第九十四話 一門の反応
秀吉に男子が産まれるという知らせが全国に駆け巡ってから、多くの大名は表向き男子の誕生を喜び、秀吉に対して祝いの言葉を述べていた。
中には新たな戦乱の火種であると予想していた者もいたが、多くの大名たちは、数多くの軍功を挙げ、政でも多くの成果をだし続けている正室の長子と後継者問題を起こせるほどの存在ではないと考えていたし、実際誰もが拾と名付けられた男子が豊臣の後継者となることなど考えてもいなかった。
戦乱の火種であると予想したものも、後継者争いが起きると予想したわけではなく、以前漏れ聞こえていた茶々の子に東海道をという秀吉の希望と、懐妊後に生駒が尾張から豊後への転封がされたことから将来の国替えを予想して、戦乱の火種になるやもしれんと言っただけで、言った本人でさえ信じていないような予想だった。
母となった茶々と更級の仲の良さは余りに有名で、亡くなった棄様の臨終の折は二人が共に悲しみ、此度の出産にも淀城に出向いて誕生を共に喜んだと噂になっていて、そのような関係が新たな豊臣の子がなにか大きな問題を呼ぶとは考えられない状況を作り出していた。
ただ、例外となるものは常に居て、讃岐を支配する三好秀次にとって、新たな男子の誕生は余りにも大きな問題となっている。
彼は秀吉の姉ともの嫡男であり、子が一人しかいなかった秀吉にとって、その嫡子に何かが起きた場合に後継者として羽柴家を継ぐ立場だったこともある。
ただ嫡男が何事もなく成長し、秀吉にとっての孫まで産まれているとあっては、後継者となる可能性は完全に無くなり、三好の家に養子に入った頃にはあくまで一時的なものであると考えていた三好の名はそのまま変わることなく、気づけば他家に養子に出された縁者という立場となっていた。
一族の中での序列としても、大領を持つ宇喜多の家が秀持の娘と嫡男の婚約によって、完全に上位であると見られているし、高砂に入った尼子と比べても一族の中で重視されているのは尼子ではないかと感じるほどだった。
更には、木下の家の辰之助が公方様の覚えもめでたく、将来大名として領土を得るのではと噂されていたことも、公方様とあこ殿の関係から秀次にとっては心配の種となっている。
それに加えての茶々殿の子である。
自身の豊臣家中での立場に悩んでいる秀次にとって気が気ではなく、さらに自分が蔑ろにされる未来を思い浮かべてしまう。
豊臣の本拠に近い地を任されていることが示すように、決して軽視されているわけではなく、十分に信頼もされていたが、後継者候補として過ごした日々がそれを理解させるのを邪魔させていた。
秀次は今の状況を打開すべく、南方戦でせめて軍功をと思っていたが、予備隊として出陣は見送られ、何よりも自身の後見人のように動いてくれていた小一郎叔父が倒れたという報せまで届いている。
このままではという思いはあるが、それをどうすることも出来ずに、近頃は酒の量だけが増えていた。
かつて宮部継潤に養子入った縁で秀次に仕え、筆頭家老となっている田中吉政の諫言と助力を受けてなんとか政務はこなしていたが、秀次は精神的に非常に不安定な状態であった。
そんな秀次に南方からの文が届く、そしてこの文が更に追い打ちをかけることをまだ誰も知らなかった。
*
浅野長政が甲府に入ってから数年の時が経っている。
彼は秀吉と共に幾多の戦場を共にし、また北政所の妹ややが妻であることから豊臣家中で絶大な権力を持っていた。
小田原の陣の後に起こった東北の乱では、東国取次の一人であったことから徳川家康らとともに戦い続け、今は領国を息子に任せて、中央で秀吉の側に仕えている。
長年の主である秀吉も義理の姉である北政所も、秀吉に子供が産まれた事を大層喜んでいて、長政もその様子を見て喜んだものだった。
ただ、その後すぐ飛び込んできた小一郎倒れるの知らせには、大きな衝撃を受けている。
南方で楽しそうに過ごしている官兵衛殿は別として、戦場で寝食をともにした者たちは、今では多くが息子に道を譲り次の世代となっていた。
鬼籍に入ったものも多く、長政にとって何処か自分の時代は終わったのだと感じさせる知らせに思われたのだった。
未だ殿下は信頼を向けてくれているが、奉行の中心は佐吉を始めとする若い者たちにとって変わられようとしている。
それでも、長政自身は気力も体力も衰えたつもりはなく、三成たちを政敵として葬り、家中での力を更に大きくして豊臣を支えるつもりであった。
そして、父を尊敬する息子にとって父の敵がどの様に映るかなど、遠く離れて気にもしていなかった。
*
真田昌幸は天下人の義父となることを約束されていたが、あれほど強大であったかつての主家が僅かな間に力を失っていき、容易く滅ぼされた経験から常に警戒を忘れていなかった。
義理の息子から東国に目を光らせて欲しいと依頼されていたが、それ以前から東国一帯に諜報網を張り巡らせるべく諜報に力を入れている。
武田家の遺産とも言える諜報網を受け継いだ昌幸が、直接指揮をするほどの力の入れようだった。
父幸隆は攻め弾正と言われるほどの戦上手でありながら、武田の謀臣として数々の調略を成功させていたことが示すように情報収集にも熱心で、独自の諜報網を持ってすらいた。
家督を継いで父の諜報網を受け継いだ昌幸であったが、あくまで武田の一家臣が持つ諜報網であり、今用いているものと比べると規模は小さいものであった。
それが劇的に変わるのが、小牧・長久手の戦いで徳川領内に武田旧臣の助力を得て噂をばら撒いてからであり、武田旧臣の代表としての立場と、彼らが持っていた縁を同時に受け継ぐこととなった。
その後も、家臣として諏訪家がつけられて、全国に影響力を持つ諏訪大社との強固な結びつきを得ると、転封による加増によって大きくなった諜報網を支える資金力も得て、その力を存分に発揮する事ができている。
勢力の大きさから、徳川や伊達、そして蒲生へは重点的に間者を送っていて、かなり精度の高い情報が昌幸のもとに送られてくる。
今気になっていることの一つは、蒲生、細川の両家と伊達の関係が深まっていることだった。
豊臣に追放された利休は、伊達の預かりとなったが、その有力な弟子であった蒲生氏郷と細川忠興が、秘密裏に援助をしていることを昌幸は掴んでいた。
豊臣の手前、利休に対して訪れることも文を交わすこともしていないが、伊達政宗を通じて利休への援助が始まり、その縁で政宗との文の往来が活発になっている。
そして気になっているといえば、黒田長政のこともそうだった。
父官兵衛が播磨に入り、父についていく家臣が続出したことで恥をかかされたと父との関係が悪くなっていたが、その修復は未だなされていないようだった。
さらに婿殿の要望で、熊之助と前田の縁談が決まったことで、別家として熊之助の家が建てられ、父に従った家臣たちは父の死後も長政の元に戻らず熊之助に仕えるだろうという予測も彼を苛立たせているだろう。
何よりも婿殿が、黒田の正統を熊之助と考えているのではと思い、不満を覚えていても仕方ない状況に思える。
そしてそのことは全く他人事でなかった。
人質として送ったはずの源次郎は、婿殿の信任を得て、今では万の兵を任される重臣として播磨で重きをなしていた。
父としては息子の活躍は喜ばしい反面、兄である源三郎は家督が弟に渡るのではと恐れを抱いていてもおかしくなかった。
昌幸は家督を継ぐのは兄であると家臣に表明しているし、弟も兄に義理を通して、加増や兄より上の昇殿を断り続けていた。
それでも、源三郎が負い目を感じていると昌幸の目には映っていたから、後々問題となる可能性は感じている。
とはいっても源次郎の重用に文句などあるわけもなく、源三郎に道理を説いて我慢をしてもらい豊臣を支えるしか真田に道は残っていない。
余りにも豊臣と縁が近くなりすぎて、豊臣が滅べば真田も同じ道を歩み、豊臣の力が増せば真田も増すそのような関係になってしまっていた。
そしてそれは豊臣に男子が産まれても変わることなく、真田が重用され続けるためには婿殿を支えていくしかないのも変わりなかった。
関白に新たな子が生まれたとしても真田の動きには何の影響も与えはせず、昌幸の行動も以前と全く変わっていない。
それに親として苦労ばかりかけられた娘は、そうであるがゆえに可愛く、娘を不幸にしたくはなかった。
そのためにも昌幸は東国に目を光らせて、婿殿の天下を脅かすものをあぶり出そうとしている。
ただ、婿殿が南方に出陣しており、あぶりだしたとしても大したことはできそうにない事が、昌幸を悩ませ続けていて、昌幸の行動を縛ってもいた。
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