第九十三話 秀頼の誕生
1593年八月、秀吉はもうすぐ産まれてくるであろう新しい子の誕生に居ても立っても居られず、多くの政務を放りだして淀城に入りそこで過ごしていた。
先に同じく仕事を放りだして淀城に入っていた更級からの『もういつ産まれてもおかしくありません』との文を見て急いで来たが、すでに淀城に入って十日が過ぎようとしている。
その間、男ができることなどなく、ただひたすら今か今かと待ちわびる日々を過ごしていたが、遂にそれも終わりが近づいているようで、昨日の夜には茶々が産場に入ったと聞かされ眠れない夜を過ごしたのだった。
日が昇っても全く眠気など感じることなく、ただただ誕生の知らせを待ちわびていた秀吉に、吉報が届いたのは日差しも厳しく感じられる頃で、産まれたと聞くなりかつて主君のもとで馬を引いていた頃に戻ったかのような速さで茶々の元に向かった。
そこには満足そうな顔をする茶々と更級が居て、白い衣に身を包んだ赤子を抱いた侍女が「殿下お喜びください。おのこでございます」と言うと、飛びかかる様に近づいて赤子の衣をめくると、まじまじと見て「お、おのこじゃ。確かにあるわ、おのこじゃ」と喜びを表した。
それからは誰が言葉をかけても反応せず、しばらく一人の世界で喜びを噛み締めていたが「茶々ようやった」と突然大声で言って周囲を驚かせ「そうじゃ皆に知らせねば」といったかと思うと、秀吉自らねねや息子、小一郎や姉のとも、又左や官兵衛など、書斎に籠もりありとあらゆるところに文を書いて、しばらく後に様子を見に行った近習が大量に書かれた文に囲まれ、眠っている秀吉を運ぶという有様だった。
夜になり目が覚めた頃には、知らせを受けて北政所が淀城に入っていたが、秀吉は見つけるなり延々と喋り、始めは楽しげに聞いていた北政所を辟易させてから、疲れ果ててまた眠るといった状態で、喜びを抑えることができない様子を周囲に見せつけた。
翌日になっても変わらぬ様子の秀吉は北政所に「お前様、茶々殿はおこを産んだばかりですからしばらくは御台所に任せて聚楽第にお戻りください。ここに居てもお前様ができることはございません」と言われ渋々淀城を後にしたが、聚楽第に戻ると今度は又左衛門を捕まえて飽きることなく延々と新しい息子のことを語っている。
人の良い又左衛門は「そうかそうか」と延々と付き合うものだから際限なく話は続き、関白とその第一の家臣とも言える前田との話を止めるわけにもいかず奉行たちを困らせた。
だが、ただ喜びを又左衛門に伝えてるだけでなく、秀吉は重要なことを又左衛門に伝えてもいる。
一つは「棄に任そうと思うておったが、ややこが大きゅうなれば尾張から遠江までの東海道を任せて、餅を支えてもらおうと思っとる」というもので又左衛門にとっては予想のできるものであった。
そしてもう一つが「そうなれば、江戸大納言と誼を通じさせねばならんわ。三河を治めるにも心強かろう」というもので、聚楽第の留守居を二人で任された時に又左衛門も薄々感じたが、秀吉は前田の影響力を抑えるために徳川を使うつもりであった。
前田の家は、次期後継者である秀持の乳母をまつが務めたことから秀持から前田の父と母と慕われていることはよく知られており、長女は森の家に嫁ぎ、さらに筑前豊臣家に三女が、秀吉の養女となった四女は宇喜多家にと有力な大名とも血縁で繋がっていて、さらに秀持に乞われる形で七女の千世と黒田熊之助との婚約が認められるなど豊臣家中での影響力は抜きん出ている。
秀吉は又左衛門のことを心から信頼してはいたが、だからといって前田のみが大きな力を持っていれば、豊臣の得宗家になりかねないとの危惧を持つこと自体は特段おかしなことではなく、対抗できる者を探していた。
毛利は当主が頼りにならず、宇喜多や筑前豊臣は当主が若すぎ、それに加えて前田に近すぎた。
徳川であれば前田との関係は薄く、それでいながら老獪で十分に対抗馬となり得ると秀吉は考えたのだった。
その結果が聚楽第であり、家康に箔をつける意味でも秀吉の家康への信頼を示すうえでも、新たな子の妻を徳川から迎える事まで秀吉は考えており、折を見て家康の後継者である秀忠と茶々の妹の江を婚姻させて縁を強めることも考えている。
とはいえ未だ絵に描いた餅にもなっていない、ただの思いつきであり、今は新たな子が産まれた喜びを又左衛門と共有している面が強かった。
新たな子は数日後には拾と名付けられ、茶々が面会できるほど回復するとすぐに場が設けられて、母子と秀吉の面会が実現する。
秀吉は、終始上機嫌で茶々に何度も「よくやったわ」と声をかけて、未だ続く幸せを噛み締めていた。
更級もそれは同じで、表向き立ち直ったように見えてはいたが、子を失った茶々がこれで本当の意味で立ち直れるだろうと我がことのように喜んでいる。
ねねも同じで、同じことを何度も話されるのは別として、夫の喜ぶ姿を見るたびにこれで良かったとの思いがこみ上げてきていた。
このように素直に喜べるのは、自らの息子がいるからだということなど、子がいることが当たり前過ぎて考えてもいない。
そんな幸せに包まれた豊臣の一族に、思いもしない、そして浮ついた気分を一気に吹き飛ばす知らせが届いたのは、茶々との面会を終えた日の翌日だった。
差出人は柊で、秀吉は小一郎が隠居してからというもの、頻繁に柊からの文が届く様になっており、お互い文を交わすことも珍しくなくなっていたので、なんの気もなく文を読み進めることとなった。
ただそこには、小一郎が血を吐き倒れ今は床に伏せていること、そして医師の見立てでは冬を超えることができないかもしれないと診断が下された事が書かれていた。
それを見た秀吉は茫然自失といった様子となり、近くにいた者が「殿下いかがなされましたか」と声を掛けても「小一郎がわしの小一郎が」と涙もなく呟き続けるだけであった。
近習たちではどうしようもできないと、佐吉や北政所が呼ばれて秀吉の元に来た頃には、うずくまり文を抱いて「小一郎」と言い続ける秀吉の姿がそこにはあった。
「お前様」との言葉にもろくな反応を示さず、強く握りしめたのか皺となって打ち捨てられた文を読んだ北政所は絶句して、秀吉と同じく視線を何処かに漂わせる様になってしまった。
聚楽第は昨日が嘘のように静まり返り、聚楽第の主もまた聚楽第と同じ様子であった。
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