚化の進んだ国らしく国政が麻痺することなく国家は運営されている。

 後宮の浪費は激しく役人の腐敗も広がっていたが、それはいつもの事であり、力は弱まっていたがそれでもなお明は大国として君臨している。

 軍事費も倭寇の活動が沈静化したことで、海防予算を縮小することが可能となり、その分を陸の軍事費に当てる事でやり繰りを行っていた。


 そんな明にとって、朝鮮から要請されている済州島奪還に援軍をという話は全くの論外だった。

 朝鮮の立場としては、領地が侵されたので援軍を求めているつもりであろうが、島一つのために船を用意し多額の軍費を使う余裕などなかった。

 そもそも、このことについては日本から、海賊の根拠地となっており、朝鮮に何度も出兵を要請したが兵を送ることなく、兵を送らなければ日本が平定すると通達までしたが期限を超えても何もしなかったので兵を送ったと聞いている。

 当然国家間のことなので一方の言い分を鵜呑みには出来ないが、済州島については明から朝鮮に倭寇の根拠地となっているので対策を行うようにと伝えていて、それをしなかったのに今更という気分も強かった。


 さらに、豊臣が治め安定している現状を下手に戦争などして覆し、また倭寇が蔓延る事態になるのは避けたいという思いも宮廷内で支配的だった。

 そして何より、朝鮮が攻め込まれたのならともかく、なぜ朝鮮が日本を攻めるための兵を出してやる必要があるのかと明の高官は考えていた。

 結果明から朝鮮に対し「島一つが欲しいのであれば朝鮮が勝手にすればよかろう」と伝えられることになる。

 明の目は海の外や朝鮮には向いておらず、国内と北方の異民族に向いていた。



 明の異民族対策の強化は、当然のように女真の地にも及んでいた。

 明の李成梁の後援を得て、女真の地に勢力を築き上げたヌルハチにとっては余りに大きな変化であった。

 李成梁は長年の汚職を理由に一昨年更迭されたが、後任に遼東総兵となった明の将は、ヌルハチへの後援を打ち切り、経済制裁をちらつかせて対立をしていた海西女真とヌルハチとの間に和議を結ばせて戦争を回避させる事に成功していた。


 当然両者とも、強制的に結ばされた和議に不満を持ったが、海西女真には勅書百通が明より渡されて面目を保ち、一方のヌルハチには勅書が渡されることはなく冷遇されており、配下の者たちの不満は高まっている。

 明は建州女直を統一したヌルハチに危機感を覚え、海西女真に肩入れすることで、勢力を押さえつける方針のようだった。

 さらに不思議なことに、東部の野人女真たちも力を蓄えているようにも感じている。


 ただ彼の兵がいかに精鋭で明に不満を持っていたとしても、反乱を起こせば明の思う壺であり、数度は勝ちを拾える自信はあったが、いずれはすり潰されるだけであることは分かりきっていた。

 今の遼東総兵は、李成梁のやり方を否定してヌルハチを冷遇しているが、それで成果があがらなければまた方針も変わる。

 ヌルハチはそれまで逆風に耐える決意をしていた。

 しかし、和議によって海南女真を打ち破って勢力を拡大するという方針は白紙にせざる得ない。

 少なくとも、明の支持が得られるまでは……



 李氏朝鮮の王である宣祖は、自らの国が南方の蛮族たちに見下されている事に怒りを覚えていた。

 豊臣秀吉なるものが日本を統一した途端、済州島の倭寇討伐を願っているとの話が浮かび上がったが、その時の使者の言い分は「豊臣は倭寇を取り締まるべく海賊取締令を出しましたが、朝鮮王にも力添えを伏して願っております。また、朝鮮王からの統一の祝賀の言葉を得られればこれ以上なく喜ぶことでございましょう」とのことで、それならばと使者を送ることにした。

 しかし結果は、我が国の使者を案内した者たちが処刑され、使者には私への詫びとして金をもたせ戻って来ただけであった。


 豊臣の言い分としては、我が国に送られていた使者が、功を偽り済州島への派兵を決意したと報告したらしく、我が国の使者との言い分があまりにも違うので我が国にも偽りの話をしているのではないかと考えて、改めて正式な使者を送りたいというものだった。

 無礼な対応ではあったが、蛮族の国ではそのようなこともあろうかと考えて一旦水に流したが、正式に送られた使者はそれ以上に無礼であった。

 彼らは豊臣秀吉の甥である者が送った使者で、我が国に済州島の鎮圧を要請し、もし鎮圧を行えないのであれば日の本が鎮圧を行うとまで口にした。

 更には彼の国の天子の『朝鮮王に済州島の征伐を依頼する』と書かれた文を携えてさえ来たのだった。


 我らを臣下のように扱う態度には腹を据えかね、使者の代表を処刑したうえで、国交断絶を言い渡した。

 これで流石に蛮族どもも懲りるかと考えていたのだが、謝罪の使者すら送らずに我が領土である済州島に占領したことで、ついに蛮族との戦争を決意したのだった。

 今のままでも十分ではあろうが、朝鮮の威容を示すために船を作らせ兵を集めており、容易く蛮族を海に追い落とす事ができるであろう。


 さらに日の本に身の程を知らしめるために、明に援軍を請うたが「島一つのために兵は送れぬ」と使者が返されてきた。

 よく考えれば当然のことであった。

 まずは、済州島と対馬を奪還し、明には本格的に日の本を攻める時に援軍を送ってもらえばよいだろう。

 軍船の建造も順調と聞いている。

 来年には吉報が聞けるだろう、宣祖はそう考えていた。

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